第2話

 その日はトレヴィッツォ政府が提供する公共行事の一つ、劇の上映日だった。


 私は観覧席の最前列に腰かけつつ、昨日の行いを省みた。


 あの時、素直に投票すればよかったのでは?

 ビーチェの名が記された右横の空欄にチェックを入れる。

 それだけのことではなかったか。

 では、どうしてできなかった?

 

 無数の視線が私に注がれていたから?

 それが恥ずかしかったから?

 だが、そんなことが愛の表明に対する障害になるのか?

 私の愛は秘匿しなければならないものか?


 そんなはずはない。私の愛は純粋だ。

 物心ついた頃から抱き続けた、曇りなき純愛。

 公言をはばられる類のものではないはず。


 不都合があるとすれば、それは私とビーチェには如何ともし難いもの。

 それは埋められることのない資産額。

 今の私はビーチェの家と身分上は同等になったが、その実態は棚ぼたで成功した商人と大銀行家という大きな違いがある。


 仮に私の父母がビーチェの両親に婚約を持ちかけても、承諾は得られまい。

 だって、彼女には既に……。


「隣、いいか?」


 ふと声をかけられた私は思索にふけるのをやめ、隣に腰を下ろした男に目をやった。


「ロベルト、どうした? しけたツラしやがって。悩み事か?」

「あ、ジロラモ。その、ちょっと考え事を」


 彼の名はジロラモ。このトレヴィッツォで五本の指に入る資産を有する名家の子息であり、先日、詩作中の私に『美人番付』を見せてきた竹馬の友でもある。


 そして、だ。


「すまないな。ロベルト」

「え?」

「奪っちまって。ビーチェを」


 私はジロラモとの会話を続けた。


「君は悪くない。両家の御両親が決めたことだから」

「そうだけどさ。でも、お前の方がずっとビーチェを好きだったろ?」

「ど、どうしてそれを」

「分かるよ。お前は隠してるつもりだったんだろうけどさ。色々と書いてたんだろ? 愛を詠う一四行詩ソネットを」

 

 全てを、それこそ心の最奥部まで見透かされた気分になり、私は沈黙してしまった。おそらく自分の顔は真っ赤に染まっていたことだろう。


「図星だな」

「すまない」

「どうして謝る?」

「ほら、あと一週間で君達は夫婦になる。それが分かってるのに僕は今でも――」

「書いちゃ駄目だなんて、俺は言ってないぞ」


 ジロラモは続ける。


「彼女に個人的な恋慕の情をつづっても、俺は君を邪険に扱ったりはしない。俺達の友情はそのままさ」

「……ありがとう」

「ほれ、話は終わり。劇を見ようぜ」


 私達は会話を中断し、劇を鑑賞することにした。


 劇は恋愛悲劇で、二人の男が嫁選びをするというもの。


 ある国の王とその友人が同時に妻を亡くしてしまった。

 そこで二人は新たな嫁を探すこととした。

 二人とも絶世の美女を迎え入れたかった。


 王がこう持ち掛ける。

 「私は君のために、地上一の美女を連れてこよう」と。

 対して、王の友人は答えた。

 「なら俺はお前のために、天界一の美貌の天使を地上に連れてきて、君と一緒に式を挙げよう」と。


 二人は行動を起こした。

 王は敵対国の王が可愛がっていた娘を強奪するために。

 その友人は生きたまま天界に赴き、くだんの天使と交渉するために。


 王は目当ての美女を手にできた。彼は追手を掻い潜ると、泣きじゃくる娘の気持ちなど意に介さず、帰国すると彼女を美しく着飾らせておいた。後は友の帰還を待つばかりとなる。


 だが、そんな王に天使からの手紙が届く。


 『私は誰とも結婚しないと伝えたのに、陛下の友人は私を口説き落とそうとし、それが無理と悟ると地上から持ち寄った贈り物で篭絡ろうらくしようと企みました。私はこのことを地獄の冥王に報告し、彼をそこの牢に閉じ込めさせました。彼は二度と地上の日差しを見ることはないでしょう』


 王は動揺した。共に式を挙げようと誓った手前、彼の行為が失敗に終われば自分が結婚できなくなることを恐れたのだ。

 

 そして、王は決意した。一人で天界に潜り込み、友人を救い、そして天使をどうにかして地上へと連れて行こうと。


 だが、試みは失敗に終わる。


 王も、彼の友人も地上に戻ることは叶わず、二人仲良く冥王の元に留め置かれることとなってしまう。


 日々、地獄の苦しみに苛まれながら……。


 これが劇の大筋。使い古された『人の道を踏み外した者が、最後は手酷い仕打ちを受ける』という筋立てのお話だ。


「ジロラモ! ロベルト!」


 劇の終了直後、天界一の美しい天使――いや、使調の声が、私の耳を癒した。


 トレヴィッツォで催される劇には「年度毎に貴族の子息令嬢が輪番で演者に選ばれ、各々が割り振られた役を演じる」という慣習がある。私も今年度から貴族の仲間入りを果たしたので、いつか選ばれる時がくるかもしれない。


 私は不安でうつむいてしまう。


 困った。どう考えても大根役者になる未来しか見えない。どうすれば……。


「ちょっと! ロベルト!」


 だが、今は彼女に手を振って応えることにした。周りの視線が自分に集中していて、恥ずかしくなったから。


 ……それにしても、綺麗だ。


 私の双眸そうぼうは、ビーチェの白い服と、それを着る彼女が時折見せるより白い足の明暗差コントラストを目にしたことで至福の時を迎えていた。


 一方で、改めて自分が男だと思い知らされ、また、ジロラモにも申し訳なさをも感じていた。


 そこで私はいつもの癖でジロラモに詫びようとしたが……。ここでふと、彼の目線が少しずれているように思えてきた。


 間もなく妻となるビーチェに目を合わせていない? 

 まさか、そんなはずは……。


 疑念を払拭したかった私は彼の目線を追い、そして気付いた。


 天使役を務めたビーチェの手前で、彼女を地上に連れ出そうとする王の役を演じる女性――『美人番付』で得票数一位となり、今は男役が似合っているビアンカに、ジロラモが熱い視線を送っていることに。


 間違いだと思いたかった。

 だが、認めなければいけなかった。

 ビアンカがジロラモに愛を注ぎ、ジロラモはビアンカの想いを正面から受け止めているようにしか見えない事実を。

 

 それだけではない。さらに私は目撃してしまった。

 ビアンカが、獲物の首を狙う野獣の如き視線をビーチェに注いでいたことに。

 それを受けたビーチェが顔が曇らせ、私とジロラモに助けを求めるような眼を見せていたことも。

 

 間違いであってほしかった。

 ジロラモに二心などあるはずがない。

 彼は今も変わらず、ビーチェのことを愛していると思いたかった。


 だが、数年の時を経て、私は自分の不穏な予測を知ることとなる。

 諸々の不幸を風に乗せて。

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