第16話 再びあの場所へ

 時計の針が、夜の7時を静かに告げる。

 あちこちを駆けずり回り、尋ね回っても、綺人の行方はわからなかった。



 体は疲労しているのに、緊張と焦りで自覚できない。巧貢がふらついているのに気づいた新司は、半ば引きずるように(物理的に少々引きずった)巧貢を拠点のホテルへ戻した。


 

「タクミさんはご飯食べて、休んでください。

 僕が平気なのは、僕が人間じゃないからです!

 同じ感覚で動いたらひっくり返ります。

 ただでさえ、昨日、岩嶽と戦ったばかりなんですよ。

 タクミさんはカラダもココロもヘロヘロなんです、わかりますか?

 わかんなくてもいいです、いざって時に動けるくらいに体力回復させてくださいっ!」



 さすが芸能マネージャー、人間管理のエキスパート。叱る時はきちんと叱れるようだ。

 叱り方が、威嚇するモモンガのような……どうにも迫力に欠けるのはともかく、新司の言うことは正しかった。

 もし今、鬼が襲ってきて、疲弊した体で戦えるか。まともに動けないで、やられておしまいだ。


 

 新司がルームサービスを頼み、豪華な夕食がカートで運ばれる。

 新司はホテルマンでも警戒を怠らず、部屋に入らせずにカートを受け取った。

 ボリュームのある豪華な食事だったが、義務的に口に入れて咀嚼するだけだ。

 三鷹邸でも味を感じられなかったが、あの時より酷い。砂やゴムを口に入れている気がする。



「綺人さん、どこに行ったんでしょう」



 食事の手を止め、ぽつりと巧貢が呟くと、新司が席を立って巧貢の背中をばんばん叩いた。

 ちょっと戻しそうになった。



「どこかにいます!」



 それは、そうだろうけれど。

 新司は頑張って笑顔を作っていた。素直な彼は、普段のおひさま笑顔との違いがすぐ分かる。

 一番心配しているのは、付き合いの長い新司だろうに。



「ご飯、いっぱい食べてくださいね! 食べきれなかったら僕が食べます、無理ないくらいで。

 お風呂で汗流して、少しベッドで眠ってください。何かあれば起こします。

 だいじょうぶです。

 今まで、たくさん乗り越えてきました。アヤトさんは強い人です」



 何の力にもなれないどころか、励まされてしまった。

 巧貢は頷いて、胃の八分目までは食べようと努力した。

 綺人といい新司といい健啖家なのか、この状況でもよく食べる、……ん?


「新司さん! それ! それ食べちゃだめ!!

 フォーク、フォーク食べてる!!」


「んむ? あっ!

 ごめんなさい! 普段はこんなミスしないのにっ」



 新司が慌てて口から取り出すと、フォークがフォークたる先端はなくなっており、ただの棒だった。

 巧貢を励ましながら、新司も激しく動揺しているらしい。

 この人、金属食べちゃうんだ。すごいな。



 シャワーだけ浴びて備え付けのルームウェアに着替えると、ほんの少し落ち着いてきた。

 新司は、絶え間なくどこかに電話している。

 巧貢は邪魔しないように、メモで『三鷹さんに電話したい』と告げた。

 今一番頼りになりそうな人。綺人の居場所がわからなくても、なにかアドバイスをくれそうな人。

 声が出ない三鷹と電話で会話できるかどうか……、とにかく連絡してみよう。



『申し訳ありません』



 三鷹邸の使用人の言葉に、巧貢はぎゅっと目を瞑った。

 自分たちが館を出たのを見送るように、三鷹は意識不明になったのだという。

 医師の話では、このまま目覚めない可能性もあるらしい。三鷹は高齢だから、と言っていたが、継承で力を使い果たしたに違いない。



「三鷹さんに、僕たちがやり遂げるまでは駄目です、って伝えてください。

 耳元で伝えるだけでかまいません」



 心からの祈りを込めて、巧貢は通話を切った。



 呆然と窓越しの夜空を眺めている巧貢の肩を、ばんばんばん、と通話中の新司が叩いた。

 かなり痛い! 加減の余裕がないということは、なにか手がかりが?



「サンエムに、時間は13時頃。いたずら電話かと思いますよね、仕方ないです。

 一応確認したいので、録音データ送っていただけますか。

 今、耳でも聞いておきたいです。流せます?」



 サンエムプロダクションは、綺人の所属事務所だ。

 新司はサンエムプロダクションとも契約関係にあり、綺人個人を優先しながらも事務所の仕事を行っている。

 一般人から、綺人に会いたいという電話があったらしい。

 そういう内容は全然珍しくない。いたずら目的から、本気で会えると思っている人まで様々。事務所はすぐに専用オペレーターに回して、適当に話を聞きながら穏やかに断る。

 恫喝や脅迫もまったく珍しくないので、電話内容はすべて録音されている。



「はい、流して下さーい」



 新司はスピーカーホンにして、目で巧貢に合図した。

 声は若い女性のようだった。



『ええと、介音綺人さんの事務所で間違いありませんか?

 その、私、……あ、怪しいものではございません。

 介音綺人さんについて、お知らせしたほうがいいことがあって。

 近しい方に繋いでいただけませんか』



 怪しい。

 怪しいものではございません、とわざわざ言うのがものすごく怪しい。

 ここから、専用オペレーターに回されたようだ。

 オペレーターは慣れた様子で、やんわりと不可能だと告げ、相手は「なんとかできませんか」と複数回食い下がった。



『無理を言っているって私もわかっております。

 けれど、やっとこの連絡先を見つけて、ここ以外、話せるところがないのです!

 お願いします。お命にかかわります。

 縁者の方、近しい方に、どうか伝えてください。

 私、……ええと私は、……。

 あの道路の林で待っていますと、それだけでいいですから!

 ……無理、ですか。

 はい。……失礼します』



 電話はそこで切れた。

 今度は、巧貢が新司をバシバシ叩いた。新司は頷き、「ありがとうございました、また連絡します!」と、素早く電話を切った。



「タクミさん、今の、なにかわかりました?」


「『あの道路の林』は、きっと高城さんの事故現場です!

 この電話の相手、あの道路脇の原生林にいるって言ってます。

 僕はこの子の声を、一瞬だけど聞いたことがあるんです。

 写真に写ってたあの子です!」


「ブレブレの巫女服の?」


「それです!」



 幻影の中で聞いた少女の声。たったひと声だけ。



『待ちなさい!!』



 似ている。同じ声だ。

 あの声は、高城を止めようとしていた。

 捕まえようとしていたのかもしれないし、飛び出すな、危ない、という意味にも考えられる。



「でも、今の季節、あそこ冷えますよ。

 あの現場のファンたちも、夜にはほとんど引きあげます。

 電話は13時だったし、もういないかも……」


「いてもいなくても、やっと綺人さんの手がかりっぽいものがあったんです。無駄にしたくないです。

 あ。事務所側で、相手の番号はわからなかったんですか?」


「公衆電話でした。だから余計、いたずらかと」


「公衆電話かあ……」



 新司が車を出して、巧貢が助手席に乗る。

 新司の車のほうが大きくがっしりしていて、高級感があった。お偉いさんの公用車みたいだ。

 実際に窓は防弾らしく、セキュリティは完備されていると道中に新司が話してくれた。


 

 つい先日、綺人と訪れた事故現場は、昼と夜では様相が違っていた。

 周囲になにもない場所だから、ファンも長居できない。交通規制は一部解除されていて、片道だけ通れるようになっている。

 片側がガードレールでその先は崖、反対側は原生林という重々しい雰囲気は、なにもなくても普通に夜は怖い。



 交通整理をしている警官に見つからないよう、かなり遠くに車を停車する。夜はライトだけで目立ってしまう。

 寒さに肩をすくめ、コートの前を掴みながら巧貢は原生林に踏み込んだ。

 迷わない程度に奥まで入り、回り込んで事故現場に行こうと試みる。



「タクミさん、僕の手を握ってください。

 安全な最短ルートを案内します」


「ラブホの時も思ったんですが、新司さんの頭にはカーナビみたいなものがあるんですか?」


「そんなのありませんよ?

 ここに来る前にマップを細かく記憶しただけです。

 僕、一度見たら忘れないので」



 記憶、というより記録、に近いのかもしれない。

 にこにこと優しい怪異は、やはり人間ではなく怪異なのだ。

 そう実感するのに、さっぱり怖くない。新司という人間性(?)だろうか。



 15分ほど道なき道を歩くと、新司が急に止まったので巧貢は背中にぶつかってしまった。

 新司が、無言で振り返って唇に人差し指をつける。



 木々の合間から見える、真っ赤な袴。

 そこにいたのは、確かに巫女服の少女だった。

 巧貢が撮影した人物で間違いないだろう。



「さささささむ、い……、さむい、こおりそう……。

 私、なんで、こんなところを指定してしまったの……」



 しゃがみこんで半泣きで、体をさすりながら震えている姿は、どう見ても生身の人間だった。

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