37 夜半の隅田川 3


 ……私は屋形船に乗ることになった。

 ……サトル様と、ふ、二人きりで……。


「…………」


 屋形船、というのは、私のイメージする船とはだいぶ違った。

 まず、だいぶ小さい。


 一階建ての小型船舶だ。

 でも船の上に小屋みたいなものが建ててある。


 中には畳が引いており、テーブルがあって、その上に食事が並んでいた。

 お刺身や、天ぷらといった、極東固有の美味しそうな料理が並んでいる……。


 でも……食事よりも、私は緊張していた。

 ……だって、ここは船の上、誰にも邪魔されない空間に二人きりなのだ。


 ……好きな人と、二人きり。

 それも個室、しかも……夜。


 体がこわばり、手にじわりと汗がかいてしまう。


「レイ、どうした?」

「あ、いえ……」


 私たちは横に並んで座っている。

 彼が、ぴったりくっついてくる。


 いつもなら拒まない(拒むことは父兄に当たると思うから)私だけど、ちょっと……彼との間に、距離を開けてしまった。


「あ、あの……近いです」

「そうか? いつもこんな感じだろう?」

「そ、そうですけど……」


 ……またサトル様が近づいてくる。

 駄目だ。なんだか、いつも以上に心臓がドキドキする。


「緊張してるのか?」

「は、はい……」

「そうかっ。……実を言うと、まあ、俺もなんだよ」

「サトル様も?」


 サトル様が苦笑しながら、手を握ってくる。

 い、行けない……汗でじっとり……って、あれ?

 サトル様の手も、汗をかいていたのだ。


 彼が自分で言っていたように、緊張なさってる様子。


「どうして……?」

「わからないのか?」

「はい……」


 私は、お慕いしてる御方と一緒にいて、緊張してる。

 ……サトル様はどうなんだろう?


「俺は好きな娘と一緒に、夜二人きりで、密室にいることに、緊張してるんだよ」

「好きな娘……?」


「おまえ以外に、誰がいるんだ?」


 拗ねたように、サトル様がおっしゃる。

 そのちょっと子供っぽいところが、可愛いと、不敬にも思ってしまう。


 ……私のことが、好き。

 本当に? 本心で? そう思っていらっしゃるのだろうか?


 りさと姫のさとりの異能が、使えたらなんて少し思ってしまう。

 でも相手の心を無断で読むのは失礼に値する。


 だから……たとえ使えたとしても、使わない。

 ぬえ模倣こぴーで、さとりが使えるとしても……。


「レイ」


 サトル様がずいっ、と近づいてくる。

 とんっ、とふすまが背中に当たる。


 サトル様が私に覆い被さる。……逃げ場が、無くなる。


「俺はおまえが好きだ。本当だぞ?」

「…………」


 その言葉を、ストレートに受け止められたら、どれだけ良かったろう。

 ……でも、無能令嬢わたしは、こう思ってしまうのだ。


 ……本当に、と。

 だって私は無能の令嬢として、周りからズッと蔑まれてきた。罵られてきた。


 極東に来て、確かに……私は色んなチカラを開花させ、周りからは褒めていただいてる。

 でもそれだって……もしかしたら、周りが優しいから、サトル様が優しいから、褒めてもらってるだけかも……。


「レイ。余計なことを考えているな」

「え……?」


 サトル様が私に顔を近づけてくる。


「……どうしたら、おまえは俺の言葉を、耳を塞がず聞いてくれるんだ?」


 ……サトル様が泣きそうなお顔をなさっている。

 ……ああ、駄目。本当に、私は駄目な子。


 相手を不愉快にさせてしまってる。本当に……。


「レイ。俺は……もどかしいよ。俺はこんなにおまえを愛してるのに、おまえにそれが全く伝わっていない」

「…………すみません」


「謝るな。レイ、お願いだから……卑屈にならないでおくれよ。素直に……受け取ってくれ。受け入れてくれ、俺を……」


 サトル様が顔を近づけてくる。

 ……どんどん、顔が近づいてくる。


 口づけをしようとしてるのがわかった。

 キス。夫婦なら、当たり前のようにする行為だ。


 私は一条家に王命で嫁ぎにきた、花嫁。

 彼と口づけをすることは、花嫁に課せられた義務のようなもの。


 ……しなくては、いけない。彼と。キスを。

 ……でも。本当に、していいのかな。


 これをしたら、もう……戻れない。

 無能の令嬢と、サトル様は……夫婦にならざるをえない。


 こんな私を、本当に……彼は妻に迎えていいのだろうか。

 

 ……私は、どうだろう。

 キスを、したい気持ちは、確かにある。だって私は……優しいサトル様が好きだから。


 目を閉じて、身を委ねようとする。

 ……でも、いいの?


 と、冷静な部分が私に問いかけてくる。


 サトル様の優しさを利用していない……?

 

「レイ。何をそんな、ツラそうな顔をしてるんだ……?」


 目を開けると、サトル様が……悲しそうなお顔をしていた。


「俺のことが嫌いか?」

「違います……! 嫌いでは無いんです!」


「じゃあ……どうして俺を拒むんだ?」

「拒む……。そうじゃ、なくて……。だって私は……私のような、価値のない人間と、サトル様のような素晴らしいお人が、結ばれていいものかって思ってしまって……」


「レイ……。どうしてそうも、卑屈になるんだよ! 俺は……こんなにおまえのことを愛してるのに……!」


 ああ、怒らせてしまった。

 ほら、私は愚図で無能な令嬢なんだ。


 だから……やっぱり……。


 と、そのときだった。


『レイちゃん! 外!』


 ……脳内に、【姉さん】の声がした。


「外……?」

『敵よ! 気をつけて!』


 ドガンッ……! という音とともに、屋形船の屋根と壁が破壊される。


 ぎゅんっ! と凄まじいスピードで何かがこちらに近づいてきた。


「レイ!」


 サトル様が……私を抱きしめる。

 ザシュッ……! という音。


「………………え?」


 サトル様が私にのしかかって、ぐったり……と倒れ込む。


「え? え? ……え?」


 サトル様の背中に、深い切り傷ができていた。

 大量の血が流れ出る。


「え……? なに……どうして……?」

「あーあ、外しちゃったかぁ」


 声のする方を見ると……そこには、一人の男が空中に立っていた。

 いや、違う。

 空の上じゃあない、水の、上だ。


 水面からは水の柱が競り出ており、その上に……男が立っている。


 ……場所が、川ではなかった。

 海……だった。


 船は川を下るだけで、海には出ないと聞いていたのに……。


「船頭に化けてたのに、ついぞ気づかなかったなぁ。間抜けめ!」

「あ、なたは……だれ……?」


 男はニヤリと笑う。


「おれは、白面さまのシモベ! 【海の大妖魔・水虎すいこ】!」


 白面……。

 どこかで聞いた。たしか、一条家と因縁のある相手とか……。


「白面さまの復活を邪魔する目障りな存在を抹殺しに来たのさ!」


 抹殺……。殺す……。

 !? そ、そうだ! サトル様!!!!!


 彼は、ぐったりして、動けないでいる。

 血が大量に出て……今にも……死んじゃう……。


「や、やだ……死なないで……サトル様……」


 どうしよう……。どうすればいいんだ……。

 何もできない……。

 ほら、やっぱり私は何もできない。


 ザシキワラシ? 

 饕餮とうてつ

 ぬえ……?


 色んな凄い異能を持っていても、結局使うう人間が愚図だから、意味が無い。

 宝の持ち腐れ。


 私のような人間は、サトル様に……見初められる資格なんてないんだ……。


「れ、い……」

「! サトル様っ!!!!!」


 死の間際、彼は……つぶやいた。


「あい……して……る……」

「…………!?」


 自分が死ぬかも知れないという状況で、彼は……言ったのだ。

 愛してるって……。


「これで……伝わる……かな。俺……おまえが……好き……だ。俺は……おまえ……あいして……」


 サトル様は、死にかけてる。

 嘘を、着くような状況じゃあない。


 そんな暇はない。

 ……死の間際で吐いた言葉だからこそ、そこには……真実味があった。


 ああ……。

 やっと、届いた。私の耳に。彼の言葉と、思いが。


 好き、愛してる。何度も彼は言っててくれたのに。

 私は……ほんとに……。


 ここまでこないと、彼を信じられないなんて……。


「ぎゃはは! 一条悟死んだかぁ……! これで白面さまも復活し、お喜びになるだろうなぁ……!」

「……れ」


「あとはてめえを殺すだけだ! 死ねぇええええ!」


 水虎すいこが、腕を振る。 

 水の刃がこちらに飛んでくる。


 私は……言う。


「黙れ」


 ガォンッ! という音とともに、水の刃が消えた。


「な!? お、おれの水の刃が……かき消されただと!? 異能殺し!? いや、でもあれは触れないと発動しない能力じゃ……!?」


 すると……私の隣に、1匹の……奇妙な形をした獣が現れる。


「な、なぁ!? ば、バカな!? と、饕餮とうてつ……だとぉ!?」


 何を水虎すいこは驚いてるんだろう。

 私は饕餮とうてつの転生型能力者なのだから。


 驚くのはおかしい。


「【霊源解放れいげんかいほう】!? バカな!? 異能者になりたての女が、そんな高度な技を使えるわけがない!!!」


 ああ、五月蠅い。


「黙って」


 私の隣に出現した獣……饕餮とうてつが、空を駆ける。


「ひっ! く、来るなぁあああああああああああああ!」


 水虎すいこが刃をいくつも投げつける。

 でも饕餮とうてつはそのすべてを喰らう。


 大きく口を開け……そして、水虎すいこを丸呑みにする。


「一条悟ですら……できない、霊源解放れいげんかいほう……を、使いこなすなんて……バケモノ……か……」


 饕餮とうてつがごくんっ、と水虎すいこを飲み込む。

 あとにはただ、静寂が残るのみだった。

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