メイペス・1

メイペスは、周章狼狽した。


 心臓が、これでもかと激しく動いている。

 まるで、その存在を主張するみたいに。

 身体中の体温が信じられないくらい上がって、顔に集まっている。

 なのに、指先は冷たく身動ぎも出来なくて。


 当たり前にしていたはずの呼吸は、そのやり方さえ思い出せず、息が詰まってただ苦しい。


 静かな騒音が、耳の奥で響き渡る。

 視界は全てが掻消えて、ただ一点に光が差す。


 こんなことは、知らない。

 こんなことは、生まれて初めてだ。


 お日様のような赤い、金の髪。

 硝子玉のような青い、紫の瞳。 


 たわわに実った麦の穂みたいな髪が、さらさらと揺れて。

 澄み切った朝焼けの空みたいな瞳が、きらきらと覗いて。


 …………あれ?

 おかしいな?


 紫色の硝子玉に、わたしが映っている。

 どうしたことだろう。

 わたしはただ、硝子玉のわたしから目が離せない。


 麦の穂が硝子玉に落ち、紫色のわたしを隠す。

 なんでだろう?

 寂しいな。

 とても、きれいだったのに。


 …………

 ……はっ!

 彼の人は、わたしに頭を下げているではないか!


「ランデフェリコのアンスタウトです」


 夜に咲く花の香り漂うような柔和なかんばせ

 薄い唇から発せられた、低く落ち着いた声が甘く耳を擽る。


 差し出された白く真っ直ぐな手は、無駄のない優雅さで、わたしに確信を抱くかのように伸びている。


 差し出された手を見つめ、とうに働くことを止めていた思考は、次の動作まで数秒かかる。

 無理に呼吸をするも、喉はからからに渇いていて、言葉を知らない赤子のように狼狽える。


 目の前には、風にそよぐ麦の穂と、輝くばかりの朝焼けをした、儚くも柔らかい笑顔。


 ああ、握手を返さねばと、自分の手を合わせ、愈々握手に至る。


 けれど。

 気の効いた挨拶は、何一つ紡げなくて。


「…………メイペスです…………」


 そう吐き出すのが精一杯だった。



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