番外編 ばけもの その1
さいしょのすがた
https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093090463383656
人間でいう『産声をあげた』時。
僕は、ほとんどの赤ちゃんがそうであるように、自我がありませんでした。
よくわからないけれど、生きている。
同じような存在がたくさんいる、広いアクリルケースのような場所で、僕は飼育されていました。
しばらくして、僕には『30日溶解せずに形を保った個体』という称賛がつきました。
「これ、65日経過したんだぜ。まだ形保ってる」
「そりゃすごい。0.08%を抜けた個体が出たか」
「ほんとに奇跡だね!
この個体の細胞コピーできそう? 量産できればなあ」
「いやー、コピー試したんだけどね。全部どろどろ。
細胞そのものは、他と同じっちゃあ同じだしな」
「なあお前、なんでお前だけ成功したか教えてよ」
僕は、アクリルケースの向こうにわかるように、一部を丸く突起させ、横に動かしました。
首を振る動作。わからない、と伝えたつもりでした。
伝えたのに、ものすごく驚かれました。何人かはひっくり返っていました。
僕の呼称は、『人間の言葉を理解できる奇跡』になりました。
その頃の記憶は曖昧です。
考える力が乏しかったんだと思います。
僕は誰かに何かを命じられました。
僕はその時、形を変えて、別のものに生まれ変わりました。
「こっちを見ろ、望月新司」
僕はそちらを見ました。
その時の僕は、頭の中がバチバチして大変でした。
たくさんの情報が一気に押し寄せて、理解がついていかない状態でした。
だからまだ、僕は空っぽに近かったんだと思います。
「理解できたら、はい、と言ってみろ」
「……はい」
「発声もできるか!
やらせてみるものだな。
……うん? せっかくの希少な個体?
だから使うんだろう。研究者風情が、意見できると思ったか?
事前テストでは知能は犬程度らしいが、今はどうかな」
その人は、僕に紙を渡しました。
僕は受け取りました。
ひとの絵。……これは、写真、というものだ。
人が写っている。
「この写真の人間、名前は介音綺人。
お前と同様、貴重な成功例だ。
介音綺人を監視し、こちらに情報を流せ」
「はい」
「お前の位置づけは、介音綺人の新しいマネージャーだ。
理解できているか?」
まねえじゃあ、とは、なんだろう。
まねー、じゃー。マネージャー。
僕の名前は望月新司。大手芸能プロダクションに雇用された芸能マネージャー。
3日前に転属。別事務所では4年の経験あり。
担当は介音綺人。前のマネージャーは失踪。その後を引き継いで、明日、初顔合わせをする。
情報がかみ合った。一致した。
理解した。
「僕は、このひとの、マネージャー……
に、これからなる。
配属、される?
命令、実行が可能です」
僕は、もう一度写真を確認した。
介音綺人。かいねあやと。
きれいなひとだなあ。
かっこいいなあ。
僕はこの人を支える仕事をするんだ。
そっかあ、うれしいなあ。
まだ頭がバチバチしていたけれど、僕は帰宅して、まず服を着替えた。
与えられた服はちょっとひどくて、シーツに穴を空けたような代物だったから。
芸能マネージャーとして、スーツにネクタイはかっちりしすぎかも知れない。
でも、僕はこの事務所では新人だから、これくらいのほうがいい。
……あれ、あれ。
情報がいっぱい、たくさんで、混乱してる。
ええと、僕は望月新司。ここは僕の家、おんぼろのワンルームマンション。
合ってる。情報は間違ってないみたい。
じゃあ、時間通りに出勤しなきゃ。一分どころか一秒、0.1秒だってずれちゃいけない仕事なんだから。
……へえ、この仕事、そうなんだぁ。
ううん、情報と感覚のずれが大きいなあ。頭のバチバチが収まるまでは、こうなのかな。
はやく、バチバチおさまるといいな。
「おはようございます!」
挨拶が口から自然と滑り出す。
朝昼晩関係なく、おはようございます、だ。うん、あってる。
この仕事は笑顔が大事。にこーっと笑ったら、「今日はやたら機嫌いいな」と笑われた。
誰だろう?
……直属の上司。僕を引き抜いた人。
引き抜く、って、僕、どこから引っこ抜かれたのかな?
「笑顔は大事だな、って思って」
「はははは! その通りだ、その調子その調子。
この前は不満たらたらだったじゃんか。 なに、心境の変化?」
「僕、なにかおかしいですか」
「いやー、いいよ、いい。
今のテンション保ってな。くじけんなよー?
暴れん坊のお守り、頑張れ!」
笑いながら背中を叩かれる。
おかしくなかったみたいだ。よかった。
今からすることは……、
介音綺人に会いに行く。
うわあ! うわああ!
きれいでかっこいい人。年齢は、14歳。
うれしいなあ、わくわくするなあ。
あの人に会える、おはなしできるんだあ。
ばしゃあ!
僕が最初にされたことは、ペットボトルの水をかけられることでした。
???
自己紹介して、挨拶して。そしたら、ばしゃってきた。
???
こういう時、どう反応するのが正解?
だめだ、バチバチしててわからない。自分で考えよう。
僕は目の前の彼を見ました。
写真の子。生のカイネアヤトさん。動いてる。すごい!
きれいでかっこよくて、かわいい!
この表情と目つきは、えーと、威嚇? 疑念? 軽めの敵意?
僕が近づくのを嫌がって、なにか疑っているということ。
すごーい!
その通りです、僕、スパイなんです!
僕、あなたの情報を研究所に伝えるんです!
アヤトさん、勘がいい! かっこいい! 最高です!
あれ。アヤトさんが変な顔してる。
威嚇と敵意が減って、疑念が増えて、なんか別の感情も混じってるような。
あー、僕、ずっと黙ってるからだ。おしゃべりしないと。
おしゃべりは大切なコミュニケーションだから。
何を話そうか。話題、話題。これだ!
「お水なくなっちゃいましたね。
買ってきましょうか?
どのメーカーが好きですか?」
笑顔で言ってみた。
あれ? よけい疑念が増えた?
今の話題はそぐわなかったかな?
でも、アヤトさんの手のペットボトルは空だ。お水ないと、喉乾きますよね。
髪からぽたぽたしずくを垂らす僕に、アヤトさんは、今度はタオルを投げつけた。
「ごめん、やりすぎた。
わざわざ買ってこなくていい。
急に前のマネージャー消えて、あんた、胡散臭かったから……。
こんなやり方で追い払うとか、俺が間違ってた。ごめんなさい」
謝ってくれた。顔はそっぽむいてるけど。ごめんなさいって。
僕、なんともないのに、どうして申し訳なさそうなんだろう。
よし、大丈夫だってアピールしよう!
「とんでもないです、こういうのもお仕事、なんだってどんとこいです!
僕になんでもぶつけてください。僕、ぜーんぶ受け止める自信ありますよ!」
500kgくらいまでの物体なら、投げつけられても余裕でキャッチできる。頑丈な体でよかった!
自信たっぷりに鼻で息を吐いたら、アヤトさんは「ふはっ」って小さく笑った。
笑った。笑ったあーー!! かわいい、かっこいい、笑顔最高!!
「うん、期待してる。
だから早く髪拭けよ。風邪ひいたら、俺のスケジュール任せられないじゃん?」
あ、また笑った。
さっきと違う笑顔。あったかい。見るだけで幸せになる。
こういう時は……頭の中で『カミサマアリガトウ』って言うの?
へんな情報。とりあえずやってみよう。
「カミサマアリガトウ! 僕のアヤトさん、かっこよくてかわいくて最高です!」
あ、声に出しちゃった。
アヤトさんは、お腹を抱えて大笑いした。
「俺、お前のものじゃねーよ」
アヤトさんの表情がやわらかになってる。
ちょっと仲良くなれたかもしれない。
やった、やったー!!
初日の挨拶のあと、事務所の仕事を終えると深夜になっていた。
アヤトさんの今後のスケジュールは、引き継ぎしてくれる相手が行方不明だから、書類やデータで確認するのにちょっと手間取った。
見れば記憶できるけれど、なにがどこにあるかわからないし、頭はまだバチバチしているから。
僕は研究所に戻り、担当職員に今日の出来事を報告した。
担当職員は、途中でペンを投げてしまった。
だめですよ。報告することはまだまだあるんです。アヤトさんがどんなに素敵だったか、まだ半分も伝えてません。
ちゃんと全部書き留めてくださいね!
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