第21話 ソラテレ

 一般人が観光では入れない区域、ソラテレ内部への侵入は、驚くほどあっさりしていた。

 目立つ芽依の姿だけ新司の後ろに隠れるよう気を付けながら、ゲートにパスをタッチして通る。それだけ。



「昨日は入れなかったのに」



 目をぱちくりしている芽依の姿は、昨日と違って、上品で落ち着いたワンピースだ。

 お嬢様設定のため、行きがけに買った服。多少は大人びて見えるが、実年齢には届かないだろう。

 巧貢は顔を隠すためにわざと猫背になり、キャップのつばが陰になるように工夫している。早朝、鏡の前で何度も確認して体に叩き込んだ姿勢だ。



「コレがどれだけ重要か、理解してもらえたなら何よりです」



 小声で、新司が自分のパスをちらっと見せる。

 パスの使用履歴はすべてデータに残る。ゲート通過時間、社内設備の使用履歴、その他もろもろ。

 新司が拝み倒して袖の下を渡し、男女一人ずつから貸与してもらった。今は外出してくれている。

 顔なじみで、頼まれたら断りにくい性格で、少々金に困っている人物を新司は選んだ。「知り合いが見学したいと言ってきかない」という理由なので、万が一の場合も恐喝の材料にならない。よくあることなのだから。

 パスを貸与した彼ら自身が窮地に追い込まれるだけだ。



「顔認証が必要な場所は避けて通ります。迷子にならないでくださいね」



 巧貢と芽依に渡されたパスには、別人のフルネームと顔写真がある。確認されればアウトだ。

 緊張で息が浅くなる巧貢の背中を、新司はばしばし叩いてきた。



「もー、緊張しすぎですよ、タっくん!

 僕が付き添うのは今日だけですよ~?

 覚えるところは自力で覚えて、空気読んでってくださいね!」


「は、はい」



 新司は演技があまり上手くない。それを逆手にとって、あえて自然体でいくことを巧貢が提案した。

 名前は、ほぼ本名を使う。新司が呼び間違えないように。

 新司がいつも通り堂々としていることで、巧貢への違和感が薄れる。真新しいジャンパーを着た『新入り』を、知り合いのマネージャーが案内しているという画。

 視線は必ず来る、と事前に言われていたので、どうにかいなせた。

 人が多く行き来していても、スタッフは見かけない顔に目ざとい。狭い世界は、雰囲気でよそ者に気づくのだ。

 だから巧貢は、『新人のよそ者』を振る舞う。納得すれば視線は消えていく。



「思ったより、その、普通っぽいんですね……。

 あまりキラキラしていません」



 きょろきょろしながら、芽依が素直な感想を口にした。

 不審な言葉だけは避けるようにし、芽依には演技をしないように言ってある。

 芽依は芽依でいい。正真正銘、いいとこのお嬢様なのだから。



「エリアによっていろいろなんですよ。

 このあたりの外観は一般企業っぽいかもしれませんね。書類仕事も多いですから。

 見学するにはつまらないですね~。じゃあ、スタジオ見学いきましょうか!

 こっそりですよ。撮影中のところには入れませんからね?」



 現在の目標は、スタジオが多い階層に行くことだった。そこに、新司が会いたい人がいるという。

 古株の情報通。どんなに頼んでも、決して他人にパスを渡すことはないだろう堅実な人間。

 空気を読めて、周囲の変化に敏感。役者の情報はスタッフから漏れやすいが、その人は決してそういうことをしない。

 どうでもいい情報は嬉しそうに流すらしいが。……どっちなんだ。



「スタジオって、ドラマとかの撮影をするところですか? 本物ですか!?」


「もちろん本物です。

 セットを見て、裏側こうなんだ、ってガッカリしないでくださいよ?

 カメラさんと大道具さんの腕前がいいってことなんですから」



 新司と芽依の会話を聞いていると、巧貢まで呑気にスタジオ見学をしている気分になりかける。

 しかし、新司はやはり緊張しているのか普段より笑顔が固いし、芽依はぷち本気でスタジオを楽しみにしながら、時折周囲を鋭く見つめている。

 連携は、今のところ問題なし。巧貢はひたすら存在感を消すことが役割だ。



「あれ、望月ちゃん。もう局に来ていいの?

 アヤトちゃんだいじょーぶそう?」



 エレベーターに乗り込んだ瞬間、スタッフに声をかけられた。

 巧貢は身をこわばらせ、芽依は飛び上がってしまったが、新司は動じない。



「諸井チーフ! お疲れ様です!

 この度は、介音綺人がお騒がせして誠に申し訳ございません!

 ソラテレの現場に影響出ていませんか?

 噂をうまく誘導できなかったこちらの失態です」


「あー、いいよいいよ。

 デマだってみんなわかってるし。いやー炎上ひどいね? あれはなかなか鎮火しないよー。

 アヤトちゃんとばっちりごくろーさん。

 うちには被害ほとんどないし、今度週刊誌がなんか投げてきそうなら、かるーくクギさしとくね」


「ありがとうございます! 重ね重ね申し訳ございません!」



 ああ、普段からこんな感じなんだな。新司の仕事ぶりが伺える。

 諸井チーフと呼ばれた無精髭の男性が、ちらっと芽依を、そして巧貢を見た。

 一瞬だったが、懐疑に満ちた視線。今までの人々とは違う。……やりすごせるか?



「この子たちは?」


「あ~……、チーフ、見逃してください……。

 この子は『いつもの』で、まあその、どうしても見学したいそうで……。

 後ろの彼は(小声で諸井に耳打ち)アヤトさんのツテなんですよ。本場のキツさでいつやめちゃうか。だから『お客さん』扱いで」


「なーる。了解了解♪」



 男はにこにこ笑顔に変わり、巧貢と芽依への興味を失った。

 新司のファインプレーに頭が下がる。

 巧貢は、無言で少しだけ頭を下げた。不愛想でやや礼儀に欠けた若者っぽく見えただろうか。

 どうやら、男はもう巧貢をまったく気にしていないようだ。ありがたい。



 長く話せばボロが出る。早々にエレベーターを降りて階段を使うことにした。

 慣れないワンピースで芽依が歩きにくそうなので、巧貢はしゃがみ、芽依を促した。



「おんぶするから、乗って」


「そ、そんな!

 それはさすがにご遠慮します」


「新司さんが背負うと目立ちすぎる。新入りスタッフである僕ならギリギリかな?

 いいから乗って。スタジオ前で下ろすよ。

 階段で体力を消耗するより、休みながら、ここまでで視えたことを教えてほしいな」



 単なる親切かと思いきや、巧貢は見事なまでに合理的だった。

 遠慮する意味を失い、芽依が巧貢におぶさった。

 体が小さいから行けると思ったけど、意外と重いな、という脳内の言葉を巧貢は封印した。芽依にこんなことを言おうものなら烈火のごとく怒るだろう。



「まず、先程の諸井チーフという方。水の鬼に感染していました。三割程度ですので放置していいでしょう。

 最初のオフィスのようなところでも、何名か感染者を見かけました。

 現時点で、完全に鬼化した者、水の鬼本体は視ておりません。

 綺人様の気配も随時探っておりますが、この建物は、澱みが濃い。中に入っても視えにくいです。

 人間と鬼と。二つの禍が入り交じっています。

 目を開けているのが少しつらいです」



 さすがはみかがみの継承者。自分の仕事をしっかりとこなしている。

 目に負担がかかりすぎたか、瞼を押さえる芽依に、新司がすかさず目元リラックスシートを取り出した。

 それ、常備しているんだ。マネージャーってみんなそうなのかな?



「ありがとうございます。これ、あったかいです……。

 しかし、歩く時の私にはこのような気遣いは無用です。

 私は元気で我が儘なご令嬢なのでしょう?

 ふらふらしていては、設定が成り立ちません。

 精一杯はしゃいで、世間知らずな私を見せてやります」


「芽依ちゃん」



 急に巧貢に声をかけられて、芽依は目元リラックスシートをつけたまま「なんですか」と返事した。



「君、頑張り屋だね」


「な、なんですか突然!

 頑張って当然です。今頑張らなくて、いつ頑張るというのですか!?」


「見直したよ。……あ、これって上から目線だね。言い直す。

 芽依ちゃん、すごい子だと思うよ」


「え、あ」



 芽依にとっては、巧貢は厳しくて冷酷な青年だった。

 そういう大人は実家に多かったから、特筆して怯えることはないけれど。

 巧貢という人は、お世辞でこんなことは言わない気がする。



「ありがとう、ございます」


「こちらこそありがとう。

 負担、大きいよね。それでも休ませてあげられない、ごめん。

 綺人さんを見つけるまで、頑張ってくれる?」


「もちろんです。

 巧貢様と新司様の、大切な御方なのですから」



 芽依の眼は、通常の視界以外にも視える。

 瞼を閉じていても周囲の把握が可能だ。

 だから視えた。

 振り返った巧貢が、とても優しく、嬉しそうに微笑んだのを。



「その言葉、なんか嬉しいかも」



 巧貢が芽依に笑いかけたのは、それが初めてで。

 芽依は頬が熱くなるのを感じ、巧貢の背中にぎゅうっと顔を押し付けて隠した。

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