第26話 青い日々と鉛球と

 その日以降、「ブルーリフィルキット」の第一陣の制作が本格的に始まる。毎朝、染液の状態を確認し、前日の作品をチェックして、新しい染色に取り掛かる。


 千紗という「先生」の指導があっても、実際には様々な困難が立ちはだかった。染めムラ、酸化時間の調整、さらには布地の張り具合や染液に入れる角度、絞る強さなど、細かい部分が完成品に大きく影響する。


 「だからこそ少しずつ作っていくのよ。」第一週の作品を確認しながら千紗が言う。「一つ一つの工程を何度も確認して、品質を保証しないと。」


 棚に並ぶ完成品を見つめる。濃淡の藍が織りなす階調は、まるで明け方の波が打ち寄せるように優しく、そして力強い。


 放課後になると、千紗は毎日記録の整理を続け、時にはこちらが部室を出るよう促すまで帰ろうとしなかった。


 「来週から『揺らぎノート』の制作が始まるの。」道具を片付けながら言う。「これはもっと挑戦的かもしれないわね。」


 「どういうこと?」


 千紗は神秘的な笑みを浮かべた。「だって、一冊一冊がユニークでなきゃいけないんだもの。」


**



 「鉛球!危ない!」とっさに千紗の腕を引いて後ろへ下がった。たった今まで立っていた場所に、鉛球が地面に叩きつけられた。


 「ごめんなさい、ごめんなさい!」体育の授業中、林小萱が慌てふためいて駆け寄ってくる。


 「相変わらず……特徴的な狙いどころだね。」思わず口に出た言葉に、

 千紗は腰を折るほど笑い出した。「本当にびっくりしちゃった、あはは。」


 「よく笑えるね、君は。」


 今日は二年生合同の体育で、体育祭が近いこともあり、みんな練習に励んでいる。混合クラスの授業だから、また千紗と一緒の時間が増えた。


 陸上競技場は活気に満ちていた。トラック脇では短距離選手が土埃を巻き上げ疾走し、チアリーディング部の音楽が場内に響き、多くの生徒が目を向けている。


 「あのさ。」林は鉛球を拾いながら尋ねた。「工芸部も体育祭のチアリーディング競技に出るの?」


 「え?そんな競技があるの?」千紗が目を丸くする。


 「今年から新設されたんだって、体育祭を盛り上げるためらしいよ。」林は興奮気味に説明する。「うちのクラスもう練習始めてるんだ。」


 その瞬間、千紗の目が急に輝きだす。嫌な予感がする。


 「だめだ。」即座に言い切る。


 「まだ何も言ってないのに…」


 「表情でわかるよ。」


 「柊原くん!」彼女は頬を膨らませた。「話ぐらい聞いてよ!」


 「予想できるから。」眼鏡を直しながら答える。「藍染めの要素をチアの衣装に取り入れたいんだろう?」


 「あ!」千紗と林が同時に声を上げた。「どうしてわかったの?」


 「だって…」彼女が手に持っている設計図を指さす。「体育の授業中も衣装デザイン描いてるじゃないか。」


 「それはね…」千紗は得意げだ。「スカートの裾に波打ち際みたいなグラデーションの藍色を染め付けて、バタフライピーの模様を添えたら…」


 彼女は興奮し始め、ノートに素描を描き出した。


 「ストップ。」手で制する。「そういうのはクラスメイトと相談すべきだろ。今は文化祭の準備が最優先だって忘れてない?」


 「わかってるよ…」不満げな表情だが、すぐに元気を取り戻す。「せめて他の部活の演技、見学させてよ!新しいインスピレーション浮かぶかもしれないし!」


きらきらと輝く瞳を見ていると、体育祭について微妙な不安が募る。


 「柊原!やり投げの練習だぞ!」遠くから体育教師の声がかかった。


 「がんばって。」千紗と林が声を揃える。


 やりを手に取り、溜息をつく。理論的には最適なフォームを理解していても、実際に投げると今ひとつうまくいかない。

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