誰が為の回想録(メモワール)

夜縹(よはなだ)

袖幕にて


いらっしゃいませ。店内どうぞごゆっくり、ご覧くださいませ。



⋯本日は何方どちらから?

ああ、失礼。ひさびさのお客さまでしたもので、つい出すぎたまねを。



⋯そう、そちらの地名はどうも私には耳馴染みがございませんね。はるばるいらっしゃったのですね、この時間ですから、そとはよほど寒かったことでしょう。此処を見つけていただき、どうもありがとうございます。



ただ、此方こちらに貴方さまのお求めのものがあるかどうか⋯およそめずらしい本ばかり置いてはございますが、如何せんかわり種ばかりなものでして。なにしろ、私の趣味で収集した一等品ものですので。どれをとってもいい値になることにはまちがいございませんが⋯



ふむ、「とっておきの奇譚」ときましたか。いやはや、貴方さまのようなお客様ははじめてだ。⋯いいえ、ふたりめ、だったかもしれません。どうも記憶にかんしては頭が弱くて、申し訳ございませんね。



そうですね⋯ええ、もう、だれにも忘れてしまわれぬうちに、何方どなたかにきかせておくべきなのかもしれません。



それでは、私が上等にこよなきものと自負しているものが、ひとつございますよ。

ただ、こちらには置いていないのです。しかし安心なさい、さしたる問題はありません。

それの中身につきまして、私以上に知るものはございませんので。いえ、お代などいただく訳にはまいりません。もしもご興味があるようでしたら、貴方さまのお時間がゆるすかぎり、言い値で語ってさしあげましょう。



⋯かしこまりました。それでは、奥へいらっしゃい。口ざわりの甘いものはいけるたちでしょうか?

⋯よかった。では、こちらで土間炉どまろを囲んで、ともにあたたかなショコラ・ショーでもいただきましょう。外套はこちらでおあずかりいたします。ええ、靴のまま上がっていただいてかまいません。

ああ、火に寄りすぎないで。炎はいつでもあたたかく、思わず身を寄せたくなるものですが、寄りすぎてしまえばうっかり、そのうつくしい髪をも焦がしかねませんからね。



さて、ご用意はととのいましたか?

なに、そう構えることはございません。どうか、心を落ち着けて。今宵貴方さまに、ゆっくりと聞かせてさしあげましょう。



今なお色あせることのない、無名の回想録メモワールを。


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