第22話 雷光の一閃、幽霊を貫く

 江若雪は腕を大きく広げ、杜天佑に向かってくる幽霊の前に立ちはだかった。


「わっ! こ、このもやはなんだ? 女?」


 あわてふためく声が響き、突進してきた幽霊は足を止めると、たじろいで後ずさった。


 そのときだ。


 杜天佑の背後から、「あしどめ、ご苦労!」と唐突な声がしたかと思うと、江若雪の前に人影が割りこんできた。すらりとした細身の長身で、ゆったりとまとめた長い髪が優雅にたなびいている。

 顔を見ずとも、杜天佑には割りこんだ人物の正体がわかった。


 ――雷嵐!


 ひるむ幽霊に向かって、雷嵐が長い腕をさっと振る。直後、バリバリと激しい音が響き、彼の手元から青白い火花が散った。


「ぎゃっ!」


 火花に触れたのか、幽霊が悲鳴をあげ、その場に倒れこむ。

 次の瞬間、雷嵐がすかさず幽霊を地面に押さえつけた。

 一瞬のできごとで、杜天佑は座りこんだまま、呆然とその光景を見つめるばかりだ。


 ――今の光はなんだ?


 考えあぐねていると、雷嵐がふりかえる。月明りが、彼の整った顔を照らしだした。かたちのいい眉を寄せ、彼は杜天佑を鋭くにらむ。


「助けてほしいときは、腕輪に念じろと教えただろう?」


 ――その言葉は覚えていた。でも、腕輪に念じるなんて、ばかみたいじゃないか。


 反論が喉元まで出かかった。ところが、幽霊に遭遇した驚きと、助けてもらった気まずさで、杜天佑は「ええ」と言ったきり、口ごもってしまう。

 放心状態の杜天佑を見て、小言を言っても響かないと感じたらしい。ため息まじりに首をふると、雷嵐は取り押さえた幽霊を恫喝した。


「おまえは何者だ? 名を名乗れ!」


 問いに答えず、幽霊は口をつぐんだままだ。

 そこへ、こつこつと足音が近づいてきた。


「ふたりとも、そこにいるのか?」


 こわごわとした声が響く。ほどなくして提灯の明かりが見え、やって来たのが段志鴻だとわかる。


「段頭領、わたしたちです。雷嵐が幽霊を捕まえました」


 座りこんだまま、杜天佑が声をあげた。

 段志鴻は「すごいぞ!」と上ずった声で言い、小走りで近づいてくる。騒ぎを聞きつけ、五進院で休んでいた家令も駆けつけた。杜天佑もようやく立ち上がる。


 恐る恐る、段志鴻が幽霊に提灯を近づけた。

 すると、明かりに照らされた幽霊の姿が浮かび上がる。若い男だ。


 途端、家令が「おや、このお方は……」と驚きの声をあげた。

 若い男を取り押さえたままの雷嵐は、驚くでもなく「知った顔だったか」と淡々と口にする。

 家令は「はい」とうなずくと、語りはじめた。


「この屋敷の前の持ち主、張文彬様の御子息です。当家の当主がこの屋敷を買い取る際、私も同行しておりまして、こちらの公子にもお会いしました」


 家令の言葉に雷嵐はうなずき、取り押さえていた張文彬の息子を立たせて言った。


「張公子。正体もばれてしまったし、そろそろ他人の屋敷に忍びこんだ理由を聞かせてくれないか?」


 しかし、張文彬の息子はうつむいたまま答えない。

 雷嵐は「しかたない」とため息をつき、杜天佑に張文彬の息子の拘束を引き継がせる。そして、「ならば、私が公子に代わって言い訳しよう」と言いながら内庭の隅へ移動した。


 そこは昼間、雷嵐が最後に棒切れで突いていた木の近く。張文彬の息子が先ほど座り込んでいた場所でもある。

 木の根元に座りこんだ彼は、なにかを拾い上げ、杜天佑たちの元へ戻ってきた。


 雷嵐の腕のなかにある物を見て、杜天佑は声をあげる。


「それは……酒瓶?」


 杜天佑の言葉を耳にした張文彬の息子は、ぐっと息をのんだ。

 酒瓶は土で汚れており、埋まっていたのだとわかる。

 両手に収まる小ぶりな陶器の瓶で、口は栓で塞がれ、水除けの油紙が巻かれていた。


「そうだ。この酒瓶を探し、張公子は夜な夜な屋敷を歩き回っていたのだよ。そうだろう?」


 張文彬の息子は目を丸くし、ほどなくして足元へ視線を落とした。ついに観念したらしい。ぽつりぽつりと屋敷に忍びこんだ理由を語りはじめた。


 張文彬の息子の名は、張文俊。

 家令の言葉どおり、彼は前の中書省の郎中である張文彬の嫡男だった。


 張文俊は、失職した父とともに片田舎で閑職に就くと決まっていた。

 大勢いた下働きには暇をだし、彼らは家族だけで驛館と呼ばれる国営の宿泊施設に身をよせている。


 すぐに赴任地へ向かわなかったのは、張文俊の妹の結婚が決まったからだった。

 しかも、この娘の結婚が、張文彬に屋敷の庭に埋めた酒の存在を思い出させたのだ。


 この国には『埋酒まいしゅ』の習慣がある。

 娘が生まれると酒の入った瓶を土中に埋め、娘が嫁ぐ際に土中で熟成させた酒を宴席で振る舞う。


 張文彬もまた、遠い日に埋酒の準備をこの屋敷の庭で行ったと思いだした。

 そして同時に、その埋酒を屋敷の庭に埋めたままである事実に気づき、ひどく落胆したのだった。


「役職を失い、屋敷を手放し、娘の晴れの日に飲むはずの埋酒さえ掘りだせない。父はたいへん悲しんでいて、思い出してはため息をつくのです。落ちこむ父を見ていられなくなり、わたしは陳大人に、持ち出し忘れた物を探したいと手紙を書きました。ですが、待てども待てども返事は来ません。それなのに、妹の婚儀は目前に迫っていて……」


 他人の屋敷に無断で入った罪悪感からか、張文俊は彼のたどり着いた結論を口にできない。

 かわりに話の結末を語ったのは、雷嵐だった。

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