第3話 氷の能力者

 迷宮には階層がある。

 下へ行くほど凶悪な魔物が跋扈ばっこし、比例して財宝や鉱物もより希少なものが産出されるのだ。

 地下階層へ降りるためには、下り階段フロアを縄張りとする凶暴な魔物『階層ボス』を倒す必要がある。


 私たちが今探しているのは一般市民。それも幼子。

 階層ボスの住処すみか、下り階段を降りた可能性は考えなくてよいだろう。

 地下一階のどこかにいるはずだ。


「……いないっすね〜、小童。どこにもいないっす。もう迷宮から脱出したんじゃないっすか?」


 シノがぐでんと頭を垂らし、私の背中にグリグリと押し付けながら呟いた。


「もしも迷い子が既に脱出済みなら、それはそれで喜ばしいことよ」


 扉のようになっている穴を潜り、更に奥の部屋へ。

 ……行き止まり。引き返して、先程の分かれ道まで戻りましょう。

 

 手元の方眼ノート製簡易マップに、確認した場所を書き加える。ついでに足元でうごめいたスライムを満遍なく踏み付けておいた。

 冒険者スタイルで出てきて正解だったわね。探索に必要なものはそれなりに持ってきているもの。


 映像記録コウモリがパタパタと羽をはためかせ、私たちの後を追いかけ続ける。


『……確かにスライムは低級魔物だが』

『かと言って片手間で倒せる魔物でもないはず』

『駆け出し冒険者は核の部分を見極めるのに難儀すると聞く』

『足元を見もせず退治など……』

『おかしい、なんなんだこれは』


 コメントか独り言か区別の付かない発言ばかりね、コメントの御方。

 まあ、私に答えられることくらいは返答しておきましょう。


「コメントの御方、難しく考える必要はありませんよ。スライムの体積分すべてを蹴り飛ばせば、自然と内部の核も破壊できるのですから。退治のためにわざわざ足元を見る必要もありませんわ」


『それがおかしいのだ!』

『スライムはヘドロ状の魔物』

『一箇所に攻撃を与えたところで、ヘドロが左右に避けてしまうではないか』

『それにスライムには再生能力もある』


「ですから、踏み付けた場所からヘドロが脇へ逃げる前に、別の場所を踏み付ければよいのです」


『……何を言っているのか意味が分からない』

『片方の足が水中に沈む前に、もう片方の足を前に踏み出せば、水の上でも走れる……と言うが』

『ヘドロが逃げる前にヘドロを踏むというのは――水の上を駆けるような話ではないのか』

『足が高速で動いている、とでも言うのか?』


「ええ、足を高速で動かせばいいだけですよね」


『……頭が痛くなってきた……』


 あら、大丈夫かしら、コメントの御方。


「コメントの人、映像の見過ぎじゃないっすか?」

「そうね、休憩もなくずっと視聴していらっしゃるし。……私たちも、水分くらいは取りましょうか」

「らじゃーっす!」


 皮革ひかく袋に入れた水を私とシノで交互に飲む。

 ……その瞬間。私たちの足音が消えた静寂に、微かに声が響いた、ような気がした。


「シノ」

「……はいっす! シノにも聞こえるっす」


 シノの耳を頼りに迷宮内を進む。

 幼少期に受けた特殊訓練――シノ曰く『ニンジャ修行』の影響か、シノは常人と比べて聴覚に優れているようだ。


 まだ踏破していない道をシノがズンズンと進む。

 開けた場所へ出た。奥まった場所の床が、地下へ沈み込んでいる。

 

『――下り階段のフロアではないか!?』

『リリアナ、ここは今までの比でなく危険な場所だ』

『早く引き返せ!』


「でも、この部屋にいそうっすよ、小童。泣き声が聞こえるっす」

「壁面が凸凹して窪みになっている場所がいくつかあるわ。きっと隠れているのね。聡明な子だわ」

「おーい、聞こえるっすかー?」


 一瞬、泣き声が止んだ。

 静寂のすぐあと、今度はより大きな叫声がフロア内を満たす。


 音の発生源は、フロアの更に奥。迷い子はどうやら下り階段付近にいるようね。


 しかし妙だわ。下り階段といえば階層ボスの縄張りのはず。

 けれども周囲にそれらしき魔物は見当たらない。

 幼子が下り階段フロアに入れた時点で、この近くにいないと考えるべきだろうか。


 床が地下へ沈み込む、下り階段の上から三段目。

 地上から身を隠すように幼子が座り込み泣いていた。


「――小童、いたっす!」

「よかったわ、もう大丈夫よ」

「……ぅ……」


 うわあああ、と言葉にならない泣声。よしよし、と背中を撫で落ち着かせる。

 年は十歳に満たない子だろうか。膝をすりむいているが、他に目立った外傷はなさそうだ。


『――無事でよかった』


 コメントの御方がふうと息を吐いた。

 引き返せだのなんだの散々仰っていたが、しかしそう言いながらもきっと。

 コメントの御方も、迷子の幼子が心配で仕方なかったのだろう。安堵の色が吐息に乗っている。


「おれ、みんなこまってるから、っく、魔物やっつけようと思って……でも倒せないし、帰れなくて……、ごめんなさい……」

「大丈夫よ。誰も怒っていないわ」

「これで任務達成っすね。小童、一緒に帰るっすよ~」

 

 迷子が座っていた下り階段の、その先へ視線を移すと。

 ――階段の先が、土砂崩れにより埋まってしまっていた。

 これでは地下二階より下へ潜ることはできない。


 迷宮から魔物が溢れ出ているのは、これが原因かもしれない。

 

 本来、魔物は地下へ地下へと降りていく。

 地下深くなるほど魔物が強くなるのはそのためだ。


 しかし地下二階へ降りることができなければ、地下一階で生まれた魔物達は一階に留まり続ける。

 その内、魔物の数は地下一階の許容量を超える。そして地上へ魔物が溢れ出る――推測だが、筋は通っている。


 震えて動けない幼子を、シノがひょいと肩上へ担ぎ上げる。

 

『まだ気を抜くなよ』

『危険な迷宮内であることに変わりはない』

『それに階層ボスが潜んでいる可能性だってある』

『……とにかく無茶はするな!』


「コメントの人、元気っすね。異様に早口っす。いやこの人、早口なのはいつもっすね」


 ……話の内容は正論だわ。

 シノが動けない以上、私が今まで以上に周囲を警戒すべきね。


 そう自分に言い聞かせたからこそ気付けたのかもしれない。

 視界の隅で、何かが動いた。影の動きしか捉えられなかったけれど。


「……シノ! あなたは幼子を抱えたまま、先にフロアを出て!」

「! 承知っす、リリアナお嬢様!」


『――緊急事態か!?』


 コメントの御方の焦り声が聞こえてきた。

 映像記録コウモリに挿した冒険者マーカーは私のものだから、シノを追うことなく私の近くを飛び続ける。


 ゆえに、映像投影ネコを通し配信を視聴しているコメントの御方にも。

 私の眼前に広がる光景が見えているはずだ。


『これは……』

『――オークではないか!?』

『馬鹿な、オークほどの魔物は地下一階に居ないはずだが』

『それが何故、群れを成しているんだ』

『リリアナ! 早く逃げろ!』


 逃げるわけにはいかないわ。シノと幼子がいるんだもの。


 緑の皮膚、人間よりも高い背丈を持つ、筋肉質の怪物。それがオーク。

 大柄な図体の割に、身のこなしは決して愚鈍ではない。


 いくらシノとはいえ、幼子を抱えたままオークを撒くことは難しいだろう。

 ゆえに一匹たりとも逃すわけにはいかない。


 ――オークの群れを、充分に引き付ける必要があるわ。


 ギリギリまで動かない。

 恐怖にすくんだ冒険者を狩る、そうオーク達に勘違いさせる必要がある。

 オークと私の力の差を見せてしまっては、シノたちがいる方向へ逃げられてしまうかもしれないもの。


 一発くらいは殴打される覚悟を、した方がいいわね。


『何をしているリリアナ! 早くその場を離れろ!』

『まさか――今更、怖気づいたとでも!?』

『……ッ……!』


 群れの先頭を走るオークを注視する。

 振りかぶられた筋肉質の腕に狙いを定めて、殴られる一瞬を見極める。

 タイミングよく後退すれば、殴られたとて痛みは少ないはず。


 ジッと、見つめ、後退のために脚に力を込めた――その瞬間。


「……!」


 周囲の空気が変わる。

 温度がグンと下がり肌が粟立つ。


『……ハァっ……!』


 オークの振り上げた拳が。

 ――私の眼前に、私を守るように現れた氷柱を殴打した。


『間に合ったか……!』


 そうか、この氷は。

 コメントの御方が作り出した、盾――か。

 ……能力者、だったのね。


「感謝いたしますわ、コメントの御方!」


 そり立つ氷の盾を、一気に駆け登る。


 コメントの御方が作ってくれた氷の盾が、オーク達の行く手を阻むから。

 これでもう、シノ達の方へ魔物が逃げ出す心配をしなくて済むわ。


 上空へ飛べばオークの群れが見渡せる。

 数は――総計、十六匹。


 ならば十六回、木刀を振り下ろせばそれで終わりね。


「……終わったっすか〜? って、なんすかこの氷の壁」

「コメントの御方の能力によるものよ。さて、帰りましょう」

「冒険者のお姉ちゃん、すご……」


『……この強さ』

『お前は一体、なんなんだ、リリアナ……』


 コメントの御方が唖然とした声を出した。


 私からしたらコメントの御方の素性こそ、不思議に思うけれど。

 配信越しの超・遠距離へ、氷の盾を作り出せるなんて。よっぽどの能力者じゃないかしら。


 まあ――答えられる質問には、応えましょうか。

 それもまた配信者の務めでしょうから。


「コメントの御方、お答えいたします。私の正体、それは――しがない、ただの人妻ですわ」

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ダンジョン配信唯一の視聴者は形だけの結婚相手【旦那様】なのだと知らないのは私だけの模様です ささきって平仮名で書くとかわいい @sasaki_hiragana

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