第9話 巫女服の少女

 綺人の呟きに、巧貢は思わず綺人のスマホを覗き込んだ。

 他人のスマホを、しかも芸能人のスマホを覗き見してしまった!

 即、首を反転させたが、綺人は気にせず「ここ」と自分から見せてきた。



 山林側。テントを張って現場に棲みこもうとする無法者がいる場所だ。

 一見変わったところはない。綺人が画像の一部を拡大した。



 子どもがいた。



「ひっ」



 おかっぱの髪型、女の子だろうか。体は浮き上がるように白かった。その子だけが異様にブレている。

 下半身が血のように赤かった。山林の暗がりに散った血飛沫みたいに。



「これ、ゆうれ、」


「ファンの群れに混じってるならともかく、原生林みたいな中に潜んでるとか。くっそ怪しいガキだな。

 ん? どうした巧貢。

 ……

 あっははははは!!

 撮った瞬間に動いてブレたんだろ。こいつは生身の人間。

 白い服に赤いスカートじゃね?」


「え、あ、そうですか」



 紛らわしすぎる! 絶対幽霊だと思った! 恥ずかしさで顔が一気に熱くなる。

 手でぱたぱた仰ぎながらもう一度画像を見る。言われてみれば確かに……いや。生身の人間?

 だったら余計おかしい。



「この子、なんで動けてるんですか?

 綺人さんが歌ってるのに」


「あ。そういやそうだ」



 綺人の歌で、周囲の人間は誰も動けなかった。

 巧貢だけが動けたのは、事前にかけられた綺人の声のおかげだったと今ならわかる。

 この子どもは、巧貢が撮影しているのに気づいて逃げたのだろうか?


 

「俺の声八割で、動けるってのは常人じゃねえな。

 鬼の感染者か?

 うーん……だったら余計、金縛りくらいは食らってるはずなんだけどな。

 あん時の歌、魅了に加えて鎮魂と浄化がっつりぶっ込んだから。

 消滅させんのは無理だけどよ、怪異に影響ゼロだったらへこむわ」



 あの歌は、想像よりもすごいものだったらしい。

 それを芸能活動に使わない綺人に高いプライドを感じた。

 人外の力ではなく、人間で勝負しようとしている人。愚直で不器用で、損な性格。



「なんか巫女さんみたいですねー。

 誰かが神社に依頼して、お祈りしてるとか?」



 勝手にのぞき込んでいる新司が首を傾げる。

 巫女服は白衣に赤袴。ブレブレだけどそう見えなくもない。



「正式な依頼だったら堂々としてるだろ。

 山ん中隠れるとか、とんでもなく怪しいわ。

 そういう依頼で派遣されるなら、巫女じゃなく神主だしな。

 しかもこれ、小学生くらいじゃん」


「ん~、そうですね。なんだろ?」


「ま、コレは後回しでいい。次」



 画像にチェックだけ入れて、綺人が次の画像を確認する。

 いつのまにか、綺人の両脇から三人同時にスマホを見る格好になった。

 どこを見ているかも共有したほうが時短になる。



 綺人の指が画像をタップした。

 巧貢はスマホを隠しながら撮影したので、自分でも何を撮ったかちゃんとわかっていない。自動ブレ補正を信じて撮りまくった中の一枚。



 ぞっ、とした。

 膝から鳥肌が這い上がって首筋まで来た。悪寒が止まらない。がたがた震えて、止まらない。



「巧貢、おい!?」



 呼びかけられたのは聞こえたけれど反応できない。

 画像の中に意識が入り込む。ソファにいる自分と、画像の場所に立つ自分。感覚が乖離する。



 白線の引かれたアスファルト。車は走っていない。

 空は暗雲。ごろごろと腹に響く雷鳴。巧貢と山本が祠を見つけたあの日の天気。



『……よら……いで!』



 若い女性の悲鳴がした。

 原生林側からだ。それは確かに悲鳴だった。



『こっちにこないでぇ!! 近寄らないで、こないで、いやあああぁ!!』



『待ちなさい!!』



 女性が逃げている。それを追いかけているのは子ども。

 おかっぱの髪型に巫女服の少女だ。

 半狂乱になった女性は、両手で頭を掻きむしりながら走っている。前など見えておらず、木にぶつかってはよろめき、また走り出す。

 彼女が追いつかれないのは、子どもの足が遅かったから。



『あああああ!! くるな、くるなってばああ!! うあああああ!!』



 女性は絶叫し、一瞬、目を見開いて空を仰いだ。

 美しかっただろう顔は恐怖にひきつり、額には真っ黒な一本角。



 高城世麗奈は、鬼だった。

 人間ではなくなっていた。



 叫びながら、高城が道路に飛び出す。

 だめだ、こっちはだめ、巧貢の声は声にならない。

 巧貢の意識は道路の真ん中にあった。高城は、頭の角を隠すように俯いて走っていて。

 きっと周囲のなにも見えていなかった。

 高速で峠を降りてくるトラックのエンジン音も、なにも聞こえずに。



 どん。



 甲高いブレーキ音。トラックが荷物の重さでスピンする。

 跳ね飛ばされた鬼は、命の灯が消えたら、角は消えてなくなっていた。



「巧貢!!」



 肩を強く揺すぶられ、巧貢の意識がソファへと戻る。

 目の前に綺人の顔。

 まだ寒気は抜けない。震え続ける巧貢の肩に、新司がわたわたと毛布を掛けた。



「みえ、ました」



 巧貢だから視えた。

 『岩嶽』に感染しているから。同じ鬼が、からだにいるから。



「あの巫女服の子が追いかけたから、高城さんは道路に飛び出したんです」




 


 午後11時。

 繁華街は遠く明るいが、広々とした砂利の広がる工事現場は静かだった。

 靴が石を踏む音だけでも響く。

 大規模な土地開発は、まだ着手段階。買い上げが終わっていない土地は囲いがされていて、周辺からゆっくり作業を行っている。

 あちこちに散らかる資材。ユンボに簡易プレハブ。『工事中』の文字が吊るされたスタンド看板が点在している。

 広くて寂しい、人工の荒野だ。



 風が冷たくて、巧貢はコートの襟をつめた。

 まだ十一月に入ったばかりだが、この時間は冷える。

 手袋してくればよかったかも、と思ったが、どうせ片手しかはめられない。だったらいらない。



「いけるか、巧貢」



 後方、資材の脇に立つ綺人は巧貢よりも不安そうで、巧貢は精一杯強がって笑ってみせた。

 小脇に抱えていた木箱を両手に持ち替え、巧貢はそっと地面に置いた。

 古びて黒くなった木箱には、仰々しい札が貼られている。巧貢は息をつめ、一気に札を破いて蓋を開けた。

 中身は、三鷹が譲ってくれた『鬼寄せの石』。

 封じきれなかった鬼気の欠片らしい。

 三鷹に言われた通り、巧貢はまち針で指を刺して、石に血をひとしずく垂らした。針を木箱の中に投げ捨て、全力で走って距離をとる。

 新司のところまで戻ると、新司は巧貢を素早く背中に庇った。



 星空が凍りついた。



 ぐにゅん、と箱のすぐ横、地面が歪む。

 固まる前のコールタールのような、どろっと黒い沼が広がった。そこから這い出した手は、巨大で黒くてごつごつしていて。



『 ぶおおおおおん 』



 獣の咆哮。

 沼から這い出した巨躯が両腕を振り上げる。

 サイのようだと思っていたが、恐竜にも見えなくない。

 平たい鼻先の一本角が、鉱石のようにてらてらと光っている。



 夢でさえ恐ろしかった化け物が、目前に居る。

 人に感染り、人を狩るモノ。黒い怪物。



 地の鬼、『岩嶽』。



「こりゃあ、すげえの来たもんだ……」



 綺人が、乾いた笑いで身構えた。

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