第13章:2030年11月16日 土曜日 宮下タカヤ
現実パート
休日の朝、カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光が目に入り、僕はゆっくりと目を開けた。寝ぼけた頭に、昨日のやりとりが浮かぶ。
「次の休日、ぜひお会いしたいです。」
ユリさん――いや、瀬川さんからのその言葉が、まだ胸の奥で温かく響いている。スマホを手に取り、昨夜緊張しながら送った返信を再び確認した。
「もちろんです。楽しみにしています。」
何度見ても、その言葉に不安と期待がないまぜになる。嬉しいはずなのに、「僕なんかでいいのだろうか」という思いが頭を離れない。
鏡の前でシャツの襟を直しながら、自分に問いかける。
(これで本当に大丈夫か……?)
カジュアルなシャツとパンツという無難な格好。鏡に映る自分はどうにも頼りなく見えて、何度も髪を直してはため息をつく。
それでも時間が迫り、僕は重い足取りで部屋を出た。
約束の時間より少し早くカフェに着くと、窓際の席に座り、緊張で落ち着かない。スマホをいじったり、コーヒーカップを持ち上げたり置いたり……無意識に同じ動作を繰り返していた。
ふと扉が開く音がして、顔を上げる。
そこに立っていたのは――ユリさんだった。
彼女は控えめな色合いの服を着て、品のある佇まいでこちらに歩いてくる。その姿を目にした瞬間、胸が高鳴る。
(なんて……綺麗なんだろう。)
初めてカフェで彼女を見かけた時と同じ感覚が、胸の中に鮮明に蘇る。
「こんにちは。せ、瀬川さん。」
彼女は優しく微笑んだ。
「今日はお会いできて嬉しいです。」
その笑顔に、ぎこちなかった心が少しだけ解けていく。
コーヒーを挟んで座り、最初は互いの近況や仕事の話をしていた。彼女が会社での出来事を楽しそうに話すたび、僕は「すごい人だな」と感心しつつ、胸の奥に少しだけ自分の小ささを感じてしまう。
ふと訪れた沈黙が、僕に言葉を紡ぐ勇気を与えた。
「僕なんて、まだまだ未熟で……ユリさんみたいな人には、もっと立派な人が似合うと思うんです。」
正直に言ったつもりだった。でも、その言葉はどこか彼女を遠ざけているような気がした。
ユリさんは、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。そして、すぐに柔らかな笑顔を浮かべる。
「そんなこと、ありませんよ。」
彼女の声は、穏やかで揺るぎなかった。
「私は、宮下さんといると落ち着くんです。」
胸の中に、ふわりと温かいものが広がる。彼女が続けた言葉が、まっすぐに僕の心を揺さぶった。
「宮下さんが自分を責めるたびに、私まで悲しくなってしまいます。」
その一言が、僕の心の中にずっとあった迷いや自己否定をふっと軽くした。僕が、僕のままでいい――そんな風に言われたのは初めてだったかもしれない。
カフェを出て、並んで歩く彼女の横顔を盗み見ながら、胸の中に小さな安心が芽生える。彼女が隣にいるだけで、こんなにも救われるなんて――。
その時、不意に彼女が立ち止まった。
「討伐イベントの時、思ったんです。」
不意に投げかけられた言葉に、僕は足を止めて彼女を見つめる。
「宮下さん、無理してますよね。」
唐突な言葉に動揺しつつ、彼女の真剣な目が僕を捉える。
「頑張りすぎてる、っていうか。肩に力が入りすぎてるように見えます。」
「そんなことは……」否定しかけた言葉が、途中で止まる。彼女の真っ直ぐな瞳が、僕の心の中を見透かしているようで、何も言えなくなった。
彼女が一歩近づき、そっと僕の肩に手を置く。その手の温かさが、張り詰めた僕の心を静かに解きほぐしていくようだった。
「ほら、今もこんなに力が入ってる。」
彼女の言葉とともに、柔らかく抱きしめられる。温かな腕に包まれた瞬間、ずっと心の奥で張り詰めていたものがゆっくりと崩れていくのを感じた。
「完璧じゃなくていいんだよ。」
彼女の優しい囁きが耳に届く。
「無理しないで、あなたらしくいればいい。」
その言葉に、胸の奥がふっと軽くなった気がした。自分に足りないものばかりを数えて、立派であらねばと背伸びしてきた僕に、彼女はただそのままでいいと言ってくれる。
「せ、瀬川さん……」
震える声でそう言うと、彼女は顔を少し離し、穏やかな笑顔を浮かべた。
「ねぇ、宮下さん。」
柔らかく、けれど少しだけ真剣な表情で、彼女が僕を見つめる。
「私のこと、ユリって呼んでもらえますか?」
一瞬、言葉が出てこなかった。彼女の名前を――下の名前で呼ぶなんて。戸惑いながらも、その願いを拒む理由はなかった。
「……ユリ、さん。」
自分で言ってみて、驚くほどしっくりと馴染むその名前。彼女の瞳がふわりと優しく緩んだ。
「ありがとう……タカヤ。」
僕の名前を、彼女が初めて呼んでくれた。たったそれだけなのに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「私、もう迷わないって決めたんです。」
彼女の言葉に、心臓が跳ねる。ユリ――いや、彼女の真っ直ぐな決意が、僕の心を強く打った。
「だから、タカヤも無理しないで。もっと、素直になって。」
彼女が顔を近づけ、そっと唇が触れた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「私があなたを大好きだって気持ち、わかりますか?」
顔が一気に熱くなるのを感じながら、なんとか言葉を絞り出す。
「……わかりました。わかりましたから。」
ユリは少しだけ笑い、もう一度顔を近づけてくる。
「まだわかってませんよね?」
ユリがそう囁くと、再び唇が触れた。今度はゆっくりと、優しく、だけど確かに僕を引き寄せる。
彼女がそっと顔を離し、柔らかな笑みを浮かべた。
「ユリさん、じゃなくて――ユリです。」
その言葉にドキッとしながらも、思わず名前を口にする。
「ゆ、ユリ……」
顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。目を逸らしながら呟くと、ユリが楽しそうに小さく笑う。
「ふふ、可愛いですね、タカヤ。」
彼女の言葉が余計に恥ずかしくて、さらに顔が熱くなる。けれど、その恥ずかしさの中に、不思議な安心感があった。
すると、ユリが少し甘えるように、そっと耳元に顔を近づけて囁く。
「私も、タカヤに大好きって言ってほしいんだけど。」
その言葉とともに、ふわりと唇が触れ、耳を優しく噛まれた。
「っ……!」
全身が一瞬で熱くなり、心臓が爆発しそうになる。
「ゆ、ユリ……!」
声が裏返りそうになりながらも、どうにか言葉を紡ぐ。
「だ、大好きです……ユリ。」
言い切った瞬間、顔が燃えるように熱くなった。恥ずかしさで堪らなくなるけれど、ユリは満足そうに笑い、僕をじっと見つめる。
「ふふっ、ありがとう。」
その笑顔が優しくて、どこか安心させてくれる。
「タカヤも、少しずつ素直になってきましたね。」
彼女の言葉が、胸の奥にじんわりと沁みていく。照れくささに小さく呟いた。
「……本当にもう、ユリには敵わないです。」
ユリは楽しそうに笑い、そっと僕の手を握り返してくれる。その温もりが、僕の心の中に確かな安心感と幸せを運んでくる。
(僕も――この人の隣で、少しずつ変わっていこう。)
ユリがくれたこの瞬間を、大切に抱きしめながら、僕は彼女の手をそっと握り返した。
VRパート
ギルドハウスの扉を開けると、すぐにカナの弾けるような声が飛び込んできた。
「みんな!聞いてよ!『影の森探索』イベントが始まったんだって!」
カナがテーブルに身を乗り出し、広げた地図を指さす。隣でリオが勢いよく立ち上がった。
「やりたい!絶対やりたいです!ねえ、タカコさん!」
リオのキラキラした目が期待に満ちて、僕をまっすぐに見つめる。一瞬心臓が跳ねたけれど、深呼吸をして落ち着く。
(大丈夫。何かあっても、その時はその時だ。)
「わかった。まずはクエストの詳細を確認しよう。」
落ち着いた声を出すと、リオが嬉しそうに飛び跳ね、カナは「さっすがタカコさん!」と親指を立ててきた。
「……落ち着け、まだ何も始まってない。」
ハルが呆れたように口を挟むと、カナがにっと笑う。
「ハルってほんと堅いよね~!もう少し楽しめばいいのに!」
「無駄なことはしない主義だ。」
ハルが淡々と答え、カナが「出た!冷静ぶりっ子!」と笑いながら肩を叩く。
そのやり取りを見て、ユウキが僕の方へ静かに視線を向ける。
「肩の力、少し抜けてきたみたいですね。」
その柔らかな笑顔に、胸の奥が温かくなる。
「このクエスト、戦闘より素材集めが重要ですね。」
ハルが影の森の敵の特徴を整理しながら地図を示す。
「カナは森の奥の採集ポイントを担当して。リオは回復サポートに徹して。ハルとユウキは戦闘メインで動いてもらうね。僕は補助をしつつ、全体の流れを管理する。」
ホワイトボードに役割を書き出しながら、ギルドメンバーに視線を送る。
「カナ、採集は慎重にね。リオ、絶対に単独行動しないこと。」
「はーい!」
カナが元気よく手を挙げ、リオも勢いよく返事をする。
「任せてください!私、ちゃんと役に立ちます!」
ハルがその言葉にちらっと視線を送る。
「フラグを立てるなよ。無茶だけはするな。」
「うっ……気をつけます!」
リオが口を尖らせると、カナがクスクスと笑う。
「ねーねー、ユウキはどの武器狙ってるの?」
カナが質問を投げかけると、ユウキは落ち着いた声で答える。
「僕はサポート武器かな。みんなが無事に帰れるように。」
「さっすがユウキ!」
カナが褒めると、リオが「えー、ユウキはもっと強い武器使えばいいのに!」と拗ねたように言う。
ユウキは少し笑いながら僕に視線を送る。
「タカコの補助も考えて、柔軟に動きますよ。」
「ありがとう、助かるよ。」
(みんなと一緒なら、きっと大丈夫だ。)
探索開始とリオのトラブル
影の森に足を踏み入れると、鬱蒼とした木々が視界を遮る。カナとリオが先頭に立ちながら、勢いよく素材を集め始めた。
「わー!こっちの花、すごく綺麗!なんかレア素材っぽくない?」
カナが叫び、リオも「絶対それレアですよ!」と興奮気味だ。
「リオ、奥には行かないでね!」
僕が声をかけるが、リオは笑いながら手を振った。
「大丈夫ですって!」
その直後、影の中から強力なモンスターが飛び出し、リオを取り囲んだ。
「リオ!?」
カナが焦る中、僕はすぐに指示を出す。
「ハル、ユウキ!リオを助けて!カナ、僕と一緒に素材を集めながら合流しよう!」
「了解!」
ハルが短く返事をし、ユウキも即座に動き出す。
「リオ、動かないで!」
ユウキのサポート攻撃とハルの冷静な立ち回りで、モンスターは瞬く間に倒された。
戻ってきたリオがしゅんとしながら頭を下げる。
「すみません、調子に乗りました……。」
「次はみんなで一緒に行動しようね。」
ユウキが優しく肩を叩くと、リオは頬を赤く染めて小さく頷いた。
クラフト作業と和みの時間
ギルドハウスに戻ると、素材を使ったクラフト作業が始まった。ハルが黙々と手を動かす様子を、カナがじっと見つめている。
「ハル、不器用なのにこういうのはうまいよね。どっちなんだかわかんない。」
「気にするな。これはキャラ設定の一環だ。」
ハルが淡々と返すと、カナが目を丸くする。
「え、じゃあ本当は器用ってこと?」
ハルは肩をすくめて笑うだけだった。
「どうだかな。」
「ハルってたまにズルいよねー!」
カナが笑いながら言うと、リオが「ハルさん、私にもクラフト教えてください!」と頼み込んでいた。
その光景に自然と笑みがこぼれる。
(みんなと一緒にいると、本当に楽しい。)
クラフト作業が終わり、他のメンバーがログアウトした後。ギルドハウスに静けさが戻った頃、ユウキが僕に声をかけてきた。
「今日のタカコ、とても自然で素敵だったよ。」
僕は少し俯きながら、小さく微笑む。
「うん。前より慌てずにできたかも……。」
ユウキは優しく笑い、言葉を続けた。
「今のタカコが好き。俺は、ううん。私ね、無理しなくていいのかもって、タカコを見て思ったの。」
驚いて顔を上げると、ユウキの真っ直ぐな瞳が僕を見つめていた。その言葉が胸の中にじんわりと広がっていく。
「……ありがとう。」
その一言が、自然と口をついた。
ギルドハウスの外に出ると、夜空に星が静かに瞬いていた。ユウキがふと立ち止まり、空を見上げる。
「こういう時間が、一番癒されるんだよ。」
僕も隣で星空を見上げながら、自然と口を開いた。
「僕も……ユウキといると、すごく居心地がいい。」
ユウキが微笑み、こちらを振り向く。
「うん、嬉しい。」
彼のその笑顔に、今まで張り詰めていたものがふっと解けた気がした。
「ユウキ……」
初めて、自然に彼の名前を呼ぶことができた。
(急ぐことも、慌てることもない。ユウキがそのままでいいって言ってくれたことが、こんなに安心できるなんて。)
僕はそっと目を閉じ、この穏やかな時間を胸に刻んだ。
ログアウトパート
探索もクラフト作業も終わり、ギルドハウスは静けさを取り戻していく。
僕も現実の部屋に戻り、ヘッドセットを外して静かな夜に息をついた。スマホを見ると、ギルドチャットはすでに賑わっている。
リオ:「今日も最高に楽しかったですー! みんなお疲れ様です♪(≧▽≦)」
リオのテンションは相変わらずだ。すぐにカナがノリノリで反応する。
カナ:「お疲れー! 影の森、めっちゃ盛り上がったよね! またやりたい!」
ハル:「リオが無茶しなければ、な。」
リオ:「ハルさん、それもう言わないでくださいよー! 今日はちゃんと頑張ったんですから!」
そんなやり取りが続く中、リオの突拍子もない一言が画面に飛び込んできた。
リオ:「ねえねえ、オフ会やりませんか!? 今度、みんなでリアルで会いましょうよ!」
(オフ会!?)
スマホを握る手が一瞬止まる。唐突すぎる提案に、画面を見つめて固まったのは僕だけじゃなかったはずだ。
カナ:「おおっ、いいねそれ! オフ会、絶対楽しそう!」
ハル:「……現実で会う必要があるのか?」
ハルの冷静な言葉を受け流すように、リオが続ける。
リオ:「ありますって! みんなで会えばもっと仲良くなれますよ! ね、ユウキさんもそう思いません?」
ユウキ:「ふふ、そうだね。現実で会うのもきっと楽しいと思うよ。」
ユウキ――いや、ユリが穏やかな口調で返すと、リオは勢いづいた。
リオ:「わーい! ユウキさん賛成! カナもハルももちろんですよね? ねえ、タカコさんも!」
僕にまで突然話が振られて、慌ててスマホを持ち直す。
タカコ:「えっ……えっと、うん。」
(どうするんだ、これ……。)
すると、カナが新しい提案を出してきた。
カナ:「でもさ、いきなり大人数だと混乱しそうじゃん? だから今回は、主要メンバーの5人だけで集まるってのはどう?」
リオ:「5人だけ? それって、私たちだけってことですか?」
カナ:「そうそう! タカコ、ユウキ、ハル、リオ、私。この5人だけ! ギルドのコアメンバーって感じでさ!」
ハル:「……まあ、それなら悪くないか。」
ハルが渋々ながらも了承すると、リオが勢いよく同意する。
リオ:「それ最高です! もう楽しみすぎるー! ユウキさんにも、タカコさんにも会えるなんて!」
タカコ(心の声):「(ユウキが女性だって、リオはまだ知らない……どうなるんだろう)」
そんな僕の不安を察したかのように、個別チャットの通知が表示される。
ユウキ:「タカコ、大丈夫ですよ。」
タカコ:「でも、リオがユウキのこと男だって……。」
ユウキ:「ふふ、その時はその時。私たちでちゃんと説明すればいいんだから。」
ユウキ――いや、ユリの言葉はいつだって落ち着いている。僕の胸の中にあった不安が少しだけ和らいだ。
リオ:「じゃあ、決まりですね! 主要メンバー5人でオフ会! 場所とか日時とか、みんなで決めましょう!」
カナ:「オッケー! その辺は私が段取りするから、スケジュール空けといてよね!」
ハル:「頼むぞ。適当な計画はやめてくれ。」
カナ:「わかってるって! それに、ハルだって楽しみなんでしょ?」
ハルは何も言わずに既読をつけるだけだったが、それが彼なりの肯定だとみんな理解していた。
僕は静かな部屋でスマホを見つめ、そっと笑みをこぼす。
タカコ:「……私も、楽しみにしてる。」
そう打ち込んで送信ボタンを押すと、リオが即座に反応した。
リオ:「わーい! タカコさんのその言葉、待ってましたー!」
カナ:「これで決まりだね! 次回、オフ会で盛り上がるぞー!」
いつものギルドチャットがさらに賑やかになり、夜の静寂が少しだけ遠のいた。
「主要メンバー5人だけ」――そういう話になったけど、きっと何かが起こる。そんな予感が胸をよぎりながらも、心のどこかで次の再会が楽しみになっていた。
(大丈夫。何かあっても、その時はその時だ――。)
僕はそっとスマホを置き、深く息を吐いた。窓の外には星空が広がり、次の冒険の予感に胸が少しだけ高鳴るのを感じていた。
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