第9話 一騎討ち
私たちの前に姿を現したマディは、薄らと凍傷の痕が残る右腕に杖を所持していた。
杖の先には三日月を模した装飾が飾り付けられている。
「リリアナ様、わたくしは宵夜の聖女。アンリエッタですわ。ほら、聖女の証である杖もありますの」
「そんな杖――迷宮に連れ去られる前は持っていなかったじゃない、マディ」
「ええ。だから不完全で、わたくしがアンリエッタだと分からなかったのですよね?」
――急に現れたのは杖だけではない。マディが着ている衣装だってそうだ。
前側だけ丈が短くなった黒い釣鐘スカート。
以前から持っていた服に着替えた可能性も、あるけれど。
背中から生えた黒い翼。突然、出現した杖。
衣装も同様に、マディの能力開花にあわせ顕現したもの――そう考えるべきだろう。
「マディの能力は……物を作り出す力……?」
『だがそれだと、爆発が起きた件と整合性がつかない』
「……それもそうですね。マディが山火事を起こした時、爆発物を作り出してはいなかった」
マディが山火事を起こした時のことを思い出す。
指先が光り、そのすぐあとに爆発が起きていた。
「聖女ですもの。なんでもできるのです。こんなことも」
マディが杖を振る。杖から光が降り注ぐ。
光が一点に集まり形を成す。……それは、人の形をしていた。
『なっ……』
「わ……っ! トリスタン様!」
マディの杖が作り出した人物は、トリスタン、と呼び掛けられ首を縦に振った。
人間を造るだなんて――何でもありじゃない。
トリスタンと呼ばれた、赤髪ストレートを肩ほどまで伸ばした男性が腰から剣を引き抜いた。
細身の剣――レイピア、と呼ばれる
切っ先が私へ向けられた。シノを庇うように身構える。握り拳が汗ばむ。
マディが再び杖を降った。もう一本、新たにレイピアが作り出される。
「わたくしを巡って一騎討ちだなんて……まるで夢小説のワンシーンではありませんか……」
――ううん?
身体が勝手に動く。
まるでマディの妄想を実現させるように、細身の剣へ向け足が動いてしまう。
剣レイピアを持って構えれば、再び身体に自由が戻る。
トリスタン――人間の形をしたものが、私へ向け剣を振るう。レイピアで応戦する。
マディの言う通り、一騎討ちの形となった。
「素敵! これが皆から、愛される……逆ハーレムなのですね……!」
マディが両手を胸の前で組み、恍惚とした表情で天を仰いだ。
なんだか見覚えのある表情だ。
……思い出した。マディに城を案内してもらった時のこと。
私とユリアン辺境伯に少女小説を重ね、空想を思い描きはしゃいでいた時――マディは、今と同じような表情をしていた。
まるで空想の世界を、宙へ思い浮かべているような。
「空想……」
『……空想?』
私の独り言にコメントの御方が反応する。
『空想の世界……トリスタンと呼ばれた、レイピアを使う赤髪の青年……』
『あとなんだったか、アンリエッタがどうこう言っていたか?』
『爆発を起こす杖、山火事も覚えがある』
『まさかとは思うが、マディ……』
『……だが、そうであれば能力の説明もつく』
「コメントの御方、マディの能力に心当たりが?」
『……俺の予想が正しければ、だが』
コメントの御方が――呆れたようにため息をついた。
『マディ、お前……愛読書・ミントと幽霊シリーズ――その世界に存在するものを、具現化しているな……?』
『……能力がピーキー過ぎるだろう! それはさすがに!』
『後天的に能力開花するものは本人の性質が反映されやすい、と聞くが』
『ここまで極端な例は聞いたことがないぞ……』
マディが愛読書の名前に反応したのだろう、映像記録コウモリへ視線を向けた。
「配信コメント欄、随分と賑やかでいらっしゃるのですね? 視聴人数はお一人だけのようですけれど」
『……マディ』
マディが――白けた目で映像記録コウモリを見つめる。
苛立ったように指先で杖をトントン、と軽く叩いた。
『マディ、俺は――』
「ふうん……これが真相なのですね。ひとり楽しくお喋りなんて妙だな、と思っておりましたけれど」
……もしかして私のこと?
コメントの御方とのやり取りを、独り言だと思われていたのか。
浮かれていたように、見えたのかしら。コメントの御方との交流に。
それどころではない状況だというのに。
顔に血がのぼったのか、なんだかやたらと熱い、気がする。
熱さを逃がそうと息を吐く。
と、隙を狙ったようにトリスタン(仮)の操るレイピアの切っ先が喉元をかすめる。おっと、危ない。
侮れないわね、トリスタン(仮)。少女小説の登場人物を具現化した人形。
きっとマディの意思が反映されているのだろう。トリスタン様はとてもお強い、とか。
『……話を、聞いてくれないか、マディ』
「今更『マディ』とお話することがありまして? わたくしなんて――マディなんて、必要ないのでしょう?」
マディとコメントの御方が言葉を交わしている、ような気がする。
しかし話の内容を聞く余裕がない。トリスタン(仮)の相手で精一杯。
トリスタン(仮)のレイピアを受け流す。
そのまま、攻撃に際してガラ空きとなったトリスタン(仮)の腹を狙う。
けれど――私の動きも読まれているようで難なく防がれる。
『違うんだ、マディ。夕刻の件は誤解で』
「で、夕食前の件はそうではないと?」
『……あれも、誤解で……』
「手を振り払ったことの何が誤解なのです? マディのことがお嫌いでなければ、あんな真似いたしませんわ」
『嫌いなわけ――』
「嫌いでもない人間を反射的に振り払ったりなど! あり得ませんわ……!」
えっ、えっ、会話の内容はよく聞こえないけれど、揉めてらっしゃる?
――でも、二人を仲裁できるような状況じゃない……!
「わたくし今日の一件で、よくよく分かりましたの。お兄様は誰に対しても心を開かない――その認識が間違いだったって。お兄様はマディのことが嫌いだから、マディとお話ししてくださらなかっただけ」
トリスタン(仮)が操るレイピアの軌道が、予想より下部へ刺突された。
――しくじったわ。剣と剣が絡まる。
私のレイピアが、トリスタン(仮)が操る剣の
「現に今、配信コメントではひとり賑やかではありませんか。こんなにお話しされるお兄様、初めて見ました」
『……これまで、お前とちゃんと話ができていなかったことについては……申し訳なく思っている……』
「表面だけの謝罪なんて聞きたくありませんわ!」
『マディ……』
「そうでしょう? だってわたくしとは話すのも嫌なのに――配信越しの今ですら、急に歯切れ悪くいらっしゃるのに。リリアナ様とはあんなにも楽しそうに」
『……いや、それも……違うというか……』
レイピアを奪われてしてしまった以上、剣を交え受け流すことはもうできない。
危険を冒し剣を取り戻す? 取り戻したところで、決定打に欠ける状態は変わらないまま。そうであれば。
「――卑しい発言をしてしまいましたわ。お二人はご結婚されているのですもの。それを嫉妬だなんて」
『……マディ、違うんだ。お前は思い違いをしていて』
「ええ、わたくしという存在が間違っていたのですよね。大丈夫です。誰からも愛されず、それどころか兄の結婚相手に嫉妬するような醜い『マディ』はもうどこにも居ませんから」
『マディ!』
トリスタン(仮)の剣技を避ける。――今までは反撃の手段に、わざわざレイピアを選んでいた。
思えばそれが間違いだったわ。
避けた反動でそのまま空中へ飛び上がる。トリスタン(仮)が硬直。
剣と剣の一騎討ちにはあり得ない動きだから、きっと何が起きたのか分かっていないのね。
歴戦の戦士ならいざ知れず、所詮はマディの造った剣士
このまま――終わらせましょう。
天井を蹴る。
トリスタン(仮)の頭上から思い切り拳を叩きつける。
強い衝撃を受けたのであろうトリスタン(仮)は、そのまま光の塊へ変貌し消えてしまった。
……それなりに手強い相手だったわ。
「さあ、マディ。帰りましょう」
「……トリスタン様!?」
トリスタン(仮)が消えたことにようやく気付いたのか、マディが驚きの声を上げた。
ん? このまま帰ってもいいのかしら。それでは階層ボスを倒したことにならない?
マディ本人とも戦わなければ駄目だったとしたら――ううん、あまり乗り気にはならないわね。
能力を開花させたとはいえ、マディ本人は戦闘に関して見るからにド素人。
受け身も取れないようだし。肉弾戦で戦いたくはないわ。
「コメントの御方、ご意見をお聞かせください。このままマディを連れ帰るだけでは、階層ボスであるマディを倒したことにはなりませんか?」
急に話しかけられたからだろうか、コメントの御方が少しだけ動揺した声を出された。
けれど咳払いをして仕切り直し、私の質問に答えてくださる。
『……過去の記録を見る限り、階層ボスの攻略とは下層――すなわち階下へ進むことを指している可能性が高い』
マディは地下一階の階層ボス。
攻略したとするには、地下二階に進む必要があるのか。
「よかった。マディ本人を痛めつけなくとも良いのですね」
『本人が同意してくれれば、だが……』
従来の階層ボス――魔物相手であれば、撃退することなく地下階層へ降りることは困難だろう。
縄張りを踏み荒らされることを彼ら魔物は一番に嫌うのだから。
けれどマディは違うわ。マディの帰るべき場所は迷宮の中にはないもの。
「マディ、あなたの能力で土砂を取り除くことはできる? 下り階段、土砂崩れで埋まっているのよ」
「……わたくし、帰りませんわ」
マディが視線を伏せ、首を横に振った。
「帰りましょう、マディ。ユリアン辺境伯もあなたを待っているわ」
マディへ向け手を差し出す。
しかし頑なに私の手を取ろうとしない。マディが胸元でギュッと両手を握り締めた。
「リリアナ様には分からないのですわ。わたくしの――マディの気持ちなんて。シノ様にもお兄様にも愛されているリリアナ様には……!」
? 何を冗談言っているのかしら、マディったら。
「それはないわ、マディ。こんなこと、本来なら妹のあなたに伝えるべきではないのかもしれないけれど……」
苦笑いがこぼれ出てしまった口元を手で隠す。
だって――恥ずかしい話なんだもの。
「……私、旦那様から疎まれているのよ」
兄の結婚に関する現況を聞いたマディが絶句した。表情は困惑に満ちて歪んでいる。
それはそうよね。兄嫁から、私はあなたの兄によく思われていない、なんて告白されたら。
「……え? ええ……?」
『……マディ。だから言っただろう。楽しそうに、なんていうのは誤解なのだ――と』
コメントの御方が心底気まずそうにマディへ話しかけた。
あら。マディとコメントの御方の言い争い、決着したのかしら。
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