38 夜半の隅田川 4


「ここは……?」


 私の膝の上に、頭を載せていたサトル様が、目を覚ました。


「レイ……? 俺は、いったい……?」 


 ぽたぽたぽた……と涙が頬を絶え間なく伝って落ちていく。

 彼が生きていたことに対する……安堵から来るものだった。


「良かった……さとるさま……よかった……」

「レイ……俺は……生きてるのか……?」


「はい……」

「どうして……?」


 私はここまでの経緯を話す。

 船が海に出てきたこと。


 大妖魔、水虎すいこに襲われたこと。

 サトル様は私を庇って大けがを負ったこと。

 その後、妖魔を退け、呪禁じゅごんでサトル様を治療したこと……。


「そうか……レイのおかげで俺は助かったのだね。ありがとう……」

「違うんです……! 私のせいで、あなた様は……死にかけたんです……!」


 私が無能なばっかりに……。

 サトル様のお命を危険にさらしてしまった……。


「それは違うよ。レイ。おまえが俺を救ったんだ」


 そっ……とサトル様が私の頬に手を伸ばす。 指で、涙を拭ってくださる。


「レイ。おまえは命の恩人だ。泣くな。むしろ……誇れ。自分は凄いと」


「……思えない、です。凄いのは、能力、だから……」


 そう……私が褒められてるのは、私に凄い能力があるゆえにだ。

 私が……凄いわけじゃあないのだ。


「何を言ってる。人一人の命をすくっておいて」


 サトル様が起き上がり、ぎゅっ、と抱きしめてくださる。


「レイ。おまえは凄いよ。能力もだけど、おまえの行動力も、凄い。妖魔に恐れることなく、立ち向かえるものなんて、数少ない」

「そう……なのですか?」


「ああ。皆怖い思いを必死でかくしながら、戦っている。かくいう……俺も何だ」


 !?

 そ、そうなんだ……。


 サトル様は、勇敢な御方だと思っていた。


「昔は、これでも泣き虫だった。妖魔が怖くて、母上がいないと、夜も眠れなかった。そのせいで寝小便したことだってあるんだぞ」

「え、ええっ? そんな……意外……」


 サトル様の強くてかっこいいところしか、見たことがなかったので、意外だった。


「話を戻すと、だ。おまえはちゃんと凄い能力に相応しい、行動をしたじゃあないか。確かにおまえの能力は凄い。けれど、強い力を持つものが、全て正しい行いができるわけじゃあない」


「……正しい行い?」


「人のために、力を振るう。西の大陸では、ノブレス・オブリージュ、というのだったかな?」


 聞いたことがある。高貴なるものの義務。


 強い力を持つものには、か弱きモノを助ける義務があると……。


「おまえは、たくさんの人を救ってきた。行動してきた。頑張ってきたじゃあないか。おまえは……無能の令嬢なんかじゃないよ」


 ぽた……ぽた……と私の頬を涙が伝う。


 今度は……うれし涙だった。


 私を、認めてくださる。そんなサトル様のことが……。


「サトル様……わ、私……あなたのことが……」


 と、そのときだった。


『一条ぅうううううううううううううううううううううううう!』


 ザバァア……! と海面から巨大な……水の虎が出現したのだ。


水虎すいこ!? そんな……饕餮とうてつが喰らったはず!?」

「二のだ」


「にの……め?」

「ああ。人の形を取れるくらいに、強い力を持つ大妖魔には、命が二つあるのだ」


「!? 二つの命……」

「ああ。一のを倒しても、その強い恨みが形をなして、ああして巨大な二のの妖魔を作るのだ」


 巨大妖魔となった水虎すいこが、こちらに向かって口を大きく開く。


『死ねぇえええええええええええええええええええ!』


 発射されるのは、複数の水の刃。

 サトル様は結界術を発動させず、私を抱きかかえると、屋形船からジャンプ。


 ズバババッ……! と屋形船が無数の刃で切り刻まれ、海の藻屑となった。


 私はサトル様にお姫様抱っこされた状態。

 彼は……空中で浮いていた。


 結界で足場を作ってるようだ。

 ……いけない。私を抱きかかえてると、サトル様は本来の結界術が使えない。


 異能殺しは触れているものの異能を殺してしまうから!


「サトル様! どうか私を海に落としてくださいませ!」

「それはできん」


「どうして!?」


 するとサトル様が、にかっと笑う。


「愛する女を冷たい秋の海に、落とせるモノか……!」


 ……ああ、駄目だ。

 もう……あらがえない。私……私……は……!


「サトル様……」

「レイ? んっ!?」


 私は……サトル様の唇に、自分の唇を重ねる。

 ……彼を愛する思いが、溢れて、体が自然と彼を求めていた。


 夜の海の上で、私たちはキスをする。

 それはただ、彼が好きであるがゆえにしたキス……というだけ、ではない。


 カッ……!

 とサトル様の体から、凄まじい霊力があふれ出る。


「これは……陰陽のチカラ!?」


 そう……陰陽。

 男の陽の気と、女の陰の気があわさることで、凄まじい霊力を発揮すると、教えて貰った。


 手をつないだとき、かなり霊力量が増えていたのだ。

 キスをすれば……それ以上のものが得られる。


「れ、レイ……おまえ……普通にキスしたかったのに……」

「サトル様、それは……あれを討ったあとで」


「そうだな……今の俺なら、何でもできそうな気がする!」


 彼とキスをしたことで、私にも……万能感が満ち満ちていた。

 胸の奥が……熱い。


『だからなんだ! 死ねぇええええええええええええ!』


 巨大妖魔が無数の刃を吐き出す。

 サトル様は片手で印を作る。


「【結】」


 がきぃいん! と、刃を結界が防いだのだ。


「おお、レイのおかげで、出力が向上してるな」

『くそぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 水虎すいこがその場からジャンプ。

 空中を素早く駆ける。


「まずいな、これでは結界で閉じ込め、滅することができん」


 どくんっ、どくんっ……と私の胸のおくで、熱い何かが脈打ってる。

 カッ……! と強い輝きが、私の胸からあふれ出す。


「!? こ、これは……! この……光の剣は……まさか……!?」


 ……空中には、1本の美しい、光の剣が出現していた。


霊剣れいけん荒鷹あらたか!?」

「れいけん……あらたか……?」


 なんだ、それ……?

 光の剣を、彼が片手で掴む。


「いにしえに存在した、退魔の剣だ! ずいぶん前に失われたはずの霊剣が……どうしてここに……? どうして、レイの中から出てきたのだ……?」


 わからないこと、だらけだ。

 でも……これが退魔の剣なら、好都合ではないか。


「サトル様。その剣で……あの妖魔を討ってください」

「しかし……やつを足止めせねば……」


「それは……私にお任せを」


 今の私なら……できると思ってる。

 片手で……印を作る。


「それは……!」

「【結】!」


 サトル様の異能……霊亀。

 その能力は結界を作ること。


 超巨大な結界が、水虎すいこを丸ごと閉じ込める。


「そうか、ぬえ模倣こぴーか!」

「はい……くっ! 閉じ込めるのが……精一杯です。サトル様! とどめを!」


 サトル様はうなずいて、宙を蹴る。

 結界を足場にして飛び跳ねながら、水虎すいこの元へ。


『ちくしょおぉおおお! 何なのだ貴様らぁああああああああああ!』


 サトル様は霊剣・荒鷹を構えて、そして振る。


「一条悟! そして彼女は花嫁のレイ……! 善く覚えておけ……!」


 ずばんっ! とサトル様が霊剣を振る。

 光があふれだし、それは巨大妖魔を飲み込む。


 やがて……水虎すいこは跡形もなく消滅したのだった。

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