第8話 vs触手

『……本来であればリリアナ、お前には帰還を要求すべきなのだろうが』

『しかし俺……ゴホン、辺境伯側としても、やむを得ない事情がある』

『山火事の対応に追われ、マディの探索部隊を迷宮へ送り込む余裕がないのだ』


 迷宮の奥へと歩を進める最中。

 コメントの御方が物憂げな声で、ハイデッガー領の状況について説明を始めた。


 ――外の情報を得られるのは助かるわね。

 今ばかりは、コメントの御方がハイデッガー領の統治関係者であることを幸いと言う他ない。


『山の裾にそびえ立つ氷の壁がある以上、街中へ火の手が移る危険は少ないが』

『しかし民の避難誘導は進めなければならない』

『辺境伯本人も氷の壁を維持することに手一杯。迷宮へは向かえない』

『……今回はリリアナ、お前の迷宮探索を手伝うことはできないだろう。すまない……』


 コメントの御方のため息が迷宮内に響いた。


「謝罪の言葉は引き出しの奥にでも放り込んでおいてください、コメントの御方」


 映像記録コウモリへ振り返りながらコメントの御方へ話しかける。


「先の探索では私を守って頂いたこと、とても感謝しております。けれど今回の探索、お手伝い頂く暇などないほど――超高速で、終わらせてみせますわ」

『……お前の強さは前回の探索で理解した。しかし』


 コメントの御方が歯切れ悪く口籠る。


「……へー、コメントの人、リリアナお嬢様のこと心配してるんすねえ〜」

『なっ、……当然だろう!』


 シノが冷ややかな視線を映像記録コウモリへ向けている。

 ……さっきからコメントの御方への当たりが強くないかしら? どうしたのだろう、シノ。


 ふと足元を見ればスライムが蠢いている。爪先で核をすり潰しておく。


 迷宮内の魔物たちも、先の探索で我々との実力差を感じ取ったのだろうか。

 気配こそあれ、目の前に姿を現す魔物はかなり数を減らしていた。


「コメントの人、質問なんすけど。氷で山火事を消火できないんすか?」

『山火事の勢いが強過ぎるな。屋外で、火の燃料となる木々も充分。氷で多少消火したところで、炎の増殖・再生を止めることはできないだろう』

「それじゃあ、全部焼け焦げて禿げ山になるのを待つしかないんすか……」

『……王都へ強力な能力者の出動を要請している。それまで消防団の放水、それと氷の壁で被害拡大を防げれば』


 しかしハイデッガー領は辺境の地。

 そもそも王都へ出動要請を届けるにも時間がかかる。


 それまでずっと、ユリアン辺境伯は氷壁を維持し続けるのか。

 炎で溶かされた分の氷を都度、再生成。その作業を寝ずに――下手したら何日も。


 歯痒い。私が能力者であったら、もっと旦那様のお役に立てただろうに。

 ただ身体を鍛えただけの無能力令嬢では、迷宮に連れ去られたマディを助け出すのが精一杯だ。


 ……そういえば、先ほどコメントの御方が仰っていた件。

 マディが迷宮に喰われている――あれは、どういう事なのだろう。


「コメントの御方、私からも質問よろしいですか? 『人喰い迷宮』とはいったい――ヤケに物騒な物言いですけれど」

『……その話もしておくべきだったな。リリアナ、前回の探索で作成した簡易迷宮マップは持ってきているな?』


 冒険服の内ポケットより簡易マップを取り出す。

 私の動きを配信画面で確認したのだろう、コメントの御方がタイミングよく相槌を打たれた。


『――こんな頼みをするのも心苦しいのだが……リリアナ。今回はまっすぐ、下り階段のあるフロアへ向かってくれ』

「それは構いませんが。コメントの御方、マディの居場所に心当たりが?」


 元々、奥へ向かって迷宮内を歩いていたのだ。

 目的地が定められただけで、進む方角に変わりはない。


『マディは……ハイデッガー領・第一迷宮、地下一階の階層ボスと成った可能性がある』

「? まさか人間が魔物になったって言うんすか? そんな、妄想じゃないっすよね……?」

『魔物にはなっていない、はずだ。迷宮に喰われたんだ』


 迷宮に、喰われた。聞き慣れない表現だ。

 無謀にも私達の元へ向かってきたゴブリンの群れを適当にしばきつつ、コメントの御方の発言に耳を傾ける。


『遥か昔のことだが、この迷宮から王位継承の珠が発見されたことがある』


 ――王位継承の珠。

 私に婚約破棄を申し渡した、ティエリ王子が求めている秘宝……。


『その際、ハイデッガー領・第一迷宮に異変が認められた。領地に住む一般人が急に強い能力を開花させ――階層ボスと成ったのだ』


 確かにその異常現象は、マディの現状と酷似している。

 マディもまた突然に強い能力を開花させ、そして迷宮内に引きずり込まれた。


『時の王子が階層ボスとなったその者を倒した後。元・階層ボスの当事者に話を聞いた際、本人が証言したという。自分は迷宮に喰われたのだ――と』

「ふんふん、つまりリリアナお嬢様とシノで、階層ボス……マディ殿を倒せばいいんすね。単純明快で助かるっすねえ」


 コメントの御方からは無言の返答。どうしたのだろう。


「シノの認識、間違っておりますか?」

『いや、合っている。合っているが……』


 モゴモゴ、とコメントの御方が不明瞭な言葉を発したあと。

 意を決したように、ゆっくりと話し始めた。


『階層ボスとなったマディの打破を依頼している身だ』

『……こんなことを言える立場にないことは重々承知なのだが』

『しかしだな……その……』


 すぅ、とコメントの御方が息を飲む音が聞こえた。


『……無理はするな』


 絞り出されたその一言で。

 充分に伝わる。コメントの御方が、どれだけ私を心配してくださっているか。


『王都から能力者が出動してくれば、彼らに迷宮探索を依頼することだってできる』

『……だが……』

『……、……マディを、頼む』


 マディを頼むけれど、しかし無理もするな、と。

 一見相反する発言だが、しかしどちらもコメントの御方にとっては本音なのだろう。


 頼まれごと、か。


 ティエリ王子のことを思い出す。

 私はティエリ王子より求められたお役目を果たすことができなかった。

 ――お役に立てなかった人間だ。


 今回こそ。

 コメントの御方から受けた依頼こそ、完遂できるだろうか。

 そうしたら私は、コメントの御方の役に立つことができる?


 ま、やるしかないわね。

 マディの救出は何もコメントの御方だけの要望ではない。

 ユリアン辺境伯だって、それに何より私自身も心配しているのだ。妹、マディのことを。


「大船に乗ったつもりでいてください、コメントの御方。私、身体を鍛えておりますもの」

『……はは。頼もしいな……』


 コメントの御方の弱弱しい笑い声が映像記録コウモリより漏れ聞こえる。

 迷宮探索は既に下り階段フロアへの経路、半分以上を過ぎ去っていた。


 *


「……妙な音がするっすね」


 シノが注意深く周囲をうかがう。

 しかしシノにしては珍しく、音の出所が分からないようだった。

 しきりにキョロキョロと四方八方を見渡している。


「おかしいっす。天井からも床からも、迷宮の奥からも出口方面からも音が、聞こえるっす……?」


 至るところから音が聞こえるためか、シノの注意力が逆に散漫になっている。

 そのせいだろう、足元に忍び寄る触手にシノが気付けなかったのは。


「――シノ!」


 急ぎシノを抱えて飛び跳ねる。足元の触手からは無事逃れることができた。

 しかし飛翔した先、天井付近や壁からも、いつの間にやら触手が這い出ている。


 空中で回転し、天井から生える触手を蹴り飛ばす。

 蹴撃した場所の触手を排することこそできたものの、それ以外の場所から生えた触手についてはそのまま残り続けている。


 気付けば迷宮内のあらゆる天井、壁、床に触手が蠢いている。

 一本一本はそう長くないものの、なにしろ大量。床に足をつければすぐ捕まってしまうだろう。


「リリアナお嬢様、ここはシノが!」


 シノが咄嗟に何かを天井へ投げ付ける。

 あれは……鉤縄かぎなわ、だったかしら。

 釣り針と似た形の、鉄製の器具(鉤)が天井へ引っ掛かった。鉤に取り付けられた縄に吊り下がる。


『――リリアナ!』

『無事か!?』

『いったい何が起きたんだ』


 映像記録コウモリは飛翔しているから、触手に捕まることもなく無事であったようだ。


「触手が壁と床、それから天井を覆い尽くしておりますわ」

「この触手、たぶんマディ殿を連れ去ったやつと同種っす。随分と迫力ない姿してるっすけど」

『なっ……! 触手だと!』


 コメントの御方の焦燥した声が迷宮内に響く。


『いくらリリアナが身体を鍛えているにしても』

『さすがに相手が悪過ぎる……!』

『周囲一面を覆い尽くす触手など、どこか一箇所を駆除している最中に、他の場所から伸びた触手に捕らわれてしまうではないか』

『……くそ! 俺の能力なら、一度に全体を凍らせることができるというのに……』

『こんな時に限って!』


 ……私よりも、コメントの御方の方がよっぽど焦っているわね。

 しかし天井より縄で吊るされ揺れながら、自分より慌てている人を見ていたら逆に冷静になってきた。


 懐から簡易マップを取り出す。

 現在地から見て、目指すべき場所――下り階段のフロアは、私から見て左方面。


「右壁の触手を一部でいいから片付けたいわ。シノ、できそう?」

「シノの手裏剣はリリアナお嬢様の指示を絶対完遂するっすよ!」

『リリアナ、どうする気だ……?』


 天井から吊り下がっている私達とほぼ同程度の高さに生える触手を指差す。

 シノが指示した位置の触手を手裏剣で討ち払う。


 壁の一部に、蹴るのにちょうどいいスペースが生まれた。シノの手裏剣さばきはやっぱり完璧だわ。


「いくわよ、シノ」

「いつでもいーっすよ!」


 身体を大きくひねる。

 ゆらゆら、縄の揺れがどんどんと大きくなっていく。


 揺れが充分に大きくなったのを見計らい、勢いよく右壁へ跳ぶ。

 ――先ほどシノが用意した、触手の排除されたスペースに着地して。

 思いっきり、壁を蹴り、逆側の壁方面へ跳ぶ。


『なっ……!』


 勢いのまま、左側の壁に拳を思いっきり叩きつける。


「ひゃっほー!」

「こんなやり方じゃあ行く手は塞げても、突破口を塞ぐことはできないでしょうね!」


 ――壁が辺り一面、ガラガラと崩れていく。

 瓦礫の雨を潜り抜けるように、そのまままっすぐ飛び進み続けて。

 触手に覆われていたフロアから見て、左隣のフロアへ移動する。


 よかった。

 こっちのフロアには、触手はいないみたい。


『……まったく。型破りな冒険者だな、お前は』


 そう呟いたコメントの御方の声は、少しだけ笑っているようにも聞こえた。


「ふふ、破ったのは壁ですけれどね。褒め言葉として受け取っておきますわ」


 さて、先へ進みましょうか。

 簡易マップを再び確認すべく、紙を広げた瞬間。


「リリアナお嬢様ッ!」

「……シノ?」


 シノに衝突され、押し飛ばされる。

 倒れ込みながら振り返れば、先ほどまで私が立っていた地点が――破裂していた。

 轟音と共に、爆発により瓦解した地面や岩が舞い上がる。


「シノ! 返事をして!」


 倒れ込んでいるシノへ駆け寄る。

 どうやら失神しているようだ。目を閉じぐったりとしている。


 外傷はあまり多くない。私を庇いながらも爆発の直撃は避けたようだ。

 けれど岩か何か、破裂物が当たったのだろう。ひたいから血が流れている。


『リリアナ、シノ、無事か!?』

「私は平気です、けれどもシノは止血が必要ですわ」


 ズボンの一部を破り、シノの出血箇所に布を当て押さえる。


 ほぼ同時。

 ――カツン、カツンと背後より足音が聞こえた。


「愛の献身、ですか、シノ様。素敵ですわね」


 それは今まさに、私たちが探している人物その声であった。


「羨ましいですわ。リリアナ様……」

「……マディ……」

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