第7話 二度目の迷宮探索
エミール様から聞いた話では、マディは非能力者であったはずだ。
しかし今、見間違えでもなんでもなく確かに、マディは背中から生えた翼をはためかせ空を飛んでいる。
――『能力』が開花したのかしら。
貴族とは元々、『能力』を用い建国に多大なる貢献をした者たちの子孫と言われている。
遺伝的要因を考えれば、辺境伯の家系であるマディに『能力』が開花することは何らおかしくない。
「ヒャーッ! 飛ぶ鳥を追うよりも抜群に興奮するっす〜!」
シノが大声ではしゃぎながらマディを追いかけているおかげで、二人がどの辺りにいるのかは難なく認識できた。
能力の開花直後だからだろうか、マディの空を飛ぶ速度は決して速くない。
目いっぱい走れば、あっという間にシノとマディに追いついた。走りを止めずそのままマディを追い越す。
民家の屋根に登るのは気が引けたので(シノは構わず屋根の上を伝い走っているが)、教会の壁を伝い採光塔の屋根上へ陣取る。
ふらふらと空を飛行するマディが私の存在に気付き、前進を止めた。
「マディ。城へ戻りましょう。旦那様もマディを心配しているわ」
「リリアナ様、わたくしはもうマディではありませんわ。アンリエッタになりましたの。ほら、ドレスもこんなに美しく……」
スカートの裾を持ち上げ、ひらりと舞うようにマディが回転する。
けれど外は夜。月の薄明かりも雲に隠れ頼りない。
マディ本人を視認することはできても、漆黒に染まったドレスの意匠は闇に紛れてしまっている。
「……薄暗くて見えておりませんのね。アンリエッタとなったわたくしの格好が。だからリリアナ様は、古い名でわたくしを呼ぶんだわ」
「マディ、違うわ。あなたはマディでしょう。アンリエッタなんて私、知らないわよ」
マディが教会の屋根へ降り立った。
私の手を取ったマディが聖母のように優しく微笑む。
けれどその笑顔には違和感があった。……目が笑っていない。
「大丈夫ですわ、リリアナ様。皆様、分かってくださるはずですもの。わたくしが『ミントと幽霊』のアンリエッタだって」
――『ミントと幽霊』。
つい先日もその名前を聞いたわ。確か、マディお気に入りの少女小説だったかしら。
「アンリエッタは聡明で美しく、皆から好かれておりますわ。だからアンリエッタとなったわたくしを見て頂ければ、きっと皆、わたくしを愛してくださるに違いない」
マディが私の手を離し振り返り、城下町の背後にそびえ立つ山の一角を指差す。
指先を仄かな灯りが包み始めた。
――これもマディの能力?
気付けば教会の屋根へ辿り着いていたシノが、私の後ろ襟を引っ張っていた。
つられてマディと距離を取った瞬間と、爆発音が聞こえて来たタイミングはほぼ同時だった。
「ふふ、見てくださいリリアナ様。こんなに明るくなりましたわ……!」
くるくると軽やかにマディが踊る。
――爆発し燃え盛る山々を背景にして。
「マディ、あなた――自分が何をやったか分かっているの……!?」
「勿論ですわ、アンリエッタは宵夜に光を導く聖女ですもの。これだけ世界が煌めきに満ちていれば、ねえ見えますわよね? わたくしの……アンリエッタの美しいドレスも」
これ以上、被害を拡大させるわけにはいかないわ。
無能力の私に、城下町東部にそびえる山々の火事を消し止めることはできない。
けれどマディを捕らえ、次の攻撃を封じることならできる。
翼による飛行、爆発による炎上。
どちらもマディの能力なのかしら。いまいち能力の全容が見えない。
悠長な方法は取れないわね。
手荒になってしまうけれど、打撃によりマディの意識を奪うべきだろう。
他に能力発動を阻害する方法も思いつかない。
「……シノ」
「足留めっすね? らじゃっす!」
足に力を込め、前進すべく思い切り蹴り出す。
山火事により明るくなった世界へドレスを見せつけるよう踊り続けるマディとの距離を、一瞬で詰める。
「マディ、ごめんなさいね」
「……え?」
タイミングよく、シノの手裏剣がマディのスカート後ろ裾を屋根に刺し留めた。
マディが驚いた顔をした時にはもう鳩尾に一発、掌底が入っていた。
……掌底打ちを選択したのはマディに過度な傷を与えないためだ。
ふわり、マディの身体が宙に浮く。スカートの後ろ裾が破れ、マディを屋根に留める力が消え失せた。
投げ出された指の先は完全に脱力している。マディの気を失わせることには成功したようね。
そうであれば、落ちないように受け止めなければ。
しかし、空に投げ出されたマディの身体が、重力に従い舞い戻ることはなかった。
高く高くまで浮いたマディの全身を――どこからともなく現れた、何本もの触手、のようなものが覆い包む。
「なっ、なんすかこれ……マディ殿をどうする気っすか……!?」
シノの驚愕の声とどちらが早かっただろうか。
触手のようなものはマディを捕らえ、あっという間に彼女をどこかへ連れ去ってしまった。
「――シノ! 触手の行く先を確認して!」
「あれは……多分、迷宮の底から、生えてるっす……」
――迷宮?
訳が分からないわ。けれどシノが見たもの以外に、マディの行く先になんの手掛かりもない。
連れ戻さなくちゃ。マディを。
「行くわよシノ。二度目の迷宮探索へ……!」
*
シノが私の部屋から投げ捨てた冒険服一式には、冒険者マーカー、それと今日の昼時に作成した迷宮地下一階の簡易マップも含まれていた。
おかげで城に戻る必要もなく迷宮へ潜ることができる。シノの判断に感謝ね。
映像記録コウモリに冒険者マーカーを挿す。
『リリアナ!? なぜ迷宮に……』
……コメントの、御方?
夕方、迷宮を出た時はちゃんと別れを言えずじまいで後悔していたのだけれど。
まさか、またこうして配信越しにお会いできるとは。
――けれど今は、再会に浸っている場合ではないわ。
迷宮の奥へ歩を進めながら、映像記録コウモリへ視線を向け話しかける。
「コメントの御方、配信を視聴いただきありがとうございます。質問に答える前に一点、お聞きしたいことが」
『……何を聞きたい?』
「外の様子ですわ。コメントの御方、あなたはハイデッガー領にお住まいですか?」
『配信者が、視聴者を個人特定することは禁止されているが……』
それは承知の上。
けれど個人特定禁止条項は、冒険者が担当の税務調査官へ襲撃することを防ぐためのものだ。
住まいを聞くくらいならお目溢しを貰える、はず。
『……リリアナ。お前が気にしているのは、ハイデッガー城下町東部、山火事の状況――そうだな?』
「ええ。消防団の方々が出動されるところまでは見ていたのですけれど。街に火の手が及んでいないか、気になって……」
――もし街が危機的状況であるならば。
人身救助を優先し、マディを後回しにする選択もある……あまり、考えたくはないけれど。
『それは……今のところ、大丈夫だ。その、えーと、あー……』
コメントの御方が言い淀む。
沈黙の間を少し待てば、意を決したような声でコメントの御方が続きを話された。
『領主、が、巨大な氷壁を山の裾野へ展開し火を食いとどめている』
「まあ! ユリアン辺境伯って、そんなにもお強い能力者なのですね」
『……そうだ!』
コホン、とコメントの御方が何故か恥ずかしげに咳払いをした。
「……ううん? 氷の壁、っすか〜……?」
『シノ、だったか? 言ったはずだぞ、視聴者の個人特定は禁止されていると』
「はあ……ま、いいっすけど」
シノが小石を蹴り上げた。いまいち二人の会話の意味が分からないけれど、追究する時間も惜しいわね。
『それでリリアナ、今度こそこちらの質問に答えてもらうぞ。なぜ迷宮にいる?』
……今の状況を、コメントの御方にどこまでお伝えしたものか。
しかしコメントの御方もハイデッガー領在住ならば、完全な部外者ではないわよね。
現況を知る権利もあると見るべきか。
「山火事を起こした方が、迷宮にいるみたいで……ええと、なんと言ったらいいのかしら」
「触手に連行されたっす!」
『なっ……』
シノの明け透けな説明にコメントの御方が驚愕の声を上げた。
『触手だと? まさか……』
『リリアナ達は知らないはず』
『では、やはり事実なのか』
『ハイデッガー領・第一迷宮に伝わる忌み名』
『人喰い迷宮……』
『……もし本当にマディが喰われているのだとしたら』
『反動もなく凶悪な能力を使いこなす姿にも納得がいく、が……』
「……なんでコメントの人が、マディ殿のこと知ってんすか?」
考えを整理するかの如く、独り言を連発していたコメントの御方の発言にシノが横入りする。
ひゅっ、とコメントの御方が息を呑んだ。
『っ! い、いやこれは……』
しどろもどろな返答。ふむ。
私としても、先ほどのコメント内容には思うところがある。
人喰い迷宮――聞き慣れない言葉。
コメントの御方はどうやらここ、ハイデッガー領・第一迷宮について世間に秘匿された情報をお持ちのようだ。
会話の流れからして、山火事の犯人がマディであることも既知。
この二つの点からして、コメントの御方は。
……ハイデッガー領の統治に関係のある人物、その可能性が高い。
「シノ、これ以上の詮索は個人特定に繋がりかねないわ。控えましょう」
「えー、や、個人特定も何も……」
「コメントの御方は恐らく――ハイデッガー領専属、税務調査官よ」
――静寂。シノもコメントの御方も何も発しない。
コメントの御方が否定なさらないなら、きっと正解なのね。
「きっと辺境伯に近しい者から情報を得ているのよ。そうであればマディのことを知っていてもおかしくないわ」
『……そうだな』
『ああ、うん』
『……大体、その通りだ!』
うんうん、と頷くコメントを発声する映像記録コウモリを、シノが怪訝な目で見つめていた。
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