番外編 ばけもの その2

 あれから、あっという間の数ヶ月。

 時間が経つにつれて、僕の頭は整理されていった。

 バチバチはほとんど消えて、常識や人間らしさが、実感として体に染みわたる。

 まだぎこちないけど、これならアヤトさんのお役に立てる。

 毎日アヤトさんと一緒。知らない人がいると、たまにアヤトさんがフォローしてくれるんです。

 アヤトさん大好きです!!

 僕、こんなに楽しいお仕事でいいのかな? 



 なんて思ったら、次の日にしわ寄せがきた。

 アヤトさんは、時折体調が悪くなるらしい。僕の前ではまだないけど。

 原因はわからなくて、病院にも行かない。

 それが原因で以前ドタキャンした仕事先に、謝りにいくのが今日のミッション。

 前のマネージャーがやってなかったとか、すごく困る。引き継ぎはやっぱり大事です。


 

 めちゃくちゃ怒られた。

 わーお、耳の横で台風がぐるんぐるんしてるみたいだ、すごいなあ。

 こういう時は、……んっと?

 情報では、たまに少し文句を言い、遠回しに丁寧な皮肉で返して、最終的に相手と喧嘩する。

 …………。

 喧嘩はだめですよ。

 


 僕は2時間ずーっと、頭をあげずに罵声を聞き続けた。

 そしたら、急に許してくれた。

 僕は「ありがとうございます! 今後とも介音綺人をよろしくお願いいたします!」って、すかさず笑顔で言った。

 なんでだろう、笑われた。

 これは成功? 失敗? どっちにしても喧嘩するよりいいはずだ。



「ごめん、マネージャー。

 俺……、我が儘でドタキャンしたんじゃない。

 本当に体調、悪かったんだ。

 仕事に穴あけてごめん」



 アヤトさんは、仕事は真面目で真摯だった。

 嘘はついてないみたい。

 んっと、情報によると、体調不良というのはサボりの言い訳?

 アヤトさんには当てはまらないみたい。情報は随時、僕的にアップデートしておこうっと。


 

「アヤトさん、体、今はどうですか?

 調子悪いと、いい仕事できません。

 いいですよ休んで! アヤトさん成長期ですもん、具合悪いのに無理しちゃだめです。

 僕が代わりに怒られますから安心してください。

 最高のコンディションで、最高の仕事しましょう。

 どれだけ休んだって、僕が、新しい仕事いーっぱいとってきますから!」



 アヤトさんはびっくりした顔をした。

 あれ。間違ったことは言ってないはず。

 マネージャーは、怒られるのもお仕事。担当のタレントの健康管理もお仕事。

 売り込みして、仕事をもらってくるのもお仕事。


 

「あ、でも、ひとつだけ。

 アヤトさん、具合悪いのを隠さないでください。

 いくらでもスケジュール調整しますから、もっと早く教えて欲しいです」


「……そうだな。これからは言う。

 ギリギリまで我慢して、我慢しきれないなんて、俺、プロ意識低かった。

 無理がきく範囲なら、俺はやれるから」


「だめですーーーー!!」



 思わず叫んだら、アヤトさんが怯んだ。

 でもこれはだめだ、だめって言わないと!


 

「アヤトさんは、今もすごいけど、これからはもっとすごくなるんです!

 無理してつぶれちゃ嫌です!

 僕はもっと、ずっとあなたを見ていたいし、応援したい。

 今をこなすだけなんて、それこそプロのやることじゃないです!!」



 アヤトさんはしばらく黙って、もっとしばらく黙って。

 小さく「うん」って言った。

 今、14歳っぽかった! 今のすごくよかった!!

 


 

 最近、僕は不満だった。

 研究所の担当者が、真面目に筆記してくれなくなっちゃった。

 今日のレコーディングはほんとに、ほんっとーーにすごくて!

 音域が無限大のような透明の歌声! からだ全部で、命を絞り出すみたいな歌いかた!

 時間いっぱい使っても語り尽くせないんですから、しっかり聞いて書いてください!

 これでも要点だけ絞ってるんですよ? 前にそう言いましたよね、担当者さん。



 僕は、ためて食べることができて、ためて寝ることができる。

 細かに食べて寝て、蓄えもできる。

 活動時間にロスがないから、いろんな行動を効率よく回すことができた。運が良かったのか、いろんなところにコネもできた。

 今回は、すごくいい仕事を回してもらえた!

 アヤトさんが素敵だって、たくさんの人に知ってもらえる!



 ……でも。

 これ以上仕事つめたら、アヤトさんの体がもたないな。 

 14歳は芸能活動できる時間が制限されているから、どうしてもつめつめになっちゃう。

 ただでさえ、アヤトさんは自分を追い込むような自主トレと食事制限をするから、もっとセーブさせなきゃいけないのに。

 このミュージカル、一年のロングランなんだよなあ……。

 主演とからむポジションで、まだ成長途中のアヤトさんだからこそできる子役。

 アヤトさんは歌がうまいし演技もできる。この仕事、逃したくないけど、どうしよう。


 

 アヤトさんに相談した。

 体調は大丈夫か、一年間の公演が可能か聞いた。

 アヤトさんは、大人びた顔で笑った。

 おかしいな。アヤトさんの目の感じ、いつもと違う。ちょっと暗いような?



「願ってもないでけえ仕事だ。

 やるよ。一年やりとおす。

 で、もう一度聞くけど、脚本は巍成篤三なんだな?」


「はい! 毎回ヒット確約の巍成篤三です!」



 僕は浮かれていたと思う。

 アヤトさんに大きな仕事を回せて、アヤトさんも頑張ってくれるみたいで。

 だから、引っかかっていた違和感を無視してしまった。

 嬉しいのに、喜ばしいのに、ずっとついて回るこの違和感、なんだろう。



 最近、僕はほとんど情報に頼っていなかった。

 なんだか情報が重くて、ちょっと苦しいこともあって、やりたくなかったんだと思う。

 それでも気になって、僕は無理矢理「巍成篤三との食事会」という言葉を情報と照らし合わせた。



「……食事会。今夜、だ」


 

 僕は真っ青になって車に飛び乗った。

 脚本家と一対一の食事会はもう終わっていて、アヤトさんは、豪華なホテルから帰宅するところだった。



「アヤトさん!!」



 僕は泣いて、泣いて、泣いて、アヤトさんの前に土下座した。

 食事会、二人きり、巍成篤三がほぼ無名の介音綺人をキャスティングに入れた理由。

 もっとはやく、僕が情報を確認していれば。



「ばーか。泣くなよみっともねえ。

 うちの事務所、だいたいのヤツがやってるよ。

 俺もこれが初めてじゃねえし」


「こんな、こと、こんなこと、させるつもりじゃ……!

 アヤトさ、ごめんなさい、ごめんなさい、

 僕は、あなたを、そんなふうに、そんなふうにはっ」


「……。

 わかってやってると思ってた。

 ほんとーに馬鹿だったんだな。望月さん」


「はい、ばか、でした。

 事務所のやりかた、しらなかっ」



 ぐしゃぐしゃぐしゃ。

 アヤトさんが僕の頭を撫でた。

 大人と子供が逆転したみたいだ。



「もうやることやったんだし。これ以上減らねえよ。

 その分、このミュージカル食らいつくからな。見てろよ望月さん」


「シンジ、です」


「ん?」



 僕は、書類上では28歳だ。

 アヤトさんは15歳になったばかり。

 僕は大人でアヤトさんは子ども。そういう線引きを、僕は超えたかった。



「僕、あなたの相棒になりたい。横に並べる存在になりたい。

 だから、シンジって呼んでください」



 最初は、「あんた」や「お前」。それから、「マネージャー」。

 最近は「望月さん」。

 僕の呼称は変わっていった。

 もう一段階、近い名前で呼んでほしい。



「なんかさ、めちゃくちゃ変な奴だよな。

 新司って」



 呼んでくれた!



「はい、僕は変な奴です!」


「なんでそこ喜ぶかな。あはは!」




 ミュージカルは大成功した。

 主演女優が実力派だったこと、助演男優が舞台専門の本場だったこと。それに圧されず、アヤトさんがきらめく歌声と演技力を披露したお陰で、アヤトさんのオファーが一気に増えた。



 やっと土台ができたのに、もったいないけれど。

 これまでの努力を、全部崩してしまうかもしれないけれど。


 

「アヤトさん、退所を考えましょう」



 考えて考え抜いて、僕が出した答え。 

 アヤトさんは16になった。成長期のアンバランスさと元来の美貌、やもすれば性別不明に見えるミステリアスさが、アヤトさんのまわりにいろんなものを引き寄せた。

 僕を通さず、事務所はアヤトさんに直接、何度か「食事会」をさせていた。ここは昔からそういうところらしい。

 僕が反対するとわかって、アヤトさんは黙っていたみたいで。

 この事務所にいる限り、アヤトさんは逃げられない。


 

「おいおい、契約満了までかなりあるんだぜ?

 ここより大手ほとんどねえし。個人の理由で抜けんの、ご法度だってわかってるよな?

 俺もそれなりに納得してるから。長いものには巻かれろってな」


「僕は納得できません」



 大人の心にならざるを得なかったアヤトさんに、僕は全力で反論した。

 アヤトさんは、そんな目をしてほしくない。 



「そんなのがまかり通るのがぜんぶ悪いんです!

 それに、それに。

 長いものに巻かれるなんて、ぜんぜんアヤトさんらしくない!

 アヤトさんのほうが相手をぐるぐる巻きにしてやる、くらい言ってください!

 強気で、自信家で、かっこつけの外面が売りなんでしょう!

 納得なんて、しない、で、ください」



 僕は泣いてしまった。

 僕は泣き虫だ。この数年で痛感した。

 すぐ泣いてしまうのは、業界ではよくない。僕はポーカーフェイスが下手くそだ。

 ぐちゃぐちゃで支離滅裂な僕の訴えに、アヤトさんは、



「ありがと」



 って、少しだけ笑ってくれた。



 その日から、僕とアヤトさんは事務所と対立し、「一対一の食事会」を全部断った。

 「食事会」はそんなに頻繁にあるわけじゃなかったけど、受けないという態度が知れ渡ると、アヤトさんにスポンサーがつかなくなった。

 そういうやり方で顧客を得ていた事務所だから、当然だった。

 苦しい状態に追い込まれながら、弁護士を介し、完全に退所するまで二年かかった。



 僕の提案は、間違っていたのかな。

 18歳という旬の時期に、アヤトさんは業界から干された。アヤトさんを受け入れてくれる事務所がなかった。

 仕方なく個人で事務所を立ち上げた。

 そういう世界なんだ、そういう場所なんだと思い知らされた。

 でも、まっとうな事務所はいっぱいある。いつかそっちに移籍しよう。

 けっこう揉めても、時間が解決することが多い業界だし。



 アヤトさんは、僕がもう一度、光の中に戻してみせる。

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