第10話 地の鬼、岩嶽(がんがく)
『 ぶおおおおおおん 』
再び岩嶽が吠える。獣の目は小さすぎて、感情がわからない。
コレとは意思疎通できないだろう。
周辺住民がいつ通報するか、いつ警察が来るか。
それも込みでのスピード勝負。
くるうり、と岩嶽の顔が巧貢のほうを向いた。
横に目がついているので、正面を向かれると、顔が角に隠れてしまう。
石炭を集めて固めたような巨人が、ずしんずしんと近づいてくる。重量が地面を揺らす。
息ができない。恐怖に飲まれる。こわい、こわ、
「しっかりしてくださーい!」
ばしーん!
新司の張り手が巧貢の背中を打った。
正直な感想。神器継承の次くらいに痛かった。涙がにじんで余計息ができなくなった。なんだこの馬鹿力!
「僕の後ろにいてください。絶対、絶対守りますから!」
叫ぶ新司は、目に見えてぶるぶる震えていて、どう見ても巧貢より怖がっている。
けれど大地を踏みしめ、身構えて岩嶽を睨む新司は有言実行するつもりだ。
そんなに怖がっているのに?
『新司は一見頼りねえし、致命的欠点もあるけど、守りは任せていいぜ』
事前の打ち合わせ、綺人の言葉を思い出す。
全然安心できなかった。致命的欠点ってなんですか。
それでも、巧貢は守られていなければならない。神器みつるぎの力は一撃必殺。
最後のとどめは巧貢が。それまでは綺人が引き受け、新司は巧貢を守り切る。
岩嶽は、その辺に転がっていた大岩をボールのように持ち上げた。基礎固めの際に掘り出された岩。
ゆうに1mを超える岩を、岩嶽が遊ぶように投げてくる。
こんなの、避けようが、
「えいっ」
硬直する巧貢の前で、気が抜ける声とともに新司が岩を叩き落とした。
どがん!
地面が衝撃で小さくひび割れた。
「いたた、ちょっと手が痛いです。
あれくらいならいくらでも防げますからね、タクミさん」
この大岩を、片手で弾いた!?
「望月さん、今、」
「シンジです! なんかまた仕掛けてきそう、動かないで」
「はい、望月さ」
「シンジです!」
次に投げられたのは、鉄骨。岩嶽の指につまみあげられて小枝のように見えたが、投げられたらやはり鉄骨だった。
空気抵抗でしなりながら飛んでくる猛スピードの鉄骨を、
「これは掴みやすいですよ、っと」
新司は片手で受け止めた。ぽいっと横に投げ捨てる。
これは、なんだ、どう表現したらいいのか。
巨大な化け物vs人間大の化け物??
「望月さん、なんでそんなことできるんですか」
「シンジです! 僕、ちからもちなんで」
「そういうレベルじゃない気が、というか望月さんって何者」
「シンジです!」
時間がないからって、打ち合わせを端折りすぎた。もっと綿密にしておくんだった!
気になりすぎる。おかげで恐怖がどこかに飛んだ。
そうだ、今は常識なんか必要ない。
自分の仕事は、最後の最後までみつるぎを温存すること、それだけだ。
「お二人さんモテモテじゃーん!
鬼さんこちら、俺の相手もしてくれよ?」
資材の山からひょこっと頭を覗かせ、綺人が大声で手を振った。
岩嶽が素早く振り返る。首がぐりんと180度回転した。
ずしんずしんずしんずしん。巨体は走るのではなく早足だ。それでもかなりの速さ。一気に距離をつめ、綺人めがけて拳を振り下ろす。
資材の山、コンクリートブロックが砕けて四方に飛び散った。
綺人は既に横のプレハブに身を隠している。
攻撃直後で隙だらけの岩嶽に、綺人はにやりと笑って左手を構えた。
「あらわれよ、みたま!」
これは三鷹の教え。
神器に慣れていないなら、わかりやすい掛け声で自己暗示をかけ、顕現の助けとする。
言葉自体に意味はない。それっぽいだろう、と三鷹が考えてくれた。
一瞬でイメージできる力、かたちの顕現。綺人の左手に古めかしい拳銃が現れた。
銃身は淡い緑に輝き、神器と呼ぶにふさわしい美しさだった。
「おら、美味しく頂け!」
一発、二発、三発。銃声はない。静かな神器だった。
連射というにはゆっくりめなのは、手慣らしか、狙いを定めたからか。
綺人は銃を使うのが初めてではないようだった。構えも動作も慣れている。何より、銃を片手で扱っている。
みたまから放たれた弾は岩嶽の胴に当たり、表面を削った。岩嶽が小さく唸る。
削れた表皮がばらばらと砂利に落ちた。効いてはいる。しかし岩嶽の動きは止まらない。
めきめきめきめき
岩嶽の腕が変化し始めた。
まずは長い棒のように。それから、横に平べったくなっていく。
綺人がどう避けても当たるように、薄くても面積を広くして。
「綺人さん、そいつ、腕の形変えてきます!」
「打ち合わせの時に言っとけそれ!!」
ばああん!!
岩嶽の一撃でプレハブが大破した。綺人はぎりぎり退避していた。飛び散った破片であちこち怪我をしている。
「ああくそ、みたま戻れ!」
この掛け声は綺人の提案。
使える時間が限られているなら、連続使用は無駄。
出してすぐ引っ込める。これを繰り返せば、綺人はトータル5分攻撃に集中できる。
巧貢も同じことが可能だろうが、巧貢はたった30秒だ。ぼうっとしていたら使い切る。
綺人が岩嶽に背を向けて走る。岩嶽が追いかける。深夜の工事現場で、命懸けの鬼ごっこ。
手を変化させていると動きが鈍ると気付いたのか、岩嶽の手ががこがこん、と戻る。
手を伸ばして綺人を掴もうとする岩嶽を、綺人が地面を蹴って躱す。身体能力がすごい。アクション映画を見ているようだ。
そういえば綺人は、スタントを使わない俳優で有名だった。
「このままじゃ、綺人さん防戦一方だ。
もちづ、……新司さん、綺人さんに加勢してください!
僕は隠れてますから!」
当然の提案だと思ったが、新司は眉を八の字にし、叱られた子犬のような顔をした。
「ごめん、なさい。
僕、攻撃は苦手で、……ほとんどできないんです。
守るのは得意でも、殴ったり、無理なんです」
「え」
なんで!? と聞くのを巧貢は我慢した。今は理由はどうでもいい。
新司は防御特化、攻撃はできない。
じゃあ、この状態をどうする?
巧貢は深呼吸し、考えた。
綺人は逃げながらみたまを撃っている。あれでは、そのうちタイムオーバーでやられる。
もっとダメージを与えられると綺人も巧貢も思っていた。みたまで動けなくして、みつるぎでとどめ、シンプルな戦法。
みたまが弱いんじゃない。あれでも効いているほうなんだ。人間の武器では、きっとあいつは傷ひとつない。
「新司さん、綺人さんを守りに行ってくれませんか。
綺人さんに伝えてください。
10秒、使います」
新司は頷いた。すぐに意図を理解してくれたようだ。頭の回転が速いのは助かる。口調は子供っぽいけど。
カウントすれば大丈夫。余裕を残せば大丈夫。
一撃は当ててみる必要がある。みつるぎでもたいして効かなければ、退却するしかない。
あれに切りかかるんだな。あの大きなやつに。
巧貢はふっと笑った。笑うしかない。こんなの、おかしすぎて。
こわくない。不思議なくらいに。
根拠のない自信に満ちていた。僕はやれる。やるしかない。後はない。
逃げ出したい気持ちよりも、あれに自分が蝕まれている嫌悪感と、解放を強く望む自分がいる。
なんか僕、思ったより普通じゃないのかも。
巧貢は背筋を伸ばし、肩幅に足を開いた。
ほんの数分だけ、木刀を使って三鷹が教えてくれた刀剣術。
膝は少し曲げるんだったっけ。重心は両足に均等に。こんな感じ。
この姿勢を忘れずに。体幹をブレさせずに。斬ることだけに集中する。
綺人をフォローする新司の姿が見えた。
新司は岩嶽の拳を両手で受け止め、振り払われて投げ飛ばされていた。
綺人がその隙にユンボに隠れる。新司は地面をどんぐりみたいにころころ転がって、すくっと立ち上がった。
二人とも大怪我してない。よかった。
「岩嶽!!
お前のターゲットはこっちだ、僕だよ!
ほら、僕はお前に感染してる。夢に出たでしょ、僕を忘れたの?
こっちだよ。こっちに来い!!」
巧貢は声を張り上げた。
走りこんで切りつける技量はない。だから迎え撃つ。
岩嶽は動きが単純で、愚直に獲物を追いかける。じっくり動きを見て、近づいてきたら斬る。
失敗したら、その場で終わり。
こわいな。
でも、こわすぎて慣れちゃったかも。
だから僕はできる。あんなに怖かった黒い鬼を、まっすぐ見ている今ならば。
岩嶽は狩りを楽しむ。マーキングした相手を優先的に狩る。
巧貢を見つけたら、綺人と新司はどうでもよくなったらしい。
巨躯を揺らして早足が地面を踏む。岩嶽が笑っている気がした。感情は分からないが、口がうっすら開いている。
岩嶽の速さと距離を見定め、余裕をもって巧貢は唱えた。
「あらわれよ、みつるぎ」
はじめて顕現させた神器は、闇夜を裂く光だった。
きらきらと輝く刀。刃が汚れた空気を裂いていく。
力の塊。怪異の天敵。名も銘もないひと振りの刀。
『刀の柄を右手で握れ。左手は柄の先端に。右の親指を柄の側面に。
握りこむな、ただ握るだけ。力は自然に抜く。
左手は添えじゃ。刀が揺らがんようにする支えにすぎん』
三鷹の言葉を思い出す。
ちゃんと持ててる。力は、ちょっと入りすぎかな。もう少しゆるく握ろう。
『敵を見据えろ。目を背けるな。
視線を合わす必要はない。
相手の動きの中心から先を読め』
本来はとても難しいことだけれど、岩嶽は大きくて単調だから。
こうして、構えて待っていればいい。
岩嶽はみつるぎの光に少しひるんだけれど、それでも向かってきてくれる。
「頼むよ、みつるぎ」
巧貢はみつるぎを振り上げた。大振りではなく、肩の高さまで。
目標は、あれに一太刀当てること。
振り下ろす。今でないと、岩嶽の動きに間に合わない。
タイミングは、うん、合ってる。向かってくる速度がぴったり。ちょうど当たる。
岩を打つ音が、鋭く響き渡った。
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