第25話 準備と期待と
「ブルーリフィルキット」の第一陣の制作は、月曜の朝、授業開始二時間前から始まった。
千紗と一緒に、六時にはもう教室に到着している。
「まずは布地の下処理が完了しているか確認しないと。」千紗は真剣な表情で言った。「昨日漬け込んだ布はちょうど乾いているはずだわ。」
部室には前処理を済ませた白布が物干しラックにずらりと並び、朝日に照らされて微かな艶を放っていた。昨日、彼女が説明していたことを思い出す。染色前の布地は十分な浸漬と洗浄が必要で、それによって染めムラを防ぐことができるのだと。
「よし、始めましょう!」袖をまくり上げながら千紗が言う。「最初は五枚だけ染めるわ。そのほうが管理しやすいから」
真剣な様子の彼女を見ていると、何だかこちらまで緊張してきた。「何かできることは?」
「時間を見ていてくれる?」すでに染料桶を確認し始めていた千紗が言う。「あと、染色の状態を記録するのも手伝って。昨日作った表が…あ!ここにあった。」
分厚いノートから一枚の表が渡される。浸染時間、酸化の具合、色の均一性など、細かなチェック項目が並んでいる。
「これ、全部記録するの?」
「もちろんよ。」千紗は得意げな笑み。「こうすれば、次に同じ色を出したい時に…あ!大事なことを忘れるところだった。」
突然棚に駆け寄り、特製の木枠を五つ取り出した。
「これは布を固定する枠よ」千紗が説明する。「これを使うと染める時に形が整いやすいの。ほら…」
布地を一枚取り上げ、手慣れた様子で木枠に広げていく。「まず、隅々まできちんと張れているか確認して。そうすれば染めムラができにくいの。」
集中している彼女の横顔を見ていると、普段はおっちょこちょいな印象もあるが、こういう細かい作業では驚くほど手慣れていて新鮮な気持ちになる。
「あ、そうだ!」急に思い出したように言う。「やってみる?どうせいつかは覚えなきゃいけないし。」
「え?今?」
「そうよ!」当然のように千紗は言う。「私が見ていてあげるから、大丈夫。ほら、まずはこの布を持って…。」
少したじろぎながら布地を受け取る。実際に染色の準備作業に関わるのは初めてかもしれない。
「緊張しなくていいの。」笑いながら言う。「ほら、まず布の中心を見つけて、それから…。」
千紗が近づいて丁寧に指導してくれる。意外にも根気強い。窓から差し込む陽光の中、染料の香りが一層爽やかに感じられた。
「ここはもう少しピンと張ったほうがいいわ。」ある角を指さし、「そう、その調子!でも強すぎちゃダメよ。染料液に自然に触れられる程度で。」
この加減がなかなか難しい。布地はしっかり張りつつ、弾力を失わないようにしなければならない。
「上手くできてるわ!」満足げに頷く。「この感覚を覚えておいて。布地ごとに同じ張り具合にしないと、染め上がりが変わってくるから。」
一度、力を入れすぎて端に皺ができてしまったが、千紗は笑いながら根気強く手加減を教えてくれた。
「これで染め始められる?」
「まだよ。」首を振る。「ここを見て…。」
布の縁を指し示す。「まず糸の端がすべて収まってるか確認して。それから…。」
小さなスプレー容器を手に取り、布に均一に霧を吹きかける。「少し湿らせておくの。そうすれば染料が均一に染み込むわ。」
涼しげな水霧が布地に降り注ぎ、繊維の隙間へと瞬く間に染み込んでいく。朝日に照らされた布地は、まるで染色の出番を待っているかのように微かな輝きを放っていた。
他の木枠を確認しながら千紗が言う。
「染色って毎回実験みたいなものなの。すべての条件をコントロールできて初めて、望む結果が得られるのよ。」
意外な言葉だ。「まるで実験室みたいだね。」
「でしょ!」目を輝かせる。「だから言ったでしょ?絶対藍染め好きになるって!」
その得意げな表情を見て、つい笑みがこぼれた。
「まずはこれをちゃんとやり遂げないとね。」
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