第3話
観劇での不穏な光景を目にしてから、間もなく二年が過ぎようとしていた。
「船長。もうすぐ港ですぜ」
「分かった、接岸の準備をしておいて」
「うぃっす!」
私の姿は、海上に浮かぶガレー船の甲板上にあった。
ジロラモとビーチェの結婚式に参加した後で、私は父の家業を全面的に引き継ぐ必要に迫られてしまった。十五歳の成人を迎えて以降、私は父の手伝いをしながら商人としての修行を重ねてきたが、それも人には予測不可能な出来事で一変した。
多くの市民が
私は既に母を亡くし、兄弟もいなかったので、
心に大穴を開けられた私だったが、仕事は私を待ってくれなかった。父は生前、海を隔てて東にある都市共和国との大きな案件を抱えていたからだ。それも大きな案件を。
貴族になったとはいえ、我が家に余裕はなかった。
取引に失敗すれば、破産することは十分にあり得た。
よって、今の自分に父の死を嘆いている暇などない。
心苦しいが、今は家の存続を優先させなければ。
私は後ろ髪を引かれながらも、簡単な葬儀を済ませると洋上に旅立った。
それから取引を穏便に済ませ――口下手なために対面での交渉が苦手な私だったが、そこは洋上で
商人としての第一歩を無事に終えたからだろうか。ここで私は、兼ねてからの心配事を思い出した。
ジロラモは、ビーチェを大事にしているだろうか?
ビーチェは幸せに暮らしているだろうか?
数か月前、私の元に届いた手紙には『ビーチェの両親が
手紙は、ビーチェと特に親しくしかった友人のジョバンナが書いたものだった。『本人が書ける状態にないので、代わりに私が書きました』とも書き添えてあった。
また、それから数週間を経てから再び届けられた手紙には、さらに私の胸をざわつかせる一文が
『ジロラモは妻を蔑ろにし、今は別の女性と
友の裏切りと、故郷で流布している陰謀の噂を知らされた私は船速を上げて、故郷へと急ぐ。
私は義憤に駆られていた。
ジロラモ。私は確信している。
君はやっぱり、観劇の時に色目を使っていたビアンカに心を奪われていたのだね。
友人との付き合いで、私はビアンカとその親族について色々と知る機会があった。悪い噂ばっかりを耳にしたよ。
彼女の父は市の経理を担当する役人として勤めを果たす
『美人番付』第一位に輝いた女性は、野心も他の女性よりも旺盛ということか。
今の私には結論が出せないけれど、ジロラモ。これだけは言わせてくれ。
なぜ、ビーチェを裏切った!
彼女は純粋なんだ!
政略結婚とはいえ、彼女は君を愛していたはずだ。
君と結ばれることに抵抗はなかったはずなんだ。
だというのに君は、なんと破廉恥な!
私達三人は互いを深く知る仲だったではないか。
君と私は、ビーチェをこう呼び合ったことを忘れたのか。
あの時の想いは、君の真心は、消え失せてしまったのか?
私やビーチェに見せてきた君の姿は、全て幻だったのか?
今の君に求めるのは、ただ一つ。君の本心は一体どこにあるかということ。
答えろ! 友よ!
今の君には、一体何が見えている?
愛か? 肉欲か? 野心か? それともかつて私に冗談交じりに語った、トレヴィッツォの玉座か?
共和国を未曾有の騒動に巻き込んでまで、君は王になりたいのか。
友よ。今の私はその答えを尋ねたい一心で、港への接舷作業を進めている。
今のうちに、私とビーチェを納得させられる答えを用意しておけ。
「ロベルトさん!」
接岸を終えたばかりの私に駆け寄る女性の姿があった。手紙の送り主で、ビーチェの友人ジョバンナだとすぐに分かった。
「ジョバンナさん? どうされたのですか」
「ジロラモさんが……。ビーチェが……」
その場に泣き崩れた彼女を私は抱きかかえた。様子を見るに、何か良からぬ情報を届けに来たのは明らかだった。
私はひとまずジョバンナを港内にある休憩室に案内し、彼女が落ち着くのを待ってから
ジロラモは既に幼い頃の彼ではなかったということを。
彼の父が、ビーチェの父の資産を目当てに婚姻を取り決めたのだということを。
そして、ビーチェが既にこの世の人ではなくなっていたということを。
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