第8話 拠点

 ペントハウススイート、という言葉を、巧貢は生まれて初めて知った。

 高級ホテルの特別な部屋らしい。

 知ったその日が、使用する日になった。



「うわああああ」



 一面に広がるパノラマの景色は圧巻どころか引いてしまう。

 とんでもなく広いリビングエリアには、高級すぎる大きなソファに石っぽい机、奥はなんだか書斎のようになっている。

 ダイニングエリアが別にあり、やたら大きくて本格的なキッチンとダイニングテーブル。

 寝室が3つもある。それぞれにでかすぎるベッドがどどーんと。寝室ひとつだけで普通のホテルくらいある。

 バスルームはこれまたでっかくて、浴槽が海外の映画に出てくるあれっぽいやつで、スチームサウナまであった。



「ミッションクリアまでどれだけかかるかわからねえからな。

 どこにも行かなくても生活可能、人的セキュリティは万全、サービス完備で客情報は絶対漏れねえ。

 拠点にはいーだろ?」


「何を言っていいか僕はもうわかりません」



 窓に張りついて外を見たら、窓に手の跡がついてしまった。拭かなきゃ! と慌てる様子に綺人が大笑いしている。



「シェアハウス程度に思えばいーんだよ。

 夢で襲われるんだから、個別に部屋とるのは危ねえし。

 ホテルスタッフは誰も入らねえよう言ってあるから、万一ここでバトってもどうにかなる。

 全面防弾ガラスだから、割れにくいだろ」


「何を言っていいか僕はもうわかりません」



 確かに住める。何日でも住める。

 ここで足りないものを探すほうが困難だ。


 

「お金! 足りるんですか!!」


「てめこら、俺の職業なめてんな?

 普段派手に使わねえからな。貯蓄けっこーあんの。

 死ぬかもしれねえ時に、ケチる理由が微塵もねえよ」


「それはそうなんですけど」



 三鷹邸も広くてすごかったけれど、まだ受け入れられた。三鷹邸は雰囲気のいい美術館に似ていて、そこまで異質に感じなかった。

 ここは違う、別世界だ。

 絨毯の毛足が長すぎてふかふかすぎて、なのになんで自分は靴のままなのか、思考がぐるぐるする。

 


「いろいろ吹っ飛んだならいーじゃん? 楽しめるなら楽しんでろ。

 俺もこんなとこ、滅多に使わねえよ」


「どういう時に使うんですか」


「こういう部屋を使いそうな役が来た時、役作りで」


「(ものすごく真面目な答えだった)」



 未だかつて体験したことのないソファの座り心地。巧貢はあえて浅く座った。

 苦笑しながら、綺人が隣にどっかり座る。



 夜までに、しなければいけないことがたくさんあった。

 今夜、あの黒い鬼……『岩嶽』を倒す。

 長引けば巧貢の感染が進む。感染より先に、夢で殺されるかもしれない。

 だから先手必勝、こちらから仕掛ける。



「場所はここ。

 3年後が予定のショッピングモール開発地区。

 広くて部分的に工事中、基本的に夜間は誰も来ねえ。

 騒いだら通報されるだろうな。即逃げで。

 倒しきれなくても撤退。長期戦には絶対持ち込まねえ。

 俺とお前が持たねえからな」



 綺人も巧貢も、自分の手の甲、火傷に目をやった。

 怪異特効の強力な神器には欠点がある。

 持ち主の能力が弱いと、取り出す時間が限られてしまうらしい。



 綺人の“みたま”は、もって5分。

 巧貢に至っては、“みつるぎ”を形にできるのは30秒。

 それ以上は昏倒するリスクがあると三鷹に言われた。

 参考程度に、三鷹はどうだったのか尋ねたら、



『左右に同時顕現で、二時間で倒れた。儂も修行が足りんかったわ』



 参考にならなかった。



「新司の奴、遅いな。

 あいつが合流しねえと始まらねえのに」



 綺人が愚痴る。

 新司、というのは、綺人の専属マネージャーだ。

 長年の付き合いで、綺人の理解者であり綺人個人が雇用しているらしい。

 炎上対応で忙しいところを呼び出しておいて、それはないと思う。



 綺人が『戦力になる』と言っていた。疑うわけではないけれど、マネージャーは普通の人なのでは?



 誰かがドアをノックする。

 綺人が立ち上がり、ノックを返した。

 カードキーで、外からドアが開錠される。カードキーを持っているということは、入室が許されている人だ。



「失礼します。アヤトさん、お疲れ様です」



 さわやかな挨拶。人好きしそうなにこにこした笑顔。

 かっちりしたスーツではなく、スマートカジュアルが業界人っぽい。

 赤茶じみた猫っ毛は地毛のようだ。

 新入社員のようにはつらつとした姿は、綺人よりも年下に見えた。

 

 

「炎上の件、ひととおりはこっちでやること終わりました。これから出てくるものは随時対処します。

 飛んじゃった二か月の予定、引継ぎとキャンセル、スポンサーへの謝罪対応もほぼ完了です。

 三か月目もまず無理だと思いますが、今は交渉のタイミングじゃないので少し間を置きますね。

 穴埋めにはそれとなく、適したキャスティング推しておきました。そっちの事務所にもフォロー済みです。

 せれなちゃんの御遺族から連絡ありました。落ち着いたらお墓参り一緒に、と。

 もちろんOKで返事済みです。

 御遺族がSNSで声明文あげてくれたの、すごく強いですよ。アヤトさん擁護派もSNSに現れはじめました」



 さらさらさら、と立て板に水の報告事項。

 これは、たぶんじゃなくてすごい人、敏腕マネージャーという感じ……?


 

「あっ!

 電話くれた人ですね!?

 名刺の電話番号にかけた人ですよね?」


「え?」



 急に、にぱー! と太陽のような笑顔を向けられて、巧貢は一歩下がってしまった。

 知らない人、なんだけれど。電話? 名刺? ……あ。



「あの時電話とったの僕です。

 介音綺人のマネージャーをしております。望月新司(もちづき しんじ)です!」



 ぺこりっ、と深すぎるお辞儀につられて、巧貢も深々とお辞儀する。

 明るくて気さくで、すぐ馴染めそうな人だった。



「綿枝巧貢です。よろしくお願いします。

 あの……えっと、僕は世間知らずで、芸能界のことも全然わからなくて」


「そんなの平気です!

 綿枝さん、デビューする訳じゃないでしょう?

 アヤトさん、人脈広いけど友達少ないんです。口が悪いから!

 アヤトさんの友達になってくれると、僕、すごく嬉しいです。

 こう見えてアヤトさん、さみしがり屋で、……あいたぁ!」


「黙れてめぇ。

 初対面の相手に喋りすぎだろが」


「すみません! 馴れ馴れしかったですか? ごめんなさいっ」



 確かに、とは言えないので、巧貢は言葉を濁しておいた。

 それでも、嫌な馴れ馴れしさじゃない。



「今夜、戦闘なんですよね。

 僕もフォローさせていただきます。

 大丈夫ですよ。アヤトさんのこっち側の仕事も慣れてます」



 新司がにこにこ、さらっと発言する。

 こっち側……?



「その説明は後でな。巧貢の脳が処理落ちする。

 新司、ここが今夜のバトル場所。目ぇ通しとけ。

 巧貢。高城の現場の画像、こっち流せ」


「あ、はい」



 聞きたいことが増えてしまったが、まずは今やるべきことだ。

 巧貢は、高城 世麗奈の現場写真を綺人と共有した。どこを撮ればいいかわからず、とにかく撮りまくったので数が多い。



 あの時、綺人は周囲の注意を引くために歌った。透明で、やわらかで、綺麗な歌声だった。

 その後、血を吐いて。



「あの歌、……その」


「あー、俺、本気出せば感情が歌に乗っかんの。

 ダメージ来るから滅多にしねえよ」


「だから、いつもは普通の声で歌ってるんですか?」



 介音綺人を調べる際、動画をたくさん見た。

 歌手でもある綺人は歌を多く出していたが、あんな声の動画はひとつもなかった。

 もし、一曲でもあの声で歌を売り出していたら、綺人の人気はとんでもないはずだ。そこそこで収まっている今がおかしい。


 

「ばーか」


 

 目は写真を追いかけながら、綺人が鼻で笑った。



「糞チートで売れて、嬉しい訳ねーだろ」


「…………」



 綺人は、あの歌声をあまりよく思っていないと、雰囲気から巧貢は察した。

 芸能活動において、きっと彼はあの声を使っていない。

 なにより優位に立てる力を、あえて忌避している。



 今は聞けないけれど、いつか話してくれるだろうか。



「……ん?

 ここ、なんか映ってる」





望月 新司 ヴィジュアルイメージ

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093089544313487

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