第6話 双子に無関心すぎるアルバータス
「なっ、なんてことを……先生、大丈夫ですか?」
侍女長が慌てふためき、メイドたちに向かってタオルを持ってくるように叫ぶ声が響いた。
プリムローズは濡れた髪をタオルで拭きながら、扉の上を見上げる。バケツが斜めに傾き、すっかり空っぽになってぶら下がっている。そのバケツには糸が結ばれており、扉の動きに合わせて仕掛けが作動するようになっていたのだ。
――これって、双子の仕業よね。
ため息をつきながらも、プリムローズは思わず苦笑してしまった。あの無邪気な双子の顔が脳裏に浮かぶ。おそらく、このいたずらを計画しながら彼らは楽しそうに笑っていたに違いない。どこか微笑ましくもあり、しかしやはり手を焼きそうだと感じさせられた。
「まったく、やんちゃな子たちね……最初からこんな歓迎の仕方だと、先が思いやられるわ」
自分の濡れた服を整えながら呟いたその言葉には、ほんの少しの苛立ちと呆れが滲んでいた。プリムローズはそもそも子供が得意ではない。子供が天使のようだとか愛らしい存在だとか、そんな理想化されたイメージには全く共感できなかった。実際の子供は、悪戯好きでわがまま、そしてときに大人を振り回す存在だ。
やがて、侍女長が厳かな声で屋敷の主が帰宅したことを告げると、プリムローズは急いで玄関ホールへと向かった。すでにチャスとデニーの双子は緊張した面持ちで並んでおり、その隣にプリムローズも並ぶ。使用人たちも一列になって出迎えた。
「お帰りなさい! お父様!」
「お父様、お帰りなさい! 今日はね、新しい教育係の先生が来たんだよ」
二人が元気よく声を揃えたその瞬間、扉がゆっくりと開き、アルバータスが姿を現した。淡い金髪と冷たい青い瞳を持つ美貌の男性だった。長身で引き締まった体躯は堂々としており、背筋の伸びた佇まいからは一流の事業家としての風格が漂っている。だが、その冷たい視線が双子たちの顔をまったく捉えないことに、プリムローズは驚かされた。
「……あぁ、だから今日は早く帰ってきたんだ。姉上が寄こした教育係は君か? なるほどね、いつまでもつかな」
アルバータスの目はプリムローズに向いてはいたが、彼女を本当に見ているわけではなかった。その淡々とした声には感情がほとんど感じられず、あくまで無関心なことが読み取れた。
双子たちは父親の態度に特に驚くこともなく、まるでそれが当たり前であるかのように静かに立っていた。しかし、二人の瞳の奥にほんの少しだけ影が差しているのをプリムローズは見逃さなかった。
――この子たち、傷ついてるんじゃないかしら? それとも、いつもこんな態度だから慣れてしまったの? そんなのとても良くないことだわ。
「ご子息たちの教育ですが、基本的なマナーや挨拶の仕方などから始めたいと思いますわ」
プリムローズは、歩き去ろうとするアルバータスに向けてわざと明るい声を出した。振り返る素振りすら見せない彼の背中に向かい、さらに続ける。
「では、最初のお父様への挨拶から教えますわ。チャス様、デニー様。お父様は聞こえなかったようですから、もう一度『お帰りなさい』とおっしゃってください」
双子は首を傾げながらも、再び声を揃えた。
「お父様、お帰りなさい!」
今度はアルバータスも動きを止めた。彼は冷たい瞳を細めて双子たちに目を向け、そして面倒くさそうに棒読みのような声を出した。
「ただいま。これでいいか?」
双子たちはそれでも嬉しそうに、にっこり笑った。その表情を見て、プリムローズは心が揺さぶられるのを感じた。
――どうしてこんなに嬉しそうなの? こんなに、心のこもっていない返事なのに。
早くに母親を亡くした双子は、父親に関心を持ってもらえない寂しさに慣れてしまっているのだろう。それでも、一瞬でも父親が自分たちに目を向けてくれたことが嬉しいのだ。
その光景に、プリムローズは胸の奥が締め付けられるような気持ちを覚えた。彼女自身は愛情深い両親に育てられ、両親の眼差しや温かい言葉に常に守られてきた。だからこそ、この双子たちの寂しさが一層際立って見えたのだ。
――子供は苦手よ。……でも……この子たちは可哀想だわ。
プリムローズは自分でも意識せずに、双子たちに寄り添うような気持ちを心に抱き始めていたのだった。
子供たちへの授業は明日から始まることになり、プリムローズは自室でカリキュラム作りに没頭していた。どのような授業からスタートし、どうすれば子供たちの興味を引き出せるか。それが彼女にとって最も重要な課題だった。
まずは基本的なマナーがどの程度身についているかを確認する必要があるし、場合によっては社交の基礎も教えなくてはならない。何しろ、チャスとデニーはエリザベス・ルドマン女侯爵ーー王立貴族学園の学園長でもある女性の甥である。
エリザベス自身は独身であり、甥のどちらかがルドマン侯爵家を継ぎ、もう一方が父親のルドマン大商会を引き継ぐことになるだろう。いずれにしても、高度な教育と専門的な知識の習得は必須であり、彼らの未来を支える基盤として必要不可欠なものだった。
あれこれと思案していると、侍女が部屋の扉をノックした。
「ディナーの時間でございます。こちらで召し上がりますか? それとも、大食堂で召し上がりますか?」
――妙なことを聞くのね。ディナーといえば、家族で大食堂に集まるのが普通じゃないの?
「差し支えなければ、皆様と一緒に大食堂でいただくわ。チャス様とデニー様の食事のマナーも確認したいし、何より大勢で食べた方が楽しいでしょう?」
侍女は少し困ったような顔をしながら答えた。
「ええと……旦那様はいつも執務室でお召し上がりです。チャス様とデニー様も、それぞれ自室で召し上がることがほとんどでして……」
「え? 幼い子供たちを、自室でひとりきりで食事させているですって?」
プリムローズは驚きと憤りを隠せず、思わず声を荒げた。子供たちの心の成長に食卓での家族の時間がどれだけ重要かを知っている彼女にとって、この状況は到底受け入れられるものではなかった。
立ち上がった彼女は侍女に毅然と言った。
「準備を整えて、子供たちにも大食堂に来るよう伝えてちょうだい。彼らがどのような環境で育ってきたのか、まずは自分の目で確かめたいの。それと、これからは毎日、私は大食堂で子供たちと食事をいただくつもりよ」
侍女が戸惑いながら退出していくのを見送り、プリムローズは深く息をついた。彼女の胸中には、不安よりも使命感が芽生え始めていた――この家に染みついた歪んだ習慣を正し、子供たちに家族としての温かさを教える。それが自分に課された役目なのだと。
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