第11章:2030年11月9日 土曜日 宮下タカヤ

現実パート


土曜の静かな午後、部屋に差し込む柔らかな陽射しの中、僕はベッドに寝転びながら天井を見上げていた。カフェでの出来事、そしてVRでの再会が頭の中を巡る。まるで夢を見ているような、不思議な感覚に包まれていた。


カフェで初めてユリさんを見たときのことが、どうしても頭から離れない。柔らかな光が差し込む窓際の席に座る彼女。その端正な横顔と、静かにカップを傾ける仕草――どこか遠くを見つめる瞳には、日常から解放されたような穏やかさが宿っているように見えた。その姿に、僕は目を奪われた。


声をかけるべきかどうか迷ったけれど、あのときの僕にはできなかった。カフェという空間で、彼女の穏やかな時間を壊してしまうのが怖かった。結局、声をかけることなく立ち去ったけれど、その瞬間の記憶だけは鮮明に焼き付いている。


そして、その後仕事で何度か顔を合わせたときも、僕はどうしても彼女のことが気になって仕方がなかった。同じ空間にいるだけでドキドキしてしまい、まともに目を合わせることさえできなかった。彼女が書類に目を通す真剣な横顔や、会話の中で見せる穏やかな微笑み――どれもが心に刺さるようで、意識しない方が無理だった。


それなのに、彼女と目が合いそうになるたび、僕はつい視線を逸らし、そっけない態度を取るしかなかった。自分の動揺が表に出てしまうのが怖くて、せめて平静を装おうとするあまり、不自然に振る舞ってしまった。今になって振り返ると、あのときの僕の態度は彼女に冷たく映っていたかもしれないと思うと、悔やむ気持ちが胸を締め付ける。


――それが、ユリさんとユウキが同一人物だったなんて。


VRの中で惹かれた「ユウキ」が、現実で出会った彼女――ユリさんと同じ人だったなんて。僕の中で、現実とVRがゆっくりと重なっていく。VRの中で感じていた不思議な安心感――それが、現実の彼女からも同じように感じ取れていたのかもしれない。


そのことに気づいた瞬間、胸の中に温かい感情が広がっていくのを感じた。彼女に対する好意が、VRの中だけのものではなく、現実の彼女にも向けられていたのだと――それがはっきりと分かったのだった。


彼女のことばかり考えてしまう。VRでの彼女――ユウキとしての姿。そして、カフェで見た彼女――ユリとしての姿。その全てが、一つの線で繋がった瞬間、胸が熱くなるのを感じた。


(好きだ――この気持ちは間違いない。でも……どうすればいいんだろう。)


彼女ともっと近い距離で話したい。もっと彼女を知りたい。そして――もし許されるのなら、それ以上の関係を築きたい。


布団の中で体を縮めながら、そんな未来をふと想像してしまう。すると、胸がどんどん高鳴って、顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしさで思わず布団を頭まで引っ張り、声を漏らす。


「……恥ずかしいな、こんなこと。」


でも、これは確かに僕の本音だった。今まで誰かをこんな風に意識したことなんて一度もない。恋愛なんて、僕には縁のない世界だと思っていたし、具体的なイメージを持つことさえなかった。


でも今、ユリさんのことを思う気持ちはどうしようもなく強くて、自分でも戸惑ってしまうほどだった。


「もし……彼女と深い関係になれたら……」


そんな未来を想像するだけで、心臓が跳ねる。僕が彼女に似合うかどうかなんて関係ない――そんな風に考えられたらいいのに。でも、そんな自信はやっぱり僕にはなかった。


そのとき、ふと悠真さんの言葉が頭をよぎった。


「逃げるのだけは、やめとけよ。」


昼休みに定食屋で話したときのことだ。僕が、自分の中の迷いや不安を正直に打ち明けたとき、悠真さんはあっさりとした口調で言った。


「相手がどう思ってるかなんて、考えても分からねえだろ?お前がどう思ってるか、それが一番大事なんじゃねえの?」


その言葉が、僕の胸に深く刺さっている。あのときは納得しきれなかったけれど、今なら分かる。結局、大切なのは自分の気持ちなんだ。


(僕はどうしたい?)


ベッドの上で目を閉じて、そっと問いかける。すると、頭の中には自然と答えが浮かんできた。


(彼女ともっと話したい。もっと、彼女を知りたい。そして、僕の気持ちを伝えたい。)


その思いが、胸の中で少しずつ形になっていくのを感じた。僕は布団から手を伸ばし、机の上に置かれたスマホを手に取る。画面に映る彼女の連絡先を見つめながら、少しだけ息を吸い込む。


「……逃げるのは、もうやめよう。」


その言葉は静かな部屋の中で小さく響いた。それでも、その小さな一言が、僕にとっては大きな一歩だった。


スマホを片手に、彼女に連絡を取る決意が胸の中でしっかりと固まっていく。僕の指は画面に触れ、文字を打つ準備を始めていた。




VRパート


ログインすると、目の前に広がったのは、静かな湖畔と満天の星空だった。夜風が優しく頬を撫で、水面には月明かりが幻想的に揺れている。この空間は、僕にとって特別な意味を持つ場所だった。ここで、どうしても伝えたいことがあった。


湖の近くに立ちながら、胸がそわそわと落ち着かない。彼女が来るのを待つ間、心臓が早鐘のように鳴り響く。ユウキ――いや、現実のユリさん――にこの想いを伝えられるのだろうか。自分でも抑えきれないほどに高まる感情を整理しようと、深く息を吸い込む。


「タカヤ、君ならできる。」

そう自分に言い聞かせた瞬間、背後から足音が聞こえた。


振り返ると、ユウキが歩いてくる。彼女の柔らかな笑顔と、夜風に揺れる髪が、星空の光を浴びて輝いているように見える。その姿を目にした途端、胸の奥が熱くなった。


「タカコさん、こんばんは。」

ユウキの穏やかな声が耳に届く。


「こんばんは、ユウキさん。」

僕も軽く会釈し、震えるような胸の鼓動を落ち着けようとする。


二人で湖畔に腰を下ろすと、静寂が流れた。星空と湖面に映る輝きが、言葉にできないほど美しい。だけど、今の僕にとって、それ以上に美しいのは彼女の存在そのものだった。


「……ここ、覚えていますか?」

僕が静かに口を開くと、ユウキが柔らかく微笑んで頷いた。


「もちろんです。タカコさんが初めて心の内を話してくれた、大切な場所です。」


その言葉に胸がじんと熱くなる。あの時、彼女がただ黙って僕の話を聞いてくれたからこそ、僕は救われた。その感謝の思いが、今も胸に鮮明に残っている。


でも、今日は感謝を伝えるだけでは足りない。僕の中で膨らむこの想いを、どうしても伝えなければならない。


「ユウキさん……あの時、本当に救われました。あの時の僕は、どうしようもなく弱くて、ただ誰かに話を聞いて欲しかったんです。ユウキさんがいなければ、僕はもっと自分を嫌いになっていたと思います。」

震える声でそう伝えると、ユウキは優しく頷きながら答えた。


「タカコさんが勇気を出して話してくれたから、俺も力になりたいと思えました。それだけです。」


その言葉の温かさが、胸に深く沁み渡る。この人を大切にしたい――その気持ちが、さらに強くなった。


「実は……今日、伝えたいことがあって。」

僕の言葉に、ユウキが驚いたように顔を上げる。その視線を受け止めながら、深呼吸をして、一歩踏み出す。


「ユウキさんは、私に対して『大好き』と言ってくれました。それが……すごく嬉しかったです。でも、その……私は、いえ。『僕』が、あなたに対して抱いている気持ちは、友人としての『好き』じゃないんです。」


ユウキの瞳が、少し揺れるのが分かる。でも、それ以上言葉を止めるわけにはいかなかった。


「僕は……ユウキさんを、女性として好きなんです。ただの好意じゃなく、異性として。」


その言葉を紡ぐたびに胸の鼓動が速くなる。目の前の彼女がどんな反応をするのか、怖くて一瞬息を呑む。けれど、この気持ちだけは伝えなければならない。決意を胸に、僕は言葉を続けた。


「最初は、ユウキさんが男性だと思っていて……それでも、好きでいる自分がいて……すごく戸惑いました。どうしたらいいんだろうって、すごく迷いました。」


彼女の表情が少し柔らかくなるのを感じて、胸の奥に希望が灯る。


「でも……ユウキさんが憧れていたユリさんだった。現実でもVRでも、大切な人が同じだった。それが分かった時、もう僕は、この気持ちを抑えられなくなったんです。」


自分の言葉が胸の中に響き渡る。その瞬間、目の前の彼女の瞳が潤み、こちらをじっと見つめてくれていることに気づいた。


「今ならわかります。僕は、カフェであなたを一目見た時から……ユリさんを好きになってしまっていたんだと思います。」


その記憶が鮮明に蘇る。柔らかな光が差し込む窓際に座っていた彼女。カップを傾ける仕草や、どこか遠くを見つめる静かな横顔。その時の自分は、ただその姿に目を奪われ、声をかける勇気さえ持てなかった。


「窓際で座っていたユリさんを見て……どこか別の世界にいるような雰囲気があって、一瞬で目が離せなくなりました。何か声をかけたいと思ったけど、それが迷惑になるんじゃないかと思って……結局、何もできなくて。でも、あの時からずっと忘れられなかったんです。」


言葉を紡ぎながら、胸の中がさらに熱を帯びる。その思いを正直に彼女に伝えたことで、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「ユウキさんが、僕にとって特別な存在なんです。現実でもVRでも……ユリさんとしてもユウキさんとしても……あなたの全てが好きなんです。」


その言葉を口にした瞬間、胸の中の熱がさらに広がり、全ての感情が解き放たれるようだった。彼女の反応を待つ間、心臓が早鐘のように鳴り響いていた。


ユウキは一瞬驚いた表情を浮かべたが、次第に柔らかな微笑みを浮かべた。そして、そっと僕の手を握りながら、静かに答えた。


「タカヤさん……私も、あなたのことが好きです。友達としてではなく、異性として。あなたのことを心から愛おしく思っています。」


その言葉に、胸が熱くなり、目頭が熱くなるのを感じた。彼女が僕の想いを受け止めてくれた――その事実が、これ以上ない喜びとなって胸を満たしていく。


「今あなたの話を聞いて、私たちはずっと同じような気持ちだったんだって気づきました。こんな偶然はないって、もう私はあなたとの出会いが運命なんだって思っています。私から離れないでください。私もあなたを離しません。」


そう言いながら、彼女はそっと僕を抱きしめてくれた。その温もりが、胸の奥深くまで染み渡るようだった。


「こんな僕でも……あなたと一緒に歩んでいけますか?」


震える声で問いかけると、彼女はしっかりと頷き、微笑みながら答えた。


「もちろんです。一緒に、少しずつ進んでいきましょう。」


湖畔の星空の下、僕たちの距離はこれまで以上に近づいた。静かな水面に映る星々が、揺れながら輝いている。それはまるで、僕たちの未来をそっと祝福しているかのようだった。




ログアウトパート


ヘッドセットを外すと、部屋は静けさに包まれた。ついさっきまで湖畔で感じていた夜風や、満天の星空の下でユリと交わした言葉が嘘のように遠く感じられる。それでも、彼女の優しい声や微笑みは、胸の奥で鮮明に響き続けていた。


机の上にそっと置かれたヘッドセットを見つめながら、僕は深く息を吐いた。迷いながらも伝えた言葉が、確かに届いたという実感。それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。


「伝えられた……それだけで、少し前に進めた気がする。」


小さな呟きが静まり返った部屋に吸い込まれる。ユリが「一緒に進んでいきましょう」と答えてくれたことが、どれほど心強かっただろう。今まで感じたことのない安堵感と喜びが、心にじんわりと広がっていた。


天井を見上げながら、ふと自嘲気味に笑みがこぼれる。


「これが恋なんだ……誰かを想う気持ちが、こんなにも強いなんて。」


これまで恋愛というものは、どこか他人事のように感じていた。自分には縁遠いものだと、どこかで決めつけていた気がする。それが今では――いや、初めてユリをカフェで見かけたあの瞬間から、彼女のことを意識していたのだと、告白を通して改めて実感した。


「そうだ……あの時から、きっと好きだったんだ。」


窓際で静かにカップを傾けていた彼女の姿。どこか物憂げで、それでいて凛とした雰囲気があった。あの瞬間に感じた胸の高鳴りが、今では恋としてはっきり形を成している。声をかけたいと思いながら、それが叶わなかった後悔――けれど、その時の思い出が報われる日が来るなんて、あの頃の僕には想像もできなかった。


「ユリさん……ありがとう。」


自然と口をついて出たその言葉が、胸の奥に広がる温かさをさらに深めていく。この気持ちを抱ける自分に出会えたことが、何よりの喜びだった。


窓を開けると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。遠くに見える街灯りが揺れ、静まり返った夜空にはぽつりぽつりと星が瞬いている。その穏やかな光景を見つめながら、僕は自分に言い聞かせるように呟いた。


「僕も、変わらないといけないんだ。」


彼女に伝えた気持ちは本物だ。でも、それを形にするには、もっと強い自分にならなければならない。ユリが僕を受け入れてくれたことに甘えるだけではいけない。これから先、彼女の隣に立つために、僕自身も成長しなければならない。


机の上に置かれたスマホの画面には、ユリの連絡先が表示されている。けれど、今はまだその番号を押す勇気が出なかった。今日の言葉で十分だろう――そう思いながらも、また彼女の声を聞きたいと思う自分がいる。


「もっと強くならないと。」


その小さな誓いを胸に、僕はそっとスマホを机に戻した。焦らず、少しずつ歩んでいく。ユリが「一緒に進もう」と言ってくれたように、自分も彼女と同じ歩幅で進むつもりだ。


ベッドに横たわり、静かに目を閉じる。今までの自分では考えられなかったほど、未来への期待が胸を膨らませている。ユリとの時間が、僕を少しずつ変えてくれている――そんな予感が確かにあった。


「次は、もっと自分から踏み出そう。」


夜空に浮かぶ星々が、そんな僕を優しく見守っているように感じられた。未来がどうなるかは分からない。けれど、ユリと一緒にいる未来を思い描くことが、今の僕には何よりの希望だった。胸の奥に灯った情熱を感じながら、僕は静かに眠りについた。

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