第8話 実はお転婆なプリムローズ / 邪悪なクリントたち
※アルバータスside
「旦那様。プリムローズ先生がお部屋を移りたいそうです」
執務室で書類に目を通していたアルバータスのもとに、執事が報告に現れた。
「なぜだ? 用意された部屋が気に入らなかったのか?……まぁ、好きにさせてやれ。姉上が寄こした教育係だ。できるだけ自由にやらせればいい」
アルバータスは無関心な声で答えたものの、暗い面持ちで深いため息をついた。
アルバータスは亡き妻ラベンダーを心の底から愛していた。淡い紫の髪と瞳を持つ儚げな美しさ、そして優しさ――彼女はまさにラベンダーという名前にふさわしい女性だった。しかし、双子を産んでまもなく彼女はこの世を去った。
――あの子たちが憎いわけじゃない。ただ、あまりにも顔立ちがラベンダーに似ているんだ。それを見るのが辛いのさ。
アルバータスが大食堂で、双子たちと共に食事をしないのにも理由があった。そこは彼とラベンダーが最も多くの時間を共有した場所だった。愛しい思い出が詰まったその空間で過ごすたび、彼女の笑顔が脳裏に蘇り、胸を締め付ける。だから、あえて避けていたのだ。
執務に没頭するのは、現実逃避の一環でもあった。仕事に身を沈めている限り、亡き妻のことを考えずに済む――少なくともアルバータスはそう信じていたのだった。
翌日もアルバータスが早めに屋敷に戻ると、庭から子供たちの笑い声が聞こえてきた。気になって足を向けると、砂場で何やら楽しそうに遊ぶ姿が目にはいる。スカートをたくし上げて熱心に砂を掘るプリムローズ。そのそばで、双子のチャスとデニーが目を輝かせて手伝っていた。
――砂遊びだと? あの年でまだそんなことを……なにを教えに来たんだ?
眉をひそめながらも足を止め、様子を伺った。
「見て、このお城はね、初代アレキサンダー王の城を模しているのよ」
プリムローズは手を動かしながら楽しげに語る。
「この王様は、王国統一の記念にこのお城を建てたの。特徴は、周囲を取り囲む堀ね。まずは溝を掘りましょう」
「僕が溝を掘る!」
デニーがシャベルを手に意気込んだ。
「じゃあ、僕が水を持ってくるよ!」
チャスがバケツを持って走り去る。
「いいわね、デニー。その溝を深く広げて。城を守る堀を作るのはとても大事な仕事よ」
「わかった!」
デニーは懸命に作業を続けた。しばらくすると、チャスが水を運んできた。
「堀に水を入れてみるね!」
チャスが言い、慎重に水を注ぎ始める。プリムローズは微笑みながら、二人の作業を見守った。
「上手よ、チャス。でも、水を入れすぎないように注意してね。堀が崩れてしまうから」
「了解!」
チャスは誇らしげに頷いた。その間にデニーが掘り終えた溝を整えながら言う。
「堀はできたよ、次はどうする?」
「次は城壁を作りましょう。敵を防ぐために、堅固な壁を築くの」
「僕がやる!」
デニーが砂を盛り上げて壁を作り始めた。
「それなら、僕は塔を作る!」
チャスも砂を積み上げて塔の形を作り出す。
プリムローズは微笑みながら双子の作業を見守り、時折手を貸しながらお城の形を整えていった。しかし、そのとき――
デニーが大きな砂の塊を掴み上げると、いきなりチャスが作った塔の上に置こうとした。
「ちょっと待てよ! なんで僕の塔にそんなもの置くんだよ!」
チャスが怒りの声をあげた。
「だって、塔をもっと強くしたかったんだ!」
デニーも負けじと反論する。
「こらこら、喧嘩はやめなさい!」
プリムローズが間に入った。
「先生が言ったじゃないか。城を守るには堅固にするべきだって!」
デニーが口を尖らせると、プリムローズは苦笑した。
「そうね。でも、初代王は家臣たちと協力して国を守ったの。あなたたちも協力しなければ城は完成しないわ。初代王はただの戦士ではなく、外交の達人だったの。他国との話し合いで平和条約を結び、多くの争いを防いだのよ。その条約というのはね――」
「……すごいな! 僕もそんな人になりたい!」
「ふふ、そうなるには、これからたくさん勉強が必要ね。さぁ、そろそろ戻りましょう」
「えぇー! いやだ! もっと遊びたい!」
「ボールケルをしようよ! 先生も一緒に!」
チャスが悪戯っぽい表情で言い出した。
「私はそんな遊びはできないわ。女性がするものではないもの」
双子はニヤリと笑う。
「えー、本当に先生なのにできないの?」
「狩りもできないんでしょ? エリザベス伯母様は得意なんだよ」
その言葉にプリムローズの表情が一瞬凍りついた。狩りの事故で両親を失った辛い思いが、一瞬彼女の胸を締め付ける。
背後でそれを見ていたアルバータスが一歩前に出た。エリザベスの送ってきたプリムローズの経歴に、不幸な両親の事故死のことが書いてあったのを思い出したからだ。
「チャス、デニー。屋敷に戻れ。先生に失礼なことを言うな!」
突然の叱責に双子は驚き、怯えた表情を浮かべた。父親が見ていたなんて、城造りに夢中でまったく気づいていなかったのだ。
「アルバータス様、ご配慮ありがとうございます。でも、これは私への挑戦ですから、私のやり方で解決します」
そう言うと、プリムローズはボールケル用の広場へ歩み寄り、勢いよくボールを蹴り上げた。完璧なフォームでボールが弧を描き、ゴールへ吸い込まれる。
「……嘘だろ?」と呟くアルバータス。
「先生、すごい!」と興奮するデニー。
「やばいな、あの先生……」とチャスが呆然とつぶやいた。
プリムローズは微笑みながら双子を振り返った。
「さぁ、次はどちらがゴールを守る?」
※クリント(プリムローズの伯父)side
「父上、プリムローズはいったいどこで働いているのでしょう? どうやら学園を辞めたようですね」
「ああ、そうらしいな。どこに行ったのか気になって学園長に問い合わせたが、教えられないと突っぱねられたよ。あの女侯爵め、王家からの信頼が厚いからといって、随分と傲慢な態度だった。こちらは伯父として知る権利があると言ってやったのに、生徒の個人情報は本人の同意がなければ明かせないと抜かしおった」
「気にすることはありませんわ。あの子は、もはや貴族ではなく、学園も卒業していない身分ですもの。働き口なんて限られていますわ。どうせ娼館か酒場のようなところで、肌を露出して生計を立てるしかないでしょう」
「愚かな娘だ。私の言うとおりにしておけば、羽振りのいい貴族の奥方にしてやったものを。プリムローズはそれなりに愛らしい顔をしているからな。老貴族の後妻にでもさせて、たっぷり支度金をせしめるつもりだったのに」
「父上、プリムローズは亡くなったエルザ叔母様に似て、実際はとてもお転婆なんですよ。木に登るわ、狩りをするわ。子供の頃は僕よりも力持ちだったぐらいだ。それに理屈っぽいところもあります。老貴族の後妻なんてつとまりませんよ。老貴族が見たら卒倒してしまいます」
「まぁ、両親に似て生意気だからな。しかし、あの弟夫婦は実に都合のいい趣味を持っていたものだ。おかげで、事故に見せかけて……」
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※ボールケル
この世界の 平原地帯で遊ばれる伝統的な「足技の競技」。2つの石の門(ゴール)にボールを蹴り入れることで得点を競う。手を使うのは反則とされる。こちらの世界のサッカーのようなもの。
※ボール
獣の革を縫い合わせ、中に藁や羊毛を詰めて作ったもの。耐久性に乏しいため、時折破れて試合が中断することもある。
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