第十二章:2030年11月11日 月曜日 瀬川ユリ
現実パート
朝の光がカーテン越しに柔らかく部屋を満たしている。私は静かにカーテンを開け、窓を開け放った。澄んだ冷たい空気が部屋に流れ込み、頬を撫でる。
深呼吸をして、少しだけ目を閉じた。数日前のことが、胸の中にふっと蘇る。タカヤさんと気持ちを伝え合った瞬間――その温かさが、今も私を包んでいた。
(何があっても、タカヤさんさえいてくれれば、それでいい。)
そう思うと、不思議と何もかもが些細なことのように思えてくる。失敗したっていい。頼れる時には頼ればいいんだ――彼がそう言ってくれたから。
「よし。」
今日も新しい一日が始まる。気持ちを切り替えるように、私は軽く頬を叩いた。
会社に着くと、朝礼が始まった。高槻部長が新しいプロジェクトの概要を説明しながら、周囲に目を向ける。
「では、この件について、何か意見がある人は?」
以前の私なら、ここで発言するなんて考えられなかった。他人の期待に応えられなかったらどうしよう。間違えたら恥をかく――そんなことばかり考えていた。
でも今日は違った。タカヤさんと出会い、そして彼と話したことで、私は肩の力を抜くことを覚えた。
「瀬川さん、どう思いますか?」
突然名前を呼ばれて驚いたけれど、深呼吸を一つして自然な笑みを浮かべた。
「はい。クライアントのニーズをもう少し具体的に掘り下げる必要があると思います。現段階では課題が曖昧なので、事前にヒアリングを追加することで、より的確な提案ができるのではないでしょうか。」
自分の声が思ったよりもはっきりと響いて、少し驚く。高槻部長が一瞬考え込み、それから満足そうに頷いた。
「いい視点だな。じゃあ、その部分の計画を担当してもらおうか。」
「はい、ありがとうございます。」
周囲の同僚たちが暖かい目でこちらを見ているのがわかる。心の中で少し驚きながらも、誇らしさが湧き上がる。
(頼った時、みんなが期待以上に応えてくれることに気づいた。もう、周りを気にするのはやめよう。)
昼休み、後輩のリサが駆け寄ってきた。
「瀬川さん、今日の意見、すごく良かったです!私もあんな風に堂々と発言できたらなぁ……。」
その純粋な言葉に、思わず微笑んだ。
「ありがとう。でも、無理する必要はないのよ。この前は、ありがとね。また、頼らせてもらうから。」
リサは少し目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
「はい!いつでも頼ってください!」
その笑顔を見て、私の胸にまた小さな暖かさが広がる。以前の私なら、こんな風に人を頼ったり、感謝を口にすることなんてできなかっただろう。
(タカヤさんと出会って、私は変われたんだ。)
夜、自宅に帰ると、窓から見える星が静かに輝いている。疲れを感じながらも、心は穏やかだった。部屋の隅に置かれたヘッドセットが目に入る。ログインしようか迷ったけれど、今日は少しだけ、一人でこの気持ちを噛み締めたかった。
(次にタカヤさんと会う時、もっと素直な自分でいたい。)
ソファに身を沈め、窓の外の星空を眺める。どこまでも続く未来への道。その先には、きっと彼と歩む新しい物語が待っている。心の中に灯った希望が、穏やかに揺れていた。
VRパート
広々としたギルドハウスには、いつも以上の活気が漂っていた。カナがテーブルに身を乗り出しながら、嬉々として大きな声を上げる。
「聞いてよみんな!『影の王討伐』イベントが始まったんだよ!これ、すごく強力な武器が手に入るクエストだから、ギルドで攻略しなきゃ!」
その言葉にリオが目を輝かせ、勢いよく立ち上がる。
「やりたい!絶対やりたいです!ねえ、タカコさん!」
タカコは、一瞬目を見開きながらも少しだけぎこちなく頷いた。その控えめな笑顔に、私はどこかぎゅっと胸が痛む。彼女の肩にのしかかるプレッシャーが、痛いほど伝わってきた。
「無理せず、いきましょう。」
私はそっと彼女に声をかける。その言葉にタカコさんはほんの少しだけ安心したように微笑んだ。その笑顔を見ていると、彼女が気負わずに過ごせる時間をもっと作ってあげたいと思わずにいられなかった。
リオのアピール
準備の合間、リオが明るい声で私に話しかけてきた。
「ユウキさんって本当に周りが見えてますよね。私にはできないので憧れます!」
その言葉に思わず苦笑いがこぼれる。
「そんなことないですよ、リオさん。俺は、まだまだです。」
「えー!そんな謙遜しなくてもいいのに!」
リオは頬を膨らませながら、次にこう言った。
「それとユウキさん、全然私の魅力に気づいてくれない!こんなに可愛いのに!」
その言葉に、一瞬ギルドハウスの空気が止まった後、一斉に突っ込みが入る。
「自分で言うか!」ハルが呆れたように肩をすくめる。
「まあ、可愛いけどさ!」カナが吹き出しながら茶化す。
リオは意に介さず胸を張り、満足そうに笑っている。私はその無邪気な姿を微笑みながら見つめ、軽く返した。
「リオは十分可愛いと思うよ。」
その言葉にリオはさらに嬉しそうにするが、私の視線は自然とタカコさんに向いていた。彼女はリオのやり取りに特に気を留める様子もなく、静かに作戦書をまとめている。
(私たちの気持ちはもう通じ合っている――)
彼女のそんな姿に、私は確信を得ると同時に、彼女の負担にならないように寄り添いたいという気持ちがますます強くなった。
戦闘の準備が整うと、ハルが影の王の危険性を説明する。
「影の王は非常に強力だ。分身を作り出して混乱させる上に、範囲攻撃の威力も高い。対策なしでは全滅するぞ。」
その言葉に全員が真剣な表情になる。タカコさんは立ち上がり、ホワイトボードに手を伸ばしてギルド全体の作戦を説明し始めた。
「分身が現れたら、必ず複数人で対処してください。一人で抱え込むと危険です。ハルはヘイトを引き受けて、リオは回復を優先してください。ユウキさんは左前方を牽制してくださいね。」
その声には冷静さと自信が感じられるが、私は彼女の表情に隠された焦りを感じ取っていた。
(また、一人で頑張りすぎている……)
彼女の指揮は的確で頼りになるが、その裏にあるプレッシャーが気になって仕方なかった。
影の王との戦闘が始まると、タカコさんの指揮がギルド全体をまとめ上げた。
「リオ、範囲回復をお願い!ハル、右後方の分身を抑えて!」
彼女の声に全員が応え、次々と影の王の分身を倒していく。私も彼女の隣で補助魔法を展開しながら、その背中を見つめていた。
(タカコさん、本当にすごい……でも……)
戦闘が激化する中、影の王が新たな攻撃パターンを繰り出してきた。範囲攻撃がフィールド全体を覆い、タカコが前線に飛び込む。
「みんな、今が攻めどきです!一気に仕掛けて!」
その言葉と同時に、彼女が放った攻撃が影の王に命中する。しかし、その代償として彼女は範囲攻撃を受け、倒れ込んでしまった。
「タカコさん!」
リオが悲鳴のような声を上げながら回復魔法を放つ。私はすぐに補助魔法を重ね、彼女の体力を回復させる。
「タカコさん、下がってください!ここは私たちに任せて!」
彼女は悔しそうな表情を浮かべながら、僅かに頷いて後退した。
最終的にタカコさんが事前に練った緊急作戦が功を奏し、戦況は立て直された。ハルの一撃が影の王を討ち取り、戦闘は無事終了した。
ギルドハウスに戻ると、タカコは浮かない顔をしていた。
「私のせいで、みんなを危険に晒してしまいました……。」
私は彼女の隣に腰を下ろし、そっと言葉をかけた。
「そんなことありません。タカコさんがいたからこそ勝てたんです。」
彼女は微笑んでくれたが、その瞳にはまだ迷いが見える。
タカコさんが抱える悩みを解消してあげたい――そんな思いを胸に抱きながら、私はそっと彼女の肩に手を置いた。
「お疲れ様、タカコさん。次も一緒に頑張りましょう。」
彼女が微笑み返してくれたその瞬間、私は小さく安堵の息を吐いた。
(これからも、彼女の隣で支えていきたい。)
窓から差し込む月明かりが、タカコさんの柔らかな表情を照らしていた。その光景が、次の冒険への期待を予感させていた。
ログアウトパート
部屋の中に、夜の静けさが広がる。ヘッドセットを外すと、現実の空気が肌に触れ、VRでの熱気が夢のように遠くなる。
背もたれに体を預け、天井を見上げた。影の王を討伐した達成感は確かにある。けれど、それ以上に胸に残るのは、タカコさん――宮下さんの姿だった。
(どうして、あんなに自分を追い込んでしまうんだろう……)
指示を出し、戦況を冷静に見極め、ギルドを勝利に導いた彼女。その姿は頼もしく、誇らしかった。でも同時に、完璧でいなければならないという強迫観念に囚われているように見えた。
思わず手をぎゅっと握る。以前の私と同じ――そんな気がした。
(私も、そうだった。周りの期待に応えようと、無理をして自分を追い詰めて……)
今の私は少しずつ、ありのままの自分を受け入れられるようになった。けれど、タカコさんはまだ――。
「……何か、伝えなきゃ。」
呟くと、胸の奥に小さな焦りが灯る。私が好きになったのは、肩肘張らずに自然体で笑うタカコさん。強さだけじゃなく、弱さも見せてくれる彼女が愛おしい。それなのに彼女は――自分を責め、無理に前へ進もうとしている。
私はスマホを手に取った。画面を開き、宮下さん――タカコさんの連絡先を表示する。
(伝えたい。でも、今すぐでいいのかな……)
しばらく迷った後、私はゆっくりと指を動かし、言葉を綴った。
「宮下さん、お疲れ様でした。今日は本当に素晴らしかったです。 でも、少し無理をしているように見えました。 もしよかったら、次の休日にお会いしませんか?」
送信ボタンを押すと、胸が大きく高鳴る。指先が少しだけ震え、スマホを置いても落ち着かない。部屋は静かなのに、まるで時計の針の音まで聞こえそうだ。
(……断られたら、どうしよう)
「忙しいです」「時間がない」――そんな言葉が頭をよぎる。けれど、タカコさんと向き合うためには、勇気を出さなきゃいけない。私はもう、逃げたりしない。
不意にスマホが小さな通知音を立てた。
一瞬、息が止まる。ゆっくりと画面を見つめると、そこには彼女からの返事が表示されていた。
「お疲れ様です。……次の休日、ぜひお会いしたいです。」
その一言が、胸の中を温かく満たしていく。心の中にあった不安がふっと消え、自然と笑みがこぼれた。
「……よかった。」
呟くと、窓の外の夜空が目に映る。星が瞬き、静かな街が広がっていた。遠くに感じていた距離が、少しだけ縮まった気がする。
(次に会ったとき、ちゃんと伝えよう)
「完璧じゃなくていいんだよ」
「無理しないで、あなたらしくいればいい」
宮下さんが、自分を追い詰めることなく笑えるように。私はそのために何ができるのか――次の休日、彼に会って直接伝えよう。言葉だけじゃなく、私の気持ちを。
「宮下さん……」
小さく名前を呟きながら、私は窓の外の星空を見上げる。柔らかな光が夜を照らし、明日への希望をそっと運んでくれているようだった。
彼女と向き合うために、私はもう一歩前に進む。
その未来を思い描きながら、胸の中に広がる温かさを噛み締めて、私は静かに目を閉じた。
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