第19話 できない
できるだけ目立たないよう、新司はスタッフしか使用しない裏口側に駐車した。
巧貢と芽依は車内で待機。まずは新司一人でパスを手に入れなければならない。
芽依はもちろん、業界特有の雰囲気の中では、巧貢もかなり浮いて見える。
スタッフジャンパー一枚くらいなら、予備を持ってこれると新司は笑顔で言っていたが。
一時間たっても帰ってこない。
「何かあったのかな」
巧貢はスマホで連絡するかどうか迷った。
新司から、連絡は最低限にしてほしいと注意されている。交渉中に電話が鳴ると、うまくいく話もうまくいかなくなると。
『といっても、アヤトさんになにがあるかわからない状態で電源は切れません。
必要な時に僕からかけますから、タクミさんは、もうだめー--ってくらいなにかあった時だけ連絡してくださいね』
まだ、待とう。ぎゅっとスマホを握る手のひらは嫌な汗がにじんでいて、巧貢はズボンで乱雑に拭いた。
「…………。
この建物、とても危険です」
金色の瞳でじっとソラテレ本社を眺めていた芽依が、ぽつりと呟く。
巫女服で潜入させられないので、道中、まだ開いていた古着屋で芽依の服を数着買った。
子供服のサイズがぴったりなことに不満を言っていたが、財布は新司なのだから感謝すべきだと思う。
急いで買った服は、可愛いアニマルプリントのトレーナーにフレアスカート。どこから見ても完全に小学生だった。
「どう危険なの?」
「鬼がいます。たくさん。
人として死んだなれの果てが歩いている。当然のように動き回っている。
多すぎるのと、靄のような……大きな力も重なって視えにくいです。
もともと、瘴気がたまりやすい場所のようです。鬼本体が巣にしているのかも」
人間の成れの果て。三鷹に見せられた老婆や、半狂乱の高城を思い出す。
かたちは人間で記憶もありながら、人としては死んでいる存在。
感染が100%に達した時、人は鬼に生まれ変わる。
「幻を使う鬼に感染したら、同じ力、使えるようになったりするのかな」
「断言できませんが、増えた鬼に幻術は使えないと思います。
あんな強力な術は異界の物の怪しか、あ!」
新司が裏口から走り出てきた。
小脇に抱えているのは未開封のスタッフジャンパー。ソラテレの固有カラー、鮮やかなラベンダーパープルだ。
新司は運転席のドアからジャンパーを放り投げ、しばし真顔で沈黙した。
「明日の午前10時に、出直しましょう」
「明日!? そんな、ここまできたのに!」
「一時的とはいえ、パスは各所で使うもの、そして個人の身分証です。
借りられそうな充ては数名。該当者は現在いませんでした。
明日なら、セットを組む工程で信頼できるスタッフと接触できます。
今はお二人を中へ入れる手段がありません」
「そのような戯言を!
無理矢理にでも入ってしまえばいいではありませんか!」
芽依が食って掛かると、どがん! と鈍い音がした。大きな岩が落ちたような音。真下からだった。車が少し揺れた。
新司が、アスファルトを踏み破ったのだ。
新司にいつもの笑顔はない。つとめて真顔であろうとしているが、新司はここにいる誰よりも悔しそうだった。
目の前にソラテレがある。この中に綺人がいる。
新司はパスがある。一人なら出入りできる。
新司は自分だけでは太刀打ちできないと理解している。無謀な行動に出ず、今できること、ジャンパーを持ち帰ることだけを遂行して戻った。
「アヤトさん、アヤトさんアヤトさんアヤトさん……」
泣くように繰り返す、大好きな人の名前。
新司にとって、自分の存在のすべてのような人。
光り輝く場所で、いつまでも誰かの『偶像(アイドル)』でいてほしいと願う人。
もし助からなかったら? 自分だけが取り残されてしまったら?
かつて拾われたこの命を、彼のために使うことができなかったら?
「アヤトさんは、強い、から。
明日でも、間に合う。間に合うんです。
それに、……連戦は、タクミさんの体力的にきついですよね。
僕、必ずパスを手に入れますから。だから、あした、アヤトさんを」
いつのまにか、全身がたがた震えている新司を、巧貢がそっとハグした。
外観は大人で、マネージャー業務になると敏腕で、本質は純粋な存在。
このひとも、きっと子供なんだ。巧貢は新司の背中をぽんぽんし、さすった。
「そうですよね。
綺人さんは強い。だから、新司さん。明日もう一度来ましょう」
新司はぐず、と鼻をすすって頷いた。
しかし芽依は許さなかった。
テレビ局のセキュリティがどれだけ厳しいか理解していないのか。一般開放エリアに観光客が行き来しているのを見て誤解したのか。
あるいは、己の力の傲慢さか。
「目の前に鬼がいる、助けなければならない人がいる、そんな時に退くとは。怖じ気づくのも大概になさってください。
介音綺人様は、かつての英雄の唯一の弟子であり、現世(うつつよ)の八百比丘尼。
神器みたまに選ばれるにふさわしき人材を、ここで失くすと言うのですか!?
やはり私が行きます。下ろしてください」
ひゅっ、と風切り音がした。
巧貢が手を振りあげていた。
殴られる!? ……いや、違う。この眼、この覇気。
斬られる。
硬直する芽依の喉元に、ぴたり、と巧貢の人差し指が突きつけられた。
右手は神器を出していない。けれど、芽依は一瞬、そこに刃が見えた。
芽依はその場にへたれ、動けなかった。見えぬ刃が頭を通っていった気がした。凄まじい覇気だった。
「君のやる気はすごいね。
僕としても綺人さんを助けたいから、気持ちはありがたく思う。
でもね。
ほぼ初対面の君が、僕の大切な人を罵倒して傷つけるの、許せないな。
本当に一人で行く?
だったらここで君を捨てていくよ。邪魔だから」
「タクミさん!!
僕、ぼくの力が及ばなかったのは事実で、メイさんが怒っても仕方なくて、
タクミさん、こわいです、タクミさん……!」
新司にすがりつかれて、巧貢は右手をおろした。
指差しただけだ。触れてもいない。心の中でみつるぎをイメージして振り下ろしただけ。
綺人は救いたい人。新司は守りたい人。巧貢の中で明確な区分がある。
芽依は?
義務的に保護した。人道的に扱った。戦力になるだけの他人。
歯を食い縛って戻ってきた新司を冒涜するのは、許さない。
「……ともかく、今日は家に帰りなよ」
怒りなんて感情が自分にあったんだな、と他人事に思いつつ、芽依の処遇を宣言する。
彼女は幼い。こころが幼い。どんなに強かろうと、単騎で飛び出すタイプとは組めない。
家まで送ってそれで終わろうと思ったのに。
「家には、帰れ、ません。
私は家を逃げてきました。
戻れば命を失うか、尊厳を失うか。
生き長らえても、永遠に閉じ込められます。
かえり、たく、ない。
……おとうさまが、みんなが、こわい」
芽依が初めて見せた等身大の姿は、怯えて縮こまる幼子だった。
「こわい、こわい」と繰り返し、体を折り曲げ足を抱え、限界まで自分を小さくして。
「帰ったら、私、ころされる」
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