第9話 楽しいボール遊び / プリムローズ?

 ※アルバータスside



「次はどちらがゴールを守る?」


 プリムローズの声に、双子は勢いよく手を挙げた。


「僕がやる!」

「違うよ、僕が先だ!」


 二人の小さな言い争いを笑顔で見つめながら、プリムローズはボールを軽く足元で転がした。運動神経には自信があるが、子供たちにどの程度力を抜いて接するべきか、そこが彼女にとっての課題だった。


「順番にやりましょう。まずはチャスから。さあ、ゴールを守って!」


 チャスがゴールの前に構えると、プリムローズは一歩下がり、軽く助走をつけてボールを蹴り上げた。その動きは無駄がなく美しい。ボールは見事な弧を描き、チャスの手をかすめてゴールネットに吸い込まれた。


「先生、やっぱりすごいよ!」

「嘘だろ!」


 デニーが目を輝かせて叫び、チャスはまた唖然とした表情を浮かべる。プリムローズは口元に手を当て、いたずらっぽく笑った。


 次にゴールを守ることになったデニーも挑戦したが、プリムローズの軽やかな動きと鋭い蹴りに圧倒され、ボールは次々とゴールへ飛び込んだ。双子たちは負けた悔しさよりも、彼女の実力に夢中になり、何度も挑戦を申し出た。


 広場は笑い声と歓声でいっぱいになり、プリムローズも汗をかきながら二人に応じてボールを蹴り返した。その時、少し離れた場所から冷たい声が響いた。


「いい加減にしろ! ルドマン侯爵家の血を受け継ぐお前たちが、泥まみれで遊ぶとは行儀が悪いぞ!」


 アルバータスが近づいてきて、三人を見下ろすように睨んだ。双子はすっかり萎縮しており、足元を見つめる。だが、プリムローズは少しも怯まなかった。彼女は汗を拭いながら微笑み、肩をすくめてみせた。


「身体を動かすことは頭を冴えさせますし、五歳の男の子が泥だらけになるのは自然なことです。むしろ、こうして健康的に遊ぶ方が彼らの教育には良いと思います」


「教育だと? 品位というものがあるだろう。プリムローズ嬢も伯爵家の人間だったのだぞ。そんな泥まみれで――女のくせにはしたない」

 アルバータスは眉をひそめる。


「まぁ、アルバータス様は運動神経が鈍いのでしょうね。だからこういう楽しさが分からないのですわ」 


 プリムローズが少し挑発的に言った。


「なに?」


 アルバータスの顔が険しくなる。彼は上等な上着を乱暴に脱ぎ捨て、ボールを拾い上げると、力強く蹴り返した。


「見ていろ。双子たちにお手本を見せてやる!」


 その言葉に双子は目を輝かせた。


「お父様もやるの?」

「僕たちと勝負する?」

「当然だ!」


 最初はぎこちなかったアルバータスも、徐々にゲームに夢中になり始めた。彼の蹴るボールは次第に正確さを増し、子供たちの守るゴールを見事に突破した。


「これこそが正しいボールの蹴り方だからな!」

 アルバータスが熱心に双子たちに説明すると、双子たちは嬉しそうに頷いた。

 

 プリムローズは思わず微笑みながら、彼の顔を見つめる。だが、次の瞬間、アルバータスはプリムローズに向かって余計なひとことを言ってしまう。


「やはり、女性は屋敷のなかで刺繍や編み物を、おしとやかにしているのが一番だ。このような遊びは、男がするものと決まっている」


 プリムローズは本気でボールを奪いに走り、しなやかな動きでアルバータスの防御をすり抜けた。


「まだまだ甘いですわね! 女性の実力を見せてさしあげますわ」


 二人は本気になり、互いにゴールを目指して競い合い始めた。庭園に響く笑い声と声援。双子たちは歓声を上げながら駆け回り、気づけば全員が泥だらけだった。


 「先生! がんばれーー」

 「お父様ーー、負けるなーー!」


 プリムローズとアルバータスは息を切らしながらも、子供のように笑い合う。その瞬間だけ、彼らの間にあるぎこちなさが薄れ、広場には暖かい空気が流れたのだった。





 外で遊び疲れた双子たちは、身を清めると程なくしてウトウトと眠り始め、自然と昼寝の時間になった。サロンの広々としたソファでは、双子が肩を寄せ合いながらスヤスヤと安らかな寝息を立てている。その光景を見つめていたプリムローズも、ふと大きなあくびを漏らし、気づけばその傍らで身を横たえて眠り込んでしまっていた。


 しばらくして、部屋に足を踏み入れたアルバータスの視線が、三人の寝姿にとまる。双子の間に挟まれたプリムローズの顔は、無邪気な子供のように見えた。


「まったく……教育係というより、賑やかなお転婆娘が一人増えただけだな」


 呆れながらも微笑を浮かべ、アルバータスは肩をすくめた。そして視線を向けたメイドに、穏やかな口調で指示を与える。


「この三人に毛布をかけてやれ。風邪をひかせるわけにはいかないからな」


 そう呟く声には、どこか温かみが滲んでいたのだった。




 アルバータスはその夜、大食堂へと続く長い廊下をゆっくりと歩いていた。そこには、彼の心に深く刻まれた思い出が満ちている。妻ラベンダーとの日々を思い出すたびに、胸が締め付けられるような切なさを覚えた。それでも今夜は、大食堂から聞こえてくる楽しげな笑い声に誘われるように、その扉へと足を運んでいた。


 扉を開ける前、彼の脳裏にはかつての光景が鮮明に浮かんでいた。棚には妻が愛した金細工の燭台や、銀の花瓶が整然と並び、眩い光を放っている。特に目を引くのは、ラベンダーが熱心に集めた陶磁器のコレクションだ。どれも希少で美しい工芸品ばかりだった。黒檀の長いテーブルには精緻な彫刻が施され、その周囲ではかつて、華やかな宴が幾度も催された。アルバータスにとってその大食堂は、彼自身の栄光と失った幸せを象徴する聖域でもあった。


 しかし扉を開け、足を踏み入れた彼は、目の前の光景に言葉を失った。なぜなら……






 ※スライside


 スライは市場を歩きながら、籠にいくつかの果物を放り込んでいた。市場での買い物は彼の楽しみの一つであり、気分転換になるうえ、珍しい果物を見つけるのが何よりの楽しみだったからだ。


 そのとき、ふと隣の八百屋の前から、声をひそめて話している二人の女性の声が耳に入った。エプロンを身につけたその二人は、アルバータスの屋敷で働くメイドたちだった。


「本当にびっくりしたわよね。坊ちゃんたちの先生って、とてもお転婆なんですもの」

「ボールケルがすっごく上手だったわ。それにしても、チャス様とデニー様たちのあんなに楽しそうな姿、初めて見たわ。良い先生が来てくれて良かったわよね」

「でも、あの先生、両親を亡くしたばかりなんですって。伯爵令嬢だったって話よ。ああいうお転婆な性格なのに、黙っていれば上品で愛らしいのも納得だわね」


 スライはその言葉に動きを止めた。話題に上っているのが誰なのか、なんとなく察しがついたのだ。

 

「プリムローズ?……」

 彼は小声で呟いたのだった。


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