番外編 ばけもの その3

 その頃から、僕はもやもやを強く抱え始めた。

 僕が本当はスパイで、アヤトさんのことを研究所に報告しているという真実。

 最近は二週間に一回程度、メールですませるんだけど。

 僕はアヤトさんを裏切り続けている。



 僕とアヤトさんは、小さな仕事を大切にすることにした。

 どんなに小規模、どんなに地方の仕事でも、アヤトさんは手を抜かない。

 全力で歌って、最高のダンスを披露する。

 小規模だからできるトークで盛り上げたり、人数によっては全員と握手したりハグしたりする。

 赤ちゃんを連れたお母さんがいて、泣き出しちゃった時は、アヤトさんはステージを飛び降りてあやしていた。アヤトさん、あやすのうまい!



 アヤトさんの基盤は、こういうところから作られている。

 キャラとしての売りの方向は高慢&クールだけれど、実際のアヤトさんはすごく優しい。

 介音綺人の人気は、介音綺人が積み上げた努力。

 僕が一番知っている。



 といっても、ファンはいろいろいるもので。



 地方イベントは、セキュリティがガバガバだ。僕たちはボディーガードを雇うお金がない。

 女の子が刃物を持って走ってきた時、うわあほんとに来たこういう人! って思った。

 アヤトさんを庇うのに、ためらいはなかった。



「あ、綺人が悪いのよ!

 ぜんぜん地上波出なくなって、私を捨てたから!

 ライブもツアーも全部急にやめたから……、私を、裏切ったから!」



 それは事務所変わったせいです、と言おうとしたけれど、お腹がすごく痛かった。

 ナイフが根本まで刺さっている。

 ちょっとこれ、人間だったら致命傷ですよ!?



「しん、じ、新司!」



 アヤトさんが僕を抱き起こす。あ、僕倒れちゃってた。痛すぎて飛んじゃったみたい。

 その隙に女の子は逃げてしまった。捕まえ損ねた。 



「痛い……。

 けど、僕、だいじょうぶです」


「んなわけあるか!

 病院、すぐ病院に行くぞ! いや、救急車!

 今呼ぶからっ」



 震える手でスマホを取り出すアヤトさんに、僕はスマホを掴んで制し、にっこり笑った。

 いい機会だ。きっかけができた。

 ぜんぶ話しちゃおう。



「本当にだいじょうぶなんです。

 僕、人間じゃないから」



 僕は手で出血を押さえながら、ゆっくりナイフを抜いた。

 傷の上を透明な細胞が覆って、ぷるん、と癒える。

 お腹がズキズキ痛い。見た目は治っても、痛みは長く残るのが困るなあ。



「こういう感じです。

 黙ってて、ごめんなさい」



 アヤトさんは、そりゃあもう驚いていたけれど。

 想像と違って、悲鳴を上げたり逃げたりしなかった。

 アヤトさん、けっこうどっしり構えている。



「いつ言うかと思ってたけど、こんな緊急事態に言うなよ……。

 肝冷えたじゃねーか。

 マジで平気? あ、傷消えてら。すげ」



 アヤトさんは僕の服をまくって確認し、ほっとしている。

 ああ、そっか。アヤトさんは、三鷹おじいちゃんのお弟子さんだから。

 お化けや物の怪の話をたくさん聞いてて、実際に遭ったりもしてるんだっけ。

 もしかして僕、ずっと前からバレてた?



「とりあえず車で休め。

 顔色悪い。完全に治ってねえんだろ」


「治ってます。痛みだけ、しばらく残るんです」


「それは治ってねえってことな?」



 アヤトさんは大きくなった。

 身長は僕を越している。中性的だった顔はぐんと雄々しくなった。それでいて艶っぽい、色っぽい魅力が出た。

 こころも、僕よりうんと大人で。

 僕のほうが支えられることがたくさんある。今、肩を貸してくれるのもそうだ。 



「僕のこと怖くないですか? 気持ち悪くないですか?」


「今更だな。ヒトじゃねーことには気づいてた。

 隠したそうだったから聞かなかっただけだ。

 ところどころでヘンな言動しやがって。何度俺がフォローしたか知ってるか?」


「うひゃあ、知らなかったすみません! ……あいたた」


「ほら、毛布かぶってじっとしてろ。

 俺、まだ仮免だからな? 複雑なルート運転できねーぞ。治ってくれねえと帰れねえよ。

 で。新司の正体ってなんなの?」



 もやもやが。

 ずっともやもやしてた、奥の奥が。

 ぶわっと吹き上がった。



 出してはいけない情報だった。

 ずっと奥にしまって、隠して。

 だって、僕は、僕は。



「僕は、研究所で作られた、人に化けることができる、軟体のなにかで」


「うん」


「僕は、

『望月新司』という人間を、

 たべたんです。

『望月新司』に成り代わって、アヤトさんと初顔合わせに行きました。

 あなたに初めてあったときから僕は、僕で、『望月新司』のにせものでした」



 かつて、僕に自我はほとんどなくて。

 ただ命令に従った。

 『望月新司』は家族も親戚もいない。研究所は、そういう人を選んだんだと思う。

 外観テクスチャと脳内情報を取り込むため、僕は、悲鳴を上げる『望月新司』を丸のみにして。消化して。

 僕は『望月新司』の脳内情報を基盤に動いていた。

 


 ひとくいの、ばけもの。

 それが僕。

 僕は、おぞましいばけものだ。



 ぽろぽろ涙が出た。僕は泣き虫だ。

 『望月新司』は泣き虫じゃなかったのに、どうして。

 あの日、あなたをたべてしまって、ごめんなさい。

 その罪の重さに、何年も気づかなくてごめんなさい。



 僕は、人ひとりの命を奪った、許されざるものだ。



「……」



 アヤトさんは、真剣な顔で僕の話を聞いて。

 それから、低い声で尋ねた。


 

「それ以外に、人を喰ったことは?」


「ありません!

 もう嫌です、二度と嫌です! 絶対に嫌です! 

 できるなら、望月新司さんを元に戻したい!

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」



 僕はきっと、今でも人をたべられる。

 僕の力は、人を簡単につぶせる。

 嫌だ、嫌だ! いやだ!

 誰もたべたくない、誰も傷つけたくない!



 ぎゅう、とアヤトさんが僕の頭を抱き締めた。

 僕の大好きな声、アヤトさんの透明な声が、優しく耳に囁く。



「最初の一回は、俺が許す」


「えっ」


「許すったら許す。

 この世の多くがお前を非難するし、許さねえと思う。

 だから、俺も同罪になってやるよ。

 お前を許して、人喰い容認。俺も悪人」


「そんな、僕は、ずびっ」 


「あー、こら鼻水つけんな拭け!

 いいか新司。ハイかイイエで答えろ。

 お前は、これからも俺の相棒でいてくれるか?」


「…………、

 は、

 はひ、……うわあああああん!」


「うん、それでいい。十分だ。

 今は泣きたいだけ泣けよ。

 どうすっかは、あとでゆっくり考えようぜ」



 僕は。

 世界でいちばんすきな人に、許してもらえました。

 世界中が僕を許さなくても、この人が許してくれたなら。

 僕は、罪の重さを決して忘れず、しっかり抱えて生きられる気がする。




 その後しばらくして。

 僕は、アヤトさんをマジ泣きさせてしまいました。




『望月 新司』

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093090578512134

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