番外編 その声の決意 2
杖をついたジジイだった。
杖いるか? と思うくらい肩幅ががっちりしていて、背筋がしゃんとして、グレーのスーツを着たマッチョジジイだった。
よく見ると足を引きずっているから、杖は必要らしい。
「うるさく、て、わるかった、な……ごほっ!」
俺は激しく咳き込んで、血を吐いた。
手に真っ赤な血。口の中に苦い鉄の味。
死ぬのかも、と思った。
いやだ、しにたくない。しにたくない。
「五月蠅いだけならともかく、お前、有害なんじゃよ。
その声が」
ジジイの杖が、ぴたりと俺の喉に突きつけられた。
ジジイの迫力と眼力がすごくて。刺されるかと思った。ただの杖なのに。
「放置すると、人死にが出るわい。
それくらい危険で、雑で、なんというか……。うむ、なんというかじゃ。
術式施した輩の顔が見たい。形がなくなるまで殴ってやるわ、下手くそが」
なにを言われてるかさっぱりわからない。
俺は聞き上手だったからわかる。このジジイ、めちゃくちゃ言葉足らずだ。
「おれ、しぬ、の?」
「うむ。儂が殺そうと思ってここに来たんじゃ」
俺は飛び上がって、ベッドの隅に逃げた。
殺される? なんで?
このジジイ、目が本気だ。
「今のお前は、声だけがあやかし。人間でなくなった半妖怪。
その声で人に命じれば、たいていの人間は抗えん。
もし、悪口気分で『死ね』とでも言ってみろ。
聞いた人間は自害するじゃろう。
そうなる前に狩っておくのが儂の仕事じゃ」
声だけ、妖怪。
俺、人間じゃなくなったのか。
包帯越しに喉を撫でる。
そうか。そうじゃん。
おかしいじゃんか。
こんなに大きく喉を切られて、俺、なんで生きてんの?
人間じゃなくなったから?
「う、うう……、ひっく、……、う……」
「悪いが、泣かれるのも困るんじゃよ。
ここは病院。嘆きに感応した患者がどうなることか。
安心せい。痛みを感じるより早く逝かせてやろう」
するり、とジジイが杖から何かを抜いた。
こんなの映画でしか見たことない。仕込み杖、長い刃。
ほんとうに、ころされる。
俺はあえてジジイのほうを向いた。ジジイは既に構えていて、あと一瞬遅かったら、俺はそこで終わっていたと思う。
「おしえろ!!」
あらん限りの声で叫んだ。
このジジイに俺の声は効かないだろうが、それでもジジイはきょとんとして足を止めた。
「このこえ、まとも、に、しゃべれるよう、おしえろ。
めいわく、かけないよう、しゃべりたい」
「儂は、生半可な覚悟の奴が糞ほど嫌いじゃ。
どこまで本気だ?」
ジジイはまだ刃を引かない。
答えを間違えれば殺されるだろう。
俺はジジイを睨みながら、まだうまく出ない声を振り絞った。
「まもりたい、ひとが、いる。
うちで、おれを、まって……る」
かちん。
ジジイの仕込み杖が、元通り仕舞われた。
ジジイがどんな魔法を使ったのか知らないが、俺はその日に退院した。
あとからわかったが、事務所も退所していたらしい。
俺は古めかしくて美術館みたいな家に連れていかれた。
「基礎体力がなっとらん。腕立て伏せ100回追加」
「できるか、くそじじ……っ」
「膝で支えるのを許しておるのに、できんでか」
鬼のようなスパルタ訓練を受けた。
まだ熱も下がりきってない子どもだぞ、糞ジジイ!!
ジジイは一度、喉の力を完全に封じた。
体力の下地ができ、俺が制御を覚えるとともに封印を緩めていった。
この声を意のままにできるまで家族に会わせられないと言われたから、俺はがむしゃらに、言われたことも言われないこともなんでもやった。
一年で声を制御できるようになった時、珍しくジジイは俺を褒めた。
「死にかけの吐血マーライオンが、よくもまあ。
やればできるもんじゃな、糞ガキ」
「吐血マーライオンとか言うな糞ジジイ!
俺は、やればできるんだよ。なんだってやってやるんだ!
この声で生きる。そう決めた。
夢だって掴んでやるからな、見てろよ! だから長生きしろよ!」
ジジイ……じーさんは、すごく優しそうに笑ってたっけ。
変えられた自分の声に、憎悪を感じたことは数えきれない。
かつての声はもう戻らない。やたら綺麗な声が耳について狂いそうになることもあった。
何度、喉を裂こうと思ったか。それでも思いとどまった。
あのめちゃくちゃな手術を生き残ったのは、俺ひとり。
たった一ヶ月の寮付き合いだった。顔も覚えてねえけどさ。
何も知らずに逝った12人の命の重さが、ここにある。
新しい声で、力を使わず芸能界で成功すれば、ちょっとはあいつらへの手向けになるんじゃね?
20年近く芸能界にいれば、いろいろある。
そこそこ売れた時期、大手事務所からの移籍で揉めたせいで、仕事がなくなったことがあった。事実上、引退に等しかった。
こんちくしょうと思いながら、だったら今、声の『力』を磨いてやろうと、祓い屋やってる霊能事務所に飛び入りバイトした。
怪異や魑魅魍魎と戦うのは気持ちよかった。己の喉に埋まるナニカをぶっ倒している気分になれた。
実戦で、声のメリットとデメリットを知った。
この声は、ちょっと本気を出せば声帯が剥離しかけて吐血する。
かと思えば、尋常でないスピードでくっついて戻る。
出血多量で死ななきゃ使える、音声催眠。
技としちゃ地味、使い勝手は悪い。時と場所を選べばそれなりに武器になった。
長年の地方回りや根回しの甲斐あって、ゆるゆる表の仕事に戻れるようになった。
俺は、まあまあ汚い大人になった。
使えるものは使う。悪びれずに堂々としろ。
力をこめなくても俺の声は綺麗だった。反吐が出るほどに。
完全に声を失ってたら夢は追えなかった。
この声を好きになれるかといったら一生難しい。ま、それでいいんじゃね?
芸能活動に、声の力は一切使わないという、あの日の誓いは破っていない。
へっぽこな半妖怪にされて約20年。
じーさんのスパルタのせいか、喉が馴染んだか。そこそこの霊能者っぽい程度に体の感覚が鋭くなった。
俺は、ただそれだけの素人だ。
特殊なことは何もできない。
「おい、高城。調子どうだ?
最近、なんか変わったことあったか?」
「お疲れ様です、介音さん。
いえ、……特には」
高城から、ひどく嫌な、靄のようなものを感じて声をかけたが、はぐらかされた。
詳しくわからないから、これ以上突っ込んで聞けない。
しばらく定期的に状態確認してやるかと思っていたら、一週間もたたずに高城は交通事故で命を落とした。
ちくしょうめ。
またかよ俺。
いつも一手遅いんだよ。
デマは、火も煙もなくてもわいて出る。
炎上はバトンみたいなものだ。今回は、運悪く俺の番だった。
使えるものは使う。スケジュールが一気に空いた今、俺は高城の事件を探ることにした。
「おい、お前」
高城とそっくりな靄をまとった奴とすれ違って、俺は思わず声をかけた。
「なあお前。
最近、ヤバいものに接触しなかったか?」
こいつは高城の手掛かりになると、そう確信して。
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