第2話


 【彼】に案内されて着いた建物は、まるで一国の城ほどに大きかった。

 しかし、その建物には、城にあるような華美な装飾は見られない。

 石や煉瓦が積み重ねられているわけでも、土で塗り固められているわけでもない。

 まるで一枚岩のように無機質で、鈍く光を反射する壁。

 不自然なほど滑らかな曲線を描き、生々しい存在感を放っている。

 壁面には継ぎ目が見えず、本来、石が持つ硬質なはずの表面は、どこか柔らかな息遣い持っていて、今まで見たことの無い不思議な雰囲気が漂よっている。


 玄関を通された広間には冷たい空気が流れ、旅程で火照った体を落ち着かせる。

 広間はエントランスというより、飯屋か酒場のようで、窓が大きくとられ、室内に陽の光を取り込めており明るい。


 穏やかで落ち着く広間に、警戒感が次第に解されていく。


「まず、体を休めて下さい。長旅でお疲れでしょう。浴場へご案内します。」

 【彼】はそう言うと、使用人らしき二人の男女に案内の指示を与えていた。


 案内をしてくれる男女は、【彼】に比べると幾分自分達と似ていた。

 薄い色の髪に、色の着いた瞳、青っぽい白い肌の比較的見慣れた風貌。


 先程の広間を出て、幾つかの扉が両脇にある通路を抜けたところで、嗅ぎ慣れない匂いが鼻を突く。

「温泉です。海底から引いてます」

  案内の女性の説明を切欠に、思いきって気になっていたことを聞いてみる。

「あの!あの方はどういうお方なんですか?」


「私共の口からはお伝えできかねます。男性の方はこちらへお入り下さい」


 案内の男性に一刀両断される。

 確かにそうだ。

 気持ちだけが急いて、無礼にも程がある。


「女性の方はこちらへ。中は壁で仕切られていますが、繋がっているので声は聞こえますので、ご安心下さいませ」


 公衆浴場、か。

 浴槽の向こう側には、大きな窓枠が埋め込まれており、外を望むことが出来る。

「この壁の向こう側に、お連れ様はいらっしゃいます」

 念のために、お互いの連れの名前を呼び合って生存を確認する。


 旅の汚れを落とし、きれいなお湯に浸かる。

 なるほど、浴槽は壁の下で格子で隣と繋がっていて、往き来は出来なくなっている。

 お湯は兼用することで節減し、尚且つ貞節には配慮されているのかと、その画期的な造りに感服する。


 お湯から上がり、脱衣場に行くと、人数分の新しい衣服が用意されていた。

「お召しになっていた衣類は、洗濯してお返しいたします」

 懇切丁寧な扱いに、戸惑いを覚える。


 元の広間に戻ると、広いテーブルに食事が用意されていた。

 旅人達は見た目こそ素直に喜んだが、あることに気が付くと着席を拒んだ。


「恐れながら領主様。発言することをお許しいただけますか」

 と、ひとりの女性が手を上げて尋ねた。


「ああ、君は貴族ってやつだったのかな。無礼講で構わないよ。僕は領主とか、偉そうな者ではないから」

 彼は食事とは別の椅子に腰かけ、茶器を揺らしながら続けた。


「そうだね、僕は……」

 と、言ったまま考え込み沈黙した。


「僕は……何だろう?なんだと思う?」

 浴場を案内してくれた二人に、問いかけている。

「分かりません」

 返答は、きっぱりとよく揃った。


「それほどに、難しいお立場の方なのですか?では、せめて何とお呼びすれば宜しいでしょう」

「僕?そうだね。トウレゥゴでいいよ。」

「では。トウレゥゴ様。ここに並んでいるのは、あなた方の―――お三方の滞在分の食糧ではないのですか?」


 山の頂から見た限り、この地は孤立していた。

 だからこそ、旅人達は足を踏み入れた。

 整地こそ行われていたが、作物を育てている様子はなかった。

 ならば、目の前にある食糧は持ち込みだろう。


「ああ、それも構わないよ。今はこれだけしかないけど、明日にはちゃんと賄えるから。……もしかして、足らなかった?」


「違います!あなた方の分が無いではないですか!あなた方の分を分け与えて下さったのでしょう!」


 泣きそうになりながらも、声を荒げることはなく、女性は淀みなく言った。


 見れば、旅人達は一同、瞳を潤ませながら大きく頷いている。


 ああ。

 いったい、彼らは今までどんな仕打ちを受けてきたというのだろう。

 会ったばかりの他者を気遣える、心優しき者達。


 これであれば。

 換骨奪胎、できるかもしれない。


 トウレゥゴは、僅かな願望のような希望を

抱いてみても良いのかもしれないと思った。


 結局、旅人達は、断固としてトウレゥゴらに食事を分ける事を譲らず、共に食卓を囲むことを望んだ。


「いったい、私達はどんな対価をお支払いすればよいでしょう。生憎、路銀は尽きてしまって、禄に残ってないのです」

 男性の一人が訴えた。


「あなた方が、ここに根を下ろすこと。それを、対価にしていただいて構いませんよ」

 トウレゥゴが答える。


「それは、余りにも私達に都合が良すぎです。頂きすぎです。対価には値しません」

 別の男性が答える。


「勿論、あなた方にやっていただきたいことはあります。ここに……」


 トウレゥゴは言い淀み、空を眺め言葉を探している。

 そして、遂に見付けた言葉を切り出すために、微笑んだ。


「そうですね、こう言うと決して適切ではありませんが、ここを【楽園】にしてきただきたい」


 楽園?旅人達は顔を見合わせた。

「楽園……ですか?」


 トウレゥゴは、旅人達の顔を一瞥すると、

「誤解しないで頂きたい。強いて、あなた達が使う言葉で近いのが【楽園】ということです。【理想郷】でも良い。要は、争わず暮らす、そんな地を作りたいのです」


 一瞬の沈黙。


「それでは、まずは食事を頂いてから、テーブルを片付けましょう。片手間に伺ってよいお話とは思えません」

 貴族だった女性が、真っ直ぐな目でそう言った。


 食事が終わると、使用人らしき二人を手伝いながら、女性達は食器を片付け、男性達は子供達と共にその場を整えた。

「必要であれば」と、トウレゥゴは紙と筆記具を用意してくれた。

 腹休めのお茶が用意され、改めて席に着いた。


 トウレゥゴは、一人掛けの椅子に深く腰かけ、静かにお茶を口にしている。

 その様子は、あくまで傍観者でいるつもりに見える。


 まず、ニ番目に年嵩の男性が口火を切った。

「あの……【楽園】とは、国家と考えるべきでしょうか?」


「そんな、大袈裟に考えなくていいよ。そこまでの大所帯には、きっと出来ないと思うし、成らないと思う。この地に、この地だけが”僕の望む平穏”であればいい」


「差し出がましいですが、何のための【楽園】でしょう?」

 トウレゥゴは大袈裟に顎に手を当て、言葉を探している。

「うーん。強いて言うなら、僕の我儘?」

「我儘……?」

「思い付きの突貫仕事ではなくて、丁寧に作った上で、秩序があれば、【楽園】が可能なのではないかしら、と」


 一番年嵩の男性は、その言葉の含みに口を挟もうとしたが、それに気付いたトウレゥゴに「しぃー」と人差し指で口を閉じる仕草をされた。


「傷つくまでの、争いをしないこと。これが最優先事項。あと、時折、あなた方のような方を連れてきますので、その対応をしていただきたい」


 旅人達は顔を合わせ、トウレゥゴの意図を探す。


 丁寧な仕事とは、この大きな建物と、既に整地されている環境のことなのだろう。

 後は秩序を整えると言うことだろうか。

「それと僕は、ある程度あなた方の暮らしに目処が立ったら、あなた方に手に余ること以外は、殆ど干渉するつもりはありません」


「国家では無いということは、法律の制定はしないということですか?」

「あなたは政治に携わっていたのだね。ではお聞きします。法律は全てを網羅できる?」 

「いえ。どんなに配慮して考慮しても、何だかの粗が出ます。それを小賢しい者が目敏く見付けます」

「なら、制定することに意味はないね。自由と勝手を、履き違えない程度の約束事は、あった方が良いとは思うけど。」


 政治家だった男性は面食らったが、己の理想を形成できそうなことに幸甚した。

 嘗て彼は、法律を笠に着た【正義】に、異議を唱えたことで迫害されていた。


「格式張った御為倒しではなく、より人々に根付きやすい決まり事を、ということですか」


「そうだね。それと、あんまり数が沢山あっても御免だね。僕は牢獄を望んでいるわけではないから」


 政治家だった男性は喜色で頷くと、溢れ来る思考を紙に書きなぐる。


「それでは、信仰は必要でしょうか?」

「どう思う?宗教家さん」

 一番年嵩の男性は、質問返しされた。


「何か指標がある方が、人は安心はします。既存の神でなくても、例えば、トウレゥゴ様を崇拝ことで、私達はそのご恩に報いようと努力するでしょう」


 トウレゥゴは、すんっと眉をひそめた。

「感謝は、空や大地の自然に向ければ良い事。僕は、僕の我儘を押し付けるだけだから、恩なんていらない」


 それを聞いて、聡明な宗教家だった男性は、何かを確信した。


「それに、信仰は法律よりも、厄介になることを貴方は知っているでしょう?」

 トウレゥゴの、何もかも見透かしているかのような黒い瞳に、宗教家だった男性は瞠目した。

 神の名の下に、人は残虐な行為を正当化出来る。

 己の、爪の無い指が何よりの証拠だ。


「承知致しました」

 宗教家だった男性は、トウレゥゴに畏敬の念を込め目礼した。


「では勿論、身分もなんてものも要りませんね」

 貴族だった女性が断言した。

「そうだね。くだらないね」


「平等を唱うのなら、いっそ貨幣も要らないでしょう。必要なものは共用して分ければいい」

 身分と金の恩恵を受けていたはずの、貴族だった女性。

 華美ではないけれど、彼女を彩っていた装飾品が、いつの間にか路銀に消えていたことを、皆知っている。


 旅人達は、自らの河清の理想が、夢物語で終わらなくなりそうな気がして討議に熱中した。

 トウレゥゴは討議は任せ、広間を後にした。

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