第2話
〇月〇日
依頼者からの話
ボイス・レコーダーをもとにこのメモを書いてる。息子は快活で行動的だが、軽率なところもある、と話す。どうも、その軽率なところがマズい事態を招いたんじゃないかと考えているらしい。といって、マズい事態というものの心当たりがあるわけでもない。
母親としては、息子の無事を信じたいからか、息子がトラブルに巻き込まれ、どこかに身を潜めているだけだと思いたいらしい。自殺や他殺といった可能性は頭から排除している。一方で、息子は誰とでも上手くやっていくタイプだ、などと平気でのたまうのだから、始末が悪い。
〇月〇日
対象の友人からの話
職場の友人から話を聞いた。対象がトラブルに陥っていた、という噂は聞いていないらしい。また、対象の人となりについて、軽率だが人に憎まれるタイプではない、という証言も得た。とはいえ、対象は人の感情に鈍感なところもあったらしい。自分でも気づかぬうちに敵を作っていた可能性はあるだろう。
元妻に連絡
対象の元妻、早瀬麻耶に電話したが、応答なし。
〇月〇日
対象の学生時代の友人からの話
対象と付き合いの長い人物から話を聞く。それによると、対象は快活でさっぱりした性格なのかと思いきや、意外に執念深い性質も併せ持っていたらしい。何でも、大学の頃、同い年の恋人に別れ話を切り出され、激しく落ち込んだばかりか、その女性にストーカー紛いの行為に及んだそうだ。対象の意外な側面を知った。
息子はトラブルに巻き込まれるタイプではない、と依頼者は考えていたが、もしかすると対象は巻き込む側だったのかもしれない。
元妻に連絡
相変わらず連絡がつかない。
〇月〇日
依頼者から鍵を預かり、対象の部屋を調査。手がかりを捜す。特に目ぼしいものは見つからない。許可を貰ってPCの中身を調べてみるか。
「ここで終わり?」
未都の声に、慶太は我に返った。窓ガラスに映る未都が、手帳から顔を上げこちらを見ている。
慶太は振り向くと、未都の手元を覗いた。「そう。そこで終わり。その次の日に、連絡が途絶えたんだ」
未都は手帳から手を引っ込め、腕組みをした。
「そうか。心配だね」
「うん」コーヒーの入った紙コップに手を伸ばし、一口。
少し肌寒いせいか、構内のフリー・スペースにいる学生の姿は少ない。それでも幾人かは慶太たちのように飲み物を持ち込み、お喋りをしたり、ノート・パソコンを開いたりしていた。椅子は硬いし、清潔さもいまいちだが、煩いカフェよりよっぽど過ごしやすい、というのが慶太と未都の一致した意見だった。
「蓮野さん、だっけ? 改めて聞くけど、どういう関係?」
親戚だが、血の繋がりはまったくない、と慶太は答えた。
「幾つぐらいの人?」
「四十過ぎかな。見た目はほんと、普通のおじさん」
「そうなんだ」
「うん。でも、話が面白くて、一緒にいて楽しい人なんだよ」
そっか、と呟き、未都はしばらく考え込んだ。丸眼鏡が半分ずり落ち、その向こうのくりっとした目がぼんやりと辺りをさまよっている。
日比野未都は、慶太にとって幼馴染みと言える存在だ。出会いは約十年前に遡るから、最も付き合いの長い友人、とも呼べるだろう。ずっと、つかず離れずの、喧嘩一つしない兄妹のような関係を保ってこれたのは、お互いの温厚な性格ゆえかもしれない。
ただ、兄妹か、それとも姉弟か、となると議論の分かれるところだろうけど。
蓮野の件で話をしたい、と茂野に事務所に呼び出された日の翌日。慶太は大学で未都と落ち合い、相談を持ち掛けていた。とはいえ、どうするかは自分の中でほぼ決まっていたのだが。
「で、どうするの? 引き受けるの?」
組んだ腕をテーブルに乗せて、未都が尋ねる。慶太は頷いた。
「やってみようと思ってる。俺なんかにできるか、わからないけどね」
「まあ、そうよねえ。断れないよね、それは」
茂野としては、警察には頼れない上、自分も多忙とあって、苦渋の決断なのだろう。彼女自身も言っていたように、何もしないよりはまし、というところだ。こちらへの期待など、微塵もないに違いない。
まあいい、とにかくやってみよう―― それが、慶太の今の心境だった。
「で、手始めに何をするの?」
「そうだな」慶太は開いたままの手帳に視線を落とした。「この、対象の前の奥さんに連絡しようと思ってる。ほら、蓮野さんが何度も連絡を取ろうとしてた人」
「ああ、そうだね。結局、蓮野さんはその人と話ができてないみたいだから、何か聞けるかもしれないよね」
「だろ? それと、対象のPCも、まだ調べてないと思うんだ」
「なるほど、なるほど」ずり落ちた眼鏡を鼻の上に押し上げながら、興味深そうに言う。
未都は小柄なくせに、サイズの大きなものを身に着けたがる。そのせいで眼鏡も、セーターも、借りてきたもののように見えた。
袖をたくし上げ、身を乗り出しながら、未都は言った。
「ねえ、その調査、わたしも手伝っちゃ駄目かな?」
えっ、と慶太は声を上げた。「そんな、素人に手伝わせられないよ」
素人、と言われて、未都がかちんときた顔をする。
「えー、いいじゃない! 慶太だって、最初は素人だったんでしょ? それとどう違いがあるの」
確かに、そう言われると言い返せない。未都はわけのわからない言いがかりをつけてくることもあるが、今回の言い分は、まあ、もっともだ。
「確かに、俺も最初は調査のこと全然わかってなくて、お手伝い程度のことしかできなかったけど――」少し考えてから、スマートフォンを取り出す。「一応、茂野さんに確認してみるよ」
やった、と未都が歓声を上げる。
ついでに、調査を引き継ぐことにした、と報告しよう。そう考えつつ、事務所の番号に電話を掛けた。
「はい。蓮野探偵事務所です」
「茂野さん、広江です」慶太は手早く要件を告げようとした。「昨日の件ですけど――」
「引き受けてくれる気になった?」
こちらが言うより先に、茂野が尋ねた。
「ええ、まあ。それで、幾つか確認したいことがあって」
「どんなこと?」
「まず、蓮野さんの手帳を読んだんですが、ここに書かれてる対象のPCは、既に調べ終わってるんですか?」
「ううん、まだ」茂野の返答はスムーズだった。やはり、彼女も手帳を読んだのだろう。「でも、預かってはきてる。今、業者に頼んでロックを解除してもらってるところ」
「なるほど、そうですか」では、こちらはその間、別のことをすべきだろう。「それと、この件に関して手伝いを買って出てる友人がいるので、手伝ってもらって構わないでしょうか?」
少し間を置いたものの、茂野は快く答えた。「いいですよ。その人、バイト希望なの?」
「いえ、そういうわけじゃ」
「だったら、本当の手伝い、ってわけね」微かに鼻を鳴らし、「まあ、問題はありませんよ。そもそも、この件はいずれ調査中止にしようと考えてるわけだし。好きにしてくれて構わない」
ほっとしたものの、気になって慶太はさらに尋ねた。
「その、中止の件は依頼者には――?」
「まだだけど、近々話すつもり。まあ、そのことはあまり気にしなくていいから。それより、調査にはいつから取り掛かれる?」
「ええと、方針を決めて、明日からやろうかと」そのついでに、連絡を取れる相手には連絡を取り、会う約束を取り付けておくつもりだった。
「わかった。無理はしないで」何か言いかけて、口をつぐんだような間があった。「それじゃ、明日また連絡してね」
慶太は電話を切ると、テーブルの向かいに視線を向けた。「手伝い、オッケーだってさ」
イエッサー、と未都がふざけて敬礼した。
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