第8話 凶宅とはどんな屋敷か1

「わたしは、腕輪を身につけた者を助けると誓った。おまえが望むなら、その幽霊を祓ってやろう」


 思いがけない提案に、杜天佑は「幽霊を祓う? あなたが?」と問い返した。

 雷嵐は「ああ」とほほ笑み、誇らしげに胸を張って主張する。


「わたしは雷神。厄払いなど朝飯前だ。おまえも厄除けの名目で、九天応元雷声普化天尊に祈った経験があるだろう?」


『九天に応じる雷声普化天尊よ、大いなる慈悲を持ち、衆生を救いたまえ』


 ――そういえば、出会ったときから神だと言っていたっけ。


 雷嵐の言葉をきっかけに、杜天佑は首吊り鬼の事件現場で耳にした祝詞や雷鳴を思い出す。途端、雷嵐の瞳が金色に輝いた場面までも脳裏によみがえった。


 ――たしかに不思議なできごとはあった。だけど……


「神ですって? 神通力はないと言ったばかりの口で、なにを言って……」


 杜天佑が反論しかけた。しかし、若い男の「杜天佑。やはり、ここだったか」との声が聞こえ、彼は言葉をひっこめて声のするほうに目をむけた。


 視線の先にいたのは、さきほど別れたばかりの段志鴻だ。手を軽く上げた彼は、従者をしたがえて杜天佑たちのいる食卓に近づいてくる。


「段頭領。なにか、急ぎのご用でしょうか?」


 ここは大衆食堂。将軍家の公子が食事をしに来るはずがない。すぐさま席を立った杜天佑は拱手し、上司に伺いをたてた。

 段志鴻は杜天佑の肩に手を置き、頭を上げさせる。そして、ため息まじりに「突然で悪いが、調査に行ってほしい事件が舞いこんできたんだ」と告げた。


「事件? 先ほどの首吊りではなく、ですか?」


 杜天佑の問いに、段志鴻は「ああ」とうなずく。

 仕事なら断れない。かしこまって「わかりました」と応じたうえで、杜天佑はさらに「段頭領に同行すればよろしいでしょうか?」と質問した。

 すると、段志鴻は眉をよせて「わたしは行けないのだよ」と物憂げに言う。


 ――つまり、わたしがひとりで調査するのか。


 仕事に慣れたとはお世辞にも言えない杜天佑は、「そう、ですか」と相槌を打つだけで黙りこんでしまう。

 一方の段志鴻も余裕がなさそうだ。眉をよせ、沈んだ表情を浮かべた彼は「じつは、ほかに用事があってね」と言い、経緯を話しはじめた。


「兄上から人探しを頼まれてしまったのだよ。事件の調査も人探しも、兄上の指示でね。どちらも急ぎらしく、同時に進めなくてはならないんだ」


 状況を理解し、杜天佑は「ああ」と小さく声を漏らした。


 王太子の近衛である段志豪は、彼の弟である段志鴻にとっても、もちろん破迷司の下っ端である杜天佑にとっても上司。破迷司の次官たる段志豪の命令には、したがうほかない。


 段志鴻は「部下が調査にむかうと、先方には使者を立ててある」と言ってくれた。彼の気遣いには、ありがたく思うべきだろう。腹をくくった杜天佑だったが、気がかりがあって「ところで、だれを探すのですか?」と、もう一つ質問した。誘拐事件なら、由々しき事態だ。いくら上司命令だとしても、怪異事件の調査より優先すべきだと、杜天佑は考えたのだ。

 すると、段志鴻は苦々しい顔をして「だれかは、わかっているのだが……」と考えこむ様子になる。ところが、つぎの瞬間には呆けた顔をして「そういえば、顔は知らないな」と、自分でも意外と言いたげな表情をしてみせた。


 ――顔も知らないのに、人探しなんてできるのか?


 杜天佑は不安に思う。ただ、杜天佑が任されたのは人探しではなく、怪異事件だ。人探しのほうは、雰囲気からして事件性はなさそうであり、首を突っ込めば仕事が増えるだけなのは明白だ。杜天佑は「そちらも、たいへんそうですね」と相づちを打つにとどめた。

 にわかに不安になったらしく、段志鴻は表情を曇らせて黙りこむ。

 のんびり茶をすすりながら、雷嵐が「それで、杜天佑に任せるのはどんな事件だ?」と、ふたりの会話に割りこんだ。

 本題を思いだしたのだろう。多少、表情を引き締めなおした段志鴻は、話題を新たな怪異事件に移した。


「それなんだが、中書省の陳郎中が近ごろ入手した邸宅が凶宅だったらしいのだよ」


 臆病な段志鴻は話すうち、またも顔色を青ざめさせる。

 杜天佑も「凶宅」と繰り返し、ごくりと唾をのんだ。

 ところが、雷嵐はちがった。彼は「ははは」と声をあげて笑うと、言う。


「凶宅とは、面白そうだ。わたしも同行しよう」


 怖がるどころか笑いだす雷嵐を見て、段志鴻は「面白くなどない! それに、一般人を同行させるわけには……」と抗議の声をあげかける。しかし、雷嵐が話しつづけるので、彼は最後まで話しきれなかった。


「面白いさ。凶宅がなにか、お前は知っているのか?」


 問われた段志鴻は「あたり前だ。知らない人間などいはしない」と断言し、彼の知る凶宅にまつわる怪談を口にした。


 豪胆な男が凶宅だとの流言のある屋敷を手に入れた。その屋敷で長年にわたり、男は平穏に暮らした。あるとき、仕事で昇進が決まり、男は転居を決めた。

 転居を前にした宴席で「凶宅だと聞いていたが、何も起こらなかった」と、宴席に集まった客の前で男は笑う。

 ところがその夜、男の屋敷に化け物が現れ、男もその家族も殺されてしまった。


「つまり、こういった人を不幸にする屋敷が凶宅なんだ」


 段志鴻は堂々と語った。

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