第7話
「一応、話はわかりました」蓮野のデスクに腰掛けながら、茂野が言った。「どういうことかは、まったくわからないけど。とにかく、何かヤバいことが起きてる。そういうことよね?」
「まとまりのない報告ですみません」
慶太は項垂れながら言った。「僕自身、どう考えたらいいかわからなくて。でも――」
「四人が消え、一人は不可解な状況で死亡していた。何かに追われでもしたように、階段から転落して」状況を整理しようとしてか、茂野がそう呟く。「早瀬奈緒さんがいた店の店長は、その件を知らなかったのかな」
慶太は首を捻った。「知らなかったみたいですね」
「だとしたら、警察が捜査を進める前に、事故ということで落着したのかもね」そして、沈鬱そうに伏せていた目を上げ、慶太と未都を見た。「報告してくれてありがとう。このことはわたしから、警察に確認を入れておく。その時、行方不明者の件も話して、捜査してくれるように頼んでおくから」
茂野の畳みかけるような口調に、慶太は思わず眉をひそめた。
「茂野さん、まさか――」
「この件の調査はこれで終わり。依頼人には事情を説明して、納得してもらう。以上!」ぴしゃりと言ってから、茂野は心配そうに慶太の表情を覗いた。「気持ちはわかるけど、しょうがないの。リスクを犯してまで、それに見合わない仕事をするわけにはいかない。この件のために、あなたたちの身を危険に晒す必要なんて、これっぽっちもないんだから」
「それは、そうですけど――」
もごもごと口を開いた慶太の腕を、未都が脇から引っ張った。余計なことは言うな、と言いたいらしい。
茂野はこちらを見もせずに、乱雑なデスクの上を見渡していた。やがて、肩をそびやかして振り向くと、話は終わり、と言い放った。
「二人とも、今日のところは帰宅して。後のことは気にしなくていいから。ああ、そうだ。広江君、預けておいた蓮野の手帳、返しておいてね。また、頼みたい仕事があったらこちらから連絡する」
翌日、家を出たのは十時過ぎだった。起床したのは九時半。いつもはもっと早く起きるのだが、昨夜なかなか寝つけなかったせいで、寝過ごしたのだ。寝つけなかったのは、調査の打ち切りについて悶々と考えていたせいだろう。
その挙句に、講義の時間に遅れ、今は吹っ切れたような気分でいる。
その時、リュックの中のスマートフォンが呼び出し音を響かせた。慶太は舌打ちして、スマートフォンを取り出した。思ったとおり、未都からだ。
「慶太? 今日、来るって言ってなかった? もう、講義終わったよ」
「わかってる」寝過ごしたんだ、と言い訳がましく言いそうになって、慶太は口をつぐんだ。
「慶太?」
「その―― 調査を続けようと思って。茂野さんにはああ言われたけど、ここまで来て、引き下がれないよ」
驚いたのか、未都は少し黙った。「でも――」
「危険かもしれないけど、そこは上手くやるつもりだ。それに、どっちにしろ、蓮野さんを放ってはおけない。何とかして捜さないと」
電話越しに、未都のため息らしきものが聞こえた。
「そうか。そうだよね…… 気持ちはわかるよ」
「心配かけてごめん」
「ううん。でも、茂野さんに怒られないかな?」
確かに、知られれば色々と気を揉ませるだろう。「じゃ、後で連絡を入れとくよ。話せばわかってくれると思う」
「そうね。で、どこに向かってるの?」
慶太は思わず、え? と聞き返した。「おいおい。まさか――」
「まさか、って何? わたしだって、ここまで協力してきたんだからね。慶太が、続ける、っていうなら、わたしだってやるよ」
無駄な抵抗と知りつつ、危険だ、とか何とか言ってみたが、やはり無駄だった。一時間後、慶太は未都と目的地の最寄りの駅で落ち合っていた。
「未都――」
「わたしを置いていくなんて、そう簡単にはいかないんだからね!」勝ち誇ったように言う彼女は、昨日と打って変わって元気そうに見える。
駅の雑踏を避けて歩きながら、慶太はこう言わずにおれなかった。
「こんなこと言いたくないけどさ。昨日のこともあるし、無理しないほうがいいんじゃないか?」
痛いところを突かれたらしく、未都はきゅっと口の端を引き締めた。「昨日のことは、ごめん。情けない姿を見せちゃって。お手伝いとはいえ、仕事中に見せていい態度じゃなかったね」
そんなことを言ってるんじゃない、と言おうとしたが、未都は覆い被せるように言った。
「わたしは大丈夫。だから、泣きべそをかいてる子供みたいに扱わないで。わたし、こう見えて、二一なんだよ」
「わかってるよ」うろたえながら、慶太は言った。
そんなつもりはなかったのに、という、もどかしいような思いが、彼を捉えていた。未都に対して、こういった種類の感情を抱いたことがなかっただけに、その戸惑いは強かった。
けど、言われてみれば、確かに未都ももう大人の女性だ。ずっと、子供の頃と同じという感覚できたけど、むしろそちらのほうが不自然だったのかもしれない。
未都の両親は、彼女によると、ずっと彼女を支配下に置こうとしてきたそうだ。常に、何もできない子供のように扱い、親子という大義名分の下、彼女の自由を奪ってきた。そのせいで、未都は長らく、自信のなさや、臆病さに囚われてきたのだという。
そんな彼女だからこそ、幼馴染みである自分が大人として扱ってくれるかが重要に思えるのかもしれない。
「それで、最初の目的地はどこ?」
「早瀬奈緒の自宅。――ああ、あのマンションだよ」前方に見えてきた、ワンルーム・マンションとおぼしい建物を指して、言う。
「でも、奈緒さんの部屋って、もう契約解除したんじゃなかった?」
「そうだよ。でも、近所の人の話は聞けるかな、と思って」
早瀬奈緒の部屋は二階の一室で、隣室の住人はショートヘアの三十代の女性だった。ドア・チェーン越しにおそるおそる外を覗いた彼女は、相手が若い男女だと知ると、やや警戒心を解いた様子だった。
「探偵さんですか? あの、どういう――」
「お隣に住んでいた早瀬奈緒さんについて調べています。彼女のこと、ご存じですか?」
「あ、ええ」そう言うと、女性はチェーンを外してドアを大きく開けた。「それほど親しくなかったですけど、会えば挨拶くらいはする仲でした」
「そうですか。早瀬さんがいなくなったのは、六月頃――?」
少し考え込み、「そうです。その頃です」
「その頃、何か気になることはありませんでしたか?」
「いえ、あの」少し躊躇ってから、彼女は再び口を開いた。「その頃というか、少し後に、早瀬さんを探しているという方が来たことがあります」
慶太ははっとした。まさか、蓮野か?
「それはどなたです?」
「早瀬さんがお付き合いしてた方の、お母さん―― です」
その返事を聞いて、慶太の肩から幾分力が抜けた。「付き合ってた方の、ですか」
「というと、岩岡さんですか?」横から、未都がそう尋ねた。
よく恋人の名を覚えていたな、と慶太は内心、驚いた。
「はい、そうです。その方です」
「その人のお母さんが、どうしてここへ? どういう用件でいらしたんです?」
女性の返事は、慶太が恐れながらも半ば予想していたものだった。
「何でも、息子さんと連絡がつかなくなった、とかで。旅行にでも行っているのかと思い、あちこちに聞き回っている、ということでした」
また、行方不明か。――寒気のようなものを覚えながら、慶太は心の中で呟いた。
「その方から連絡先などは?」
「ああ、貰ってますよ。お渡ししましょうか?」
できれば、と告げると、彼女は身を翻して室内に消え、数分で戻って来た。「これです」差し出されたのは、名刺だった。
礼を告げて、マンションを出ると、慶太は名刺を取り出した。――岩岡光枝。職業は、大学教授とある。名前の横には電話番号とメールアドレスが印刷されていた。
「とりあえず、連絡してみよう」慶太はそう言うと、スマートフォンを取り出した。
「そうなの」スピーカーから聞こえる茂野の声は、やや落ち着きを取り戻していた。
岩岡の自宅へ向かう前に報告しよう、と事務所に電話をかけ、茂野に事の次第を打ち明けたところだ。最初は反対していたものの、蓮野の行方を突き止めたい、という慶太の決意を聞くと、茂野はトーンダウンした。
「そこまで言うなら、しょうがない」あなたに、蓮野を捜すな、って言うことはできないしね、と低く付け加える。「で、これからどこに向かうの?」
「岩岡寛人さんの母親に会いに行きます」
話を聞きたい、というこちらの求めに、岩岡光枝は快く応じた。こちらの身許や目的を多少怪しんでいる風ではあったが、そんなことより息子の居場所についての手がかりを得たいのだろう。
「岩岡寛人、というのは早瀬奈緒さんの恋人だったっけ」茂野は記憶を探りながら言った。「その恋人も、失踪しているというわけね。これで、蓮野、鞠川、早瀬とその妹、妹の恋人、と行方不明者の連鎖が続いている、とわかったことになる。そうよね?」
「そうですね」
茂野はどこか覚束ない、不安げな声で言った。
「連鎖だなんて、想像で言ってしまったけど。それだけ続くと偶然とは考えにくい。この先、何が待ち受けているかわからないから、気を付けて」
「わかりました」
この先、何が待ち受けているか―― 茂野の忠告を繰り返しながら、慶太は電話を切った。
この連鎖に終わりがあるのなら、そこには何が待ち受けているのか。得体の知れない不安こそあれ、具体的なことはまるでわからないのが現状だ。リスクがあるのか。あるとしたら、どういったことが起こり得るのか。未都のためにも、危険はなるべく避けなくてはならない。
岩岡光枝の自宅は、N市の郊外に位置していた。電車を乗り継いで向かったそこは閑静な住宅地で、人通りが少なくやや静かすぎるきらいはあるが、感じのいい町並みが広がっていた。幹線道路から路地へ入り、しばらく行くと、目指す家が見つかった。
「ここみたいだ」表札に目を留めながら言う。
岩岡寛人は、ここで両親と同居しながら大学に通っていたらしい。
インターホンを鳴らすと、応答もそこそこに、すぐ玄関ドアが開いた。まるで、こちらを待ち侘びていたように。
現れたのは、背の高いグレイヘアの女性だった。
「電話をくださった方ね。さあ、どうぞ。お上がり下さい」きびきびとした口調で言って、ドアを大きく開く。
二人はお辞儀をして、玄関ドアを潜り抜けた。
岩岡の家は、最近建てたものではなく、築二十年は経っているのではないかと思われた。モルタルの壁で、屋根は青い瓦。どこもかしこもどっしりとしている印象だ。家の中に足を踏み入れると、古い家に特有の劣化した建材の匂いがした。
こちらを客間に通し、お茶を出すと、岩岡光枝は向かいのソファに腰掛けて口火を切った。
「それで、お話というのは?」
落ち着いた口調だが、こちらが何か言うのをじりじりしながら待っているのが感じられた。
「電話でお話ししたとおり、僕たちは早瀬奈緒さんの行方を追っている探偵です。調査の過程で、奈緒さんの恋人の岩岡さんもまた、行方がわからないと知り、事情を伺いに来ました」
慶太がそう告げると、相手は頷き、やがて、ほっとため息をついた。
「早瀬奈緒さん、ね。――わかりました。知っていることをお話しします」
「よろしくお願いします」
「といっても」彼女は視線を落とし、テーブルから湯飲みを取り上げた。「大してお話しすることはないんです。息子が行方を晦ませた時、わたしたち夫婦はこの家にいなかったので」
「というと?」
「研究のため、沖縄に行っていたんです」苦悩するように眉を寄せながら、そう答えた。「今年の五月の頭から、ひと月以上。――わたしも夫も考古学が専門で、旅行は毎年の恒例行事のようなものでした」
五月というと、岩岡寛人がいなくなった頃か。「いつ、戻られたんですか?」
「六月初旬です。旅行の間、息子とはまったく連絡を取り合っていなくて。息子ももう二十歳過ぎだし、そういうものだろう、と思ってたんです。家に帰っても、姿が見えないことにさほど違和感は感じなかった。出かける前に、付き合ってる彼女と旅行に行く、とか言っていたし、それで出かけているんだろう、と勝手に納得して。でも、数日経っても帰ってこないし、連絡もなくて、その時ようやく、何かおかしい、と気づいたんです」
なるほど。岩岡光枝の苦悩のわけは、息子の失踪になかなか気づけなかった、というところにあるのだろう。そのことで、彼女は自分を責め続けているのかもしれない。
「それで、初めのうちは、恋人のところにいるのかも、と思われたんですね?」
「ああ、ご存じなんですね。ええ、そう考えた時期もありました。早瀬奈緒さん―― あの方も行方がわからないと聞いて、きっと一緒にいるんだ、と思ったんです。二人でどこかに雲隠れしているんだろう、と。だって、そう考えるのが自然じゃありません?」
ごく普通の問いかけだが、その声には必死さが垣間見えていた。
「そうですね」
「実を言うと、息子がいつ家を出たのか、正確なところはわからなくて。だから、もしかしたら、早瀬奈緒さんがいなくなった日とは別の日なのかもしれません。彼女の失踪は、息子とは関係がない、ということもありえるんです」
「そういうことなら、おっしゃる通りですね」慶太は同意した。「息子さんについて詳しく教えていただけませんか。普段、どんな生活を送っていたのか、とか」
「どんな、って言っても。そうですね――」
岩岡光枝は考えあぐねた。「息子は大学院生なんです。いつも、とても忙しそうにしてて。効率的に時間を使いたい、と口癖のように言ってました」
おそらく、家族全員、忙しくて、すれ違いが多かったんだろうな、と慶太は想像した。
と、未都が口を開いた。「息子さんはアルバイトはされていましたか?」
岩岡光枝はきょとんとしたのちに頷いた。
「ええ、ええ。家庭教師のアルバイトを。すっかり忘れてました」
目をぱちぱちさせ、さらに続けた。「相手は確か、高校生の女の子でした。去年からその仕事を始めて、実入りがいいと言って喜んでいたのを覚えてます」
「その方の連絡先はわかりますか?」
「わかると思います。実は、息子の部屋から携帯が見つかって。それを見て、旅行じゃなかったんだ、とわかったんですが。だって、今時の若い子が携帯を置いて旅行に出かけるわけがないでしょう?」首を振りつつ、「それで、その携帯を調べてみたんです。業者に頼んで、ロックを開けてもらって。ですから、アドレス帳を見れば連絡先がわかるはずです」
そう言うと、彼女は立ち上がり、早足で部屋を出て行った。
しばらくして戻ってきた岩岡光枝の手には、古い型のスマートフォンが握られていた。
「これです。ちょっと待ってくださいね」そう言い置いて、スマートフォンを操作し、画面をこちらに向けて差し出した。「これが、そのお宅だと思います」
慶太はアドレス帳が表示された画面に視線を走らせ、慌ててメモを取った。
名前は、御崎ハル。その下に電話番号と住所が表示されている。
「最近、この方と連絡を取られましたか?」未都が尋ねた。
「いいえ。アルバイトのことは忘れていて―― 聞かれて、ようやく思い出したんです」やや呆然とした調子で、岩岡光枝は答えた。
さらに幾つか質問したが、実のある返事は返ってこなかったので、慶太は丁重に礼を述べて腰を上げた。
すると、岩岡光枝が思い詰めた顔でこう言った。「この携帯電話、何かの役に立つようでしたら、お持ちになってください」
「いいんですか?」差し出されたそれを、慶太は受け取った。
「ええ」目を伏せつつ、「わたしが幾ら調べても、これ以上は何も見つからないと思うから。こうしたほうが、あの子のためだという気がするんです」
「――わかりました。後で、必ずお返しします」
再度礼を告げて、慶太は岩岡家を去った。岩岡光枝は、相変わらず考え込むような表情のまま、こちらを見送った。
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