番外編 その声の決意 1

 目が覚めたら、声が出なくなっていた。



 13歳の俺の心は、病室の白が、全部真っ黒に見えた。

 喉に巻かれた包帯、激痛。包帯越しに広範囲でざらつく傷跡。


 

 高熱でひっくり返った俺が状況を把握できたのは、三ヶ月後のことだった。



 妖怪や幽霊は存在しない。超常現象は全て嘘っぱち。

 それが常識という側で、俺も生きていた。

 俺の実家は、古くさくてスナックかキャバレーかよくわからないところだった。

 年増の従業員たちが代わる代わる「私がお母さんよ」と冗談で言うものだから、マジで全員母親と思ってた時期があった。幼児に吹き込んでいいジョークじゃねえぞ。

 ま、俺もみんな愛してるんだけどさ。


 

 行き場なくした女のシェルター的な場所でもあったみたいで、人数いるから給料出すのが厳しく、よく二階でみんなで雑魚寝した。

 毎日すげえ楽しかった。これでもかと可愛がられて、俺もみんなに懐いた。人見知りと無縁の子どもになった。

 俺はよく、みんなの愚痴を聞いた。幼児だぜ? できる手伝いは限られていたから、せめて心で寄り添いたかった。

 一緒になって泣いて、一緒になって怒るだけでも、喜ばれた。

 俺にとって、間違いなく全員が家族だった。

 


 自分で鏡見て納得するくらい、俺は可愛かった。自画自賛だけじゃなかったと思う。

 綺人って名前に負けてねえ顔。

 8歳くらいまでは、俺は美少女にしか見えなかった。自分からワンピース着て店に出て、客に媚売ったりカラオケ歌ったりして盛り上げた。

 店のみんなはいい顔をしなかったが、俺が自発的にやってたし、勝手に滑り込んでくるから止められない。

 客にはウケた。けっこうちやほやされたし、店の売り上げもちょっと上がった。

 俺はみんなの暮らしが楽になればいいと思って、頑張ってたつもりだった。頑張れていると思っていた。

 ガキの浅知恵なんて底が知れてる。


 

 うちには、ランドセルを買う金がなかったらしい。

 俺はいらないって言った。その辺で安売りしてるリュックとの違いがわからなかった。

 譲ってくれそうな知り合いもいなくて、まあいいやと思ってたら、新品のランドセルを用意してきやがったんだな。従業員のひとりが。

 俺をほんとの息子みたいに思ってくれるのはすげえ嬉しい。

 でもよ、このランドセル、ぜんぜん嬉しくねえよ。

 ここで生まれてここで育ってきたんだぜ。耳年増の幼児を欺けると思ったか。

 客と寝てまで買ってくんなよ! そういうの、やめろよ!


 

 俺は押し入れで一日中泣きわめいて、次の日、このランドセルを大切に使うと決めた。

 俺の大事な人に、二度とこんなことをさせない戒めとして。

 


 小学校を卒業後、中学に入るだけ入って、俺は芸能事務所のオーディションを受けまくった。

 この顔と歌で、自力で稼いでやろうと思った。

 所詮、カラオケレベルの歌だ。本場で通用するわけがない。顔はよかったが、それだけで生きられるほど甘い世界じゃない。

 半年後、ひとつオーディションに受かって家を出た。

 その事務所が、寮の費用も生活費も負担してくれるという時点で、怪しめばよかったのに。

 俺は浮かれていた。みんなに楽させてやろう、のしあがって有名になってやろうって意気込んでいた。


 

 寮にいたのは俺を含めて13人。下は10歳、上は15歳、性別は半々くらい。

 いろんな書類があるよと言われて、よく読まずに何枚もサインした。

 馬鹿がすぎるぜ。内容読まずにサインするとか、ありえねえだろ。



 最初の一ヶ月は、そこそこちゃんとレッスンがあった。

 姿勢、ウォーキング、発声練習、柔軟、筋トレ、ダンス。そういう基礎的で地味な繰り返し。

 俺は時間外もランニングしたり自主練したり、とにかく努力した。

 寮のメンツには子役上がりもいた。俺は、基礎が全然なってねえと痛感した。追いつけ。振り落とされんな。さらに上に行け。


 

 そんなある日、事務所のお偉いさんが、一人ずつ個人面談をした。

 薄暗くでコンクリむき出しの灰色の部屋は、牢屋みたいだったのを覚えている。


 

「アヤトは、どこメインで自分を売り出したい?」


「歌です」



 俺は食い気味に答えた。幼い頃の夢にブレはなかった。

 俺の歌はよくも悪くもない。今のままじゃ売れない自覚があった。それでも歌が好きだった。自分の声が好きだった。

 だから事務所の後押しが欲しかった。

 俺の意気込みに、お偉いさんはニコニコ笑って、なんか褒めてたような気がする。



 妖怪や幽霊は存在しない。超常現象は全て嘘っぱち。

 それが常識という表の世界と、そういうものは現実にあって、秘匿されている裏の世界。



 事務所が行ったのは、人身売買に等しかった。

 成長期の柔軟な肉体を持つ子どもを事務所が集める。研究所は人体実験をする。事務所は、成功すればその子どもを売り物にする。

 互いにWin-Winの取引は、子どもたちだけが知らないまま進められた。


 

 面談で聞かれた内容で、個々をどういう手術にするか決めていたらしい。

 俺に施されたのは、声帯の交換手術。

 声帯を取り除き、ナニカの声帯と交換して、人工的な美声をつくりあげようとしたらしい。



 最先端の科学技術ならよかったんだが、実際はひどく雑だった。

 切って、とって、代わりを縫いつけただけ。

 未知の世界に踏み込んだ割には、ずさんで適当な実験だった。



 他の12人がどんな手術をされたかは知らない。

 後で聞いた話。6人が手術中に、4人が手術後24時間以内に死んだ。

 残る2人のうち、最年少の10歳は1ヶ月後に死んだ。

 俺のいっこ上、14歳の女の子は半年間一度も目覚めず、眠るように死んだ。

 俺も死んでれば実験は大失敗だったってのに、俺は死ななかった。

 声帯が定着して、生存したという成功例になってしまった。



「くんな、だれも、こっち、くんな……っ!」



 自分の声じゃない声がする。

 しゃべるたびに激痛がする。いたい、くるしい、おれのこえ、どうなった?

 なんでこんなこと、なってんだ?

 だれもくんな、ちかよるな、こわい、おれの声、声がへんだ!!



 自分の声帯が生ゴミになったとも知らず、恐怖と混乱で叫ぶ『声』。

 俺の声は、本当に人を遠ざけた。誰も俺に近づけなかった。 

 『声』の制御ができない俺は、しゃべるだけで危険な存在。

 思い返すとぞっとする。『来るな』程度しか言えない馬鹿でよかった。


 

 感情がこもった俺の声のせいで、誰も近づかない俺の病室に、ずんずん入ってくる赤の他人がひとり。


 

「五月蝿いガキじゃなあ」

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