第4話 極東での新生活 1


 極東。

 妖魔という恐ろしいバケモノのうろつく土地だと聞く。


 住民はその妖魔に怯え、誰一人外に出れずにいるという。

 誰も外に出れないから、食糧難が起き、あちこちで暴徒とかした住民が暴れてる、らしい。


 また、魔道具技術が発展していないせいで、酷く原始的な生活をしてるとか。

 

 私たちの住んでいる西の大陸において、極東は【魔境】だの【未開の地】といった、おおよそ文明人が住めぬ場所だと聞いていた……。


 けど。


「どうした? 花嫁よ」


 極東の港について、私は……驚いてしまった。


「ここは本当に極東なのですか?」

「そうだぞ。極東の港町【台場】だ」


 台場の街は……とても賑わっていた。


「安いよ安いよ! 獲れたて新鮮な魚だよぉ!」

「さぁさぁ! 栄螺さざえの壺焼き! めちゃくちゃ美味しいから食べてってぇ!」


 ……あちこちで、露店が出て、商売が行われてる。


 街を女も子供も、老人さえも、普通に出歩いている。

 皆笑顔で、買い物を楽しんでいた。


 港にはたくさんの船がついてる。


「一条様……」

「悟、でいいぞ、花嫁よ」


 ……正直、まだこの御方に対して、下の名前で呼ぶことはできない。恐れ多い。


 でも、当主たる彼の命令に背いたら……私は、捨てられてしまうかもしれない。


「わかりました。では……サトル様」

「どうした?」

「あれは……船、なのですか……?」


 港に停泊してる【それ】を指さし、私は尋ねる。

 ……船、というにはいささか大きすぎる。


 しかも……木造ではないのだ。

 何やら硬そうな材質の板でおおわれた、巨大な船。


 船から大きな筒がのびており、そこからもうもうと湯気が立ってる。


「蒸気船を知らぬのか?」

「じょ、じょうき……せん?」


「ああ。蒸気の力で動く船だ」


 ……な、何を言ってるんだろう?


「船とは、風の力で動くものでは?」

「そうだな。しかし風は気まぐれだろう? いつ吹くかわからない」


「ええ、ですので、風魔法の使い手が船員には必須で……」


 サトル様は「なるほど……」と合点がいったようにうなずく。


「花嫁よ。おまえがいたところの常識は、ここでは通用しないぞ」

「どういうことですか?」


「この極東には、魔法という概念がそもそも存在しないのだ」


 ………………は?


「魔法が……ない?」

「ああ。古来よりこの極東には、魔法も、魔力も、魔道具もなかった。それに、長い間、鎖国しててな」


「鎖国……?」

「外界とのつながりを絶っていたということだ」


 魔道具技術が未熟聞いていたけど、まさか、そもそも魔法がない国だったなんて。


「……そんな、魔法が無ければ、生きていけません」

「はっはっは! 面白いことを言うなぁ、花嫁よ!」


 ……面白いこと、言っただろうか?


「ここの連中、皆、生きているではないか?」


 ……確かに、そうだ。

 みんな普通に外を出歩いてるし、不安そうな顔をしていない。


「お、見よ。蒸気船が動き出すぞ」


 か、風も無いのに、風魔法の使い手もいないのに、船が動いてる……!?


「ははっ。面白いな、おまえは」

「そ、そうでしょうか……?」


「ああ。さ、おいで花嫁。もっと面白いものを見せてやろう!」


 サトル様が手を差し伸べてくる。


「どうした?」

「あ、いえ……私ごときが触れて良いのかと……」


 するとサトル様はフフッ、と笑う。


「異な事を言う。おまえは、俺の花嫁なのだぞ?」


 サトル様の方から手を伸ばして、私の手を……掴んでくださる。

 なんて、温かい手だろう。


「ああ、温かいなぁ……おまえの手は」

「え……?」


 じわ……とサトル様の目に涙が浮かんでいた。


「ど、どうしたのですか?」

「すまない。人のぬくもりというものを、俺は……今まで一度も感じたことがなかったのだ」


 ……人ぬくもりを、感じたことがない?


「歩きながら説明してやろう」

「え、あ、は、はい……」


 サトル様が私の手をしっかり握って歩いてる。


「俺を含め、この極東の民には、みな異能力が備わってる」


 異能とは、たとえば火を噴いたり、宙に浮いたり、腕が伸びたりといった、特殊な力のことを言うらしい。


「俺の異能は、【霊亀れいき】という」

「れいき……?」


「亀のごとき強固な結界をはり、妖魔をとじこめ、滅することができる」

「! それは凄いです」


「だが強すぎるせいで制御が難しくてな。俺の体は、常にその強固な結界に包まれている」


 私はサトル様のお体をよく観察する。


「……あるようには、見えないのですが……あ、すみません! 別にサトル様を疑うわけでは決してないです!」


 サトル様は不思議そうに首をかしげる。


「なぜ謝る?」

「だって……サトル様が嘘をついてるだなんて、不敬なことを思ってしまい」


「いや、不敬でもなんでもないだろう。それに、見えなくて当然だ。おまえに触れてるからだ」


 ……私に触れてる?


「言っただろう? おまえには、【異能力を無効化する異能】があると」


 ……ここへ来る前に、そんなことをおっしゃっていたような。


「【能力者殺し】、【幻想喰らい】、まあいろんな呼び方がある。とにかく、我が花嫁には、世にも珍しい【異能を打ち消す力】が備わっているのだ」


「だから……サトル様に触れられてるのですか?」

「そのとおり! 霊亀の力を、おまえが打ち消す。結果、俺はおまえに触れることができるというわけだ」


 にぎにぎ、とサトル様がうれしそうに、私の手を握ってくる。


「俺は……人のぬくもりや、感触を、知らん。この霊亀の力は生まれたときからこの体に宿っていたからな」


 ふっ、と彼が微笑む。


「人のぬくもり、感触を教えてくれて……ありがとうな」


 サトル様が私の頬に手で触れる。

 ……温かい手。この人が、本当に極東の悪魔……?


 ……改めてみると、サトル様は本当に、お美しい顔をしていらっしゃる。


 真っ白な肌にまつげ、そして……ルビーのごとき美しい赤い目。


「矢張り、うむ。我が花嫁よ。もうちょっと、太れ」

「え? え?」


「おまえは痩せすぎだ。見てて気の毒になる」

「あ、そ、それは……すみません」


「謝る必要ないが……まあいい。迎えの連中がまだ来ていないようだ。一寸ちょっと、飯でも食べていこう」


 くいっ、とサトル様が指で建物を指す。


【寿司屋】と、看板には書いてあった。


「寿司は嫌いか?」

「というか、食べたことがございません」

「なに! それはいかんな。よし、食べに行こう」


 彼が笑顔で私の手を引いて、寿司屋へ向かおうとする。


「私ほとんどお金がなくて……」

「おまえは俺の嫁だぞ? 金なんて夫の俺が出すに決まってるだろうっ?」


 死んだお母様が、父に何か食べ物をめぐんでもらってるところ、見たこと無かったけど……。


「俺は穴子が好きなんだ。おまえにも食べさせてやろう! 美味しいぞっ!」


 ……どうして、食べさせてくれるんだろう。

 こんな私に。そんな、美味しいものを。

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