第九章 鬼を創りし人の罪

第40話 法の闇と無法者

「陳大人所蔵の梅鶯図?」


 雷嵐は「そうだ」と相槌をうち、話をつづけた。


「未来の王太子妃が暮らす屋敷が、警備をおろそかにするはずがない。それでも梅鶯図からうぐいすが消えた。もしこれが事実なら、どうやって方画仙は陳道仁の屋敷に忍びこみ、絵の交換を成功させたんだ?」


 ここまで聞いて、段志鴻が「たしかに」と声をあげ、話に割って入った。


「都でも一、二を争う貴人の邸宅の警備は厳重だ。忍びこんで絵を交換するなんて、危険すぎる。しかも、この詐欺の手口なら、やる必要もない」


 段志鴻は顎に手を当て、考えこんで言う。


 うなずきで応じた雷嵐は「ただし」と口にし、重々しい口調で言葉をつづけた。


「持ち主が共犯者なら話は変わってくる。有力者の所蔵品にまで不思議が起きたとなれば、絵の評判は一気に広まるだろう」


 思わず息をのんだ段志鴻は、方清舟をあらためて見た。表情を厳しくして、彼は絵師に問いかけた。


「この件に、陳大人が関わっているのか?」


 観念したのだろう。床にへたりこんでいる方清舟は、地面にほとんど顔をつけるほど頭を垂れ、力なく答えた。


「王族に娘を縁づけるには、大金が必要だとおっしゃって……」


 そう言うと、方清舟は事件のあらましをぽつりぽつりと語りはじめた。


 絵師をこころざした方清舟は、有名絵師に弟子入りし、その縁で名画を目にする機会にめぐまれた。名画の模写に寝る間を惜しんではげみ、彼は絵の技術を着実に習得していった。しかし、独立後の絵は売れず、糊口をしのごうと練習のために何度も模写した名画の贋作づくりに手をそめた。ところが、買い手の一人だった陳道仁が贋作だと見破ったのだ。彼は方清舟を脅し、今回の詐欺行為への加担を迫ったのだった。


 方清舟は、そう洗いざらい自供した。


「まさか、未来の王妃の父が詐欺に加担しているなんて……」


 つぶやいた杜天佑は驚きを隠せず、力なく首をふった。


 ――想像以上に大きな事件だ。それに、陳大人は王太子殿下とも縁がある。いったい、どう処理すればいいのだろう?


 上司に指示を仰ごうと、杜天佑は段志鴻に目をむけた。部下の視線に気づいた段志鴻は、困り果てた顔で口を開いた。


「陳家の令嬢は、あくまでも『王太子妃候補』だ。まだ正式に婚約が成立しているわけではない。だから、妃候補から陳家の令嬢が外れるだけで、王太子殿下の評判への影響は軽微なはずだ」


 一瞬、杜天佑は胸をなで下ろした。しかし、直後につづいた段志鴻の言葉に、嫌な気持ちがこみあげた。


「だが、陳道仁は大物すぎる。彼の罪を問うのは、至難の業だろうな……」


 言いよどむと、段志鴻はさらに神妙な表情となり、厳しい口調で言った。


「王太子殿下と兄上に相談しなければならない。方清舟の処遇は、わたしに任せてくれ」


 ◆


 方清舟を拘束し、杜天佑たちは方家の屋敷を後にした。方清舟が「娘は自分に従っただけだ」と強く主張したため、彼女は方家に残された。従者たちに方清舟を監視させて歩く段志鴻の背にむかい、杜天佑は問いかける。


「陳大人を罪に問うのは、そんなにも難しいのですか?」


 振り返りもせずに、いつになく低い声で段志鴻は答えた。


「この虹海こうかい王国には、身分の高い者が下の者を裁く法はある。しかし、下の者が上の者を裁く法はないのだよ」


 上司の答えに不快感をおぼえた杜天佑は「そんな……」と思わず非難の声をあげかけた。ところが、ふと過去の記憶がよみがえり、口を閉ざしてしまう。


『貴族や高官ならば、たいした理由もなく平民を傷つけても罪に問われません』


 思いだしたのは、かつて自分が口にした言葉だった。同時に、雷嵐の当時の言葉も脳裏によみがえる。


『同じ殺人でも、立場によっては罰せられない。人間の世こそ、複雑怪奇だ』


 ――雷嵐の言うとおりだ。なんて、おかしな世の中なんだろう。


 自分の言った言葉の意味を、杜天佑はようやく理解できた気がする。途端、知ったかぶって語った過去の自分があまりにも愚かだったと感じ、彼は恥ずかしさで顔をふせた。


 杜天佑が複雑な表情で黙りこんでいると、雷嵐が「つまり」と口にし、話しだした。


「陳道仁は官位が高すぎて、下手をすれば彼を訴えた無実の人が不敬罪で罰を受ける可能性があるわけだ。これは、国王だか王太子だかが、まともな人間であるよう祈るしかないな」


 冗談めかしてそう言いながら、雷嵐は天を仰いだ。返すべき言葉が見つからず、杜天佑と段志鴻は黙りこむしかない。


「ああ……陳大人はきっと、わたしを生かしてはおかないだろう!」


 杜天佑たちの会話を聞いていたらしい。方清舟が嗚咽まじりに叫んだ。すると雷嵐は、弱りきって曲がった方清舟の背中を思いきり蹴飛ばし、「詐欺師め、おまえは自業自得だ!」と罵った。そして、すぐさま話題をきりかえた。


「それよりもだ。陳道仁の行動、どう考えてもおかしくないか?」


 ――そんなの、当たり前じゃないか!


 自分の浅はかさに気づいた杜天佑は、胸のうちに渦巻く思いを飲みこんだばかりだ。いまだに憤懣やるかたない彼は、思わず刺々しい口調で答える。


「おかしくて当然ですよ。陳大人は、詐欺の首謀者なのですから」


 ところが、杜天佑の攻撃的な物言いにも雷嵐は動じない。いら立つ様子すら見せないまま、彼は語りつづける。

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