第7話 鎮魂歌
三鷹邸で振舞われた遅めの昼食は、どこの高級レストランかという凄さだった。
ナプキンの使い方なんて分からないし、ナイフとフォークはいっぱい並んでいるし、本物のメイドやフットマンがいるし。
普段着も甚だしい自分に料理が運ばれるのだから、ガチガチに緊張するのはどうしようもない。
わざわざ隣の席に移動した綺人が、これはこうやってここに置く、これを食べる時はこれを手に取る、と、一個ずつ教えてくれた。
途中で、たぶん綺人と親しいフットマンが「それ違ってますよ」と笑い、「マジ!? 嘘だろ俺何度かやっちまったよ!?」と綺人が慌て、ちょっと気が楽になった。
食事は、食べなければいけない。多少無理をしてでも。
そんな気になれないから食べないなんて贅沢は許されない。
食べられるときに食べる。眠れるときに眠る。
いつ何時、危機が訪れるかわからないからだ。
有無を言わさぬ神器の受け渡し後、少しだけ話して、三鷹は急に容体が悪化した。
医者が駆け付け、命に別状はないが絶対安静ということで、巧貢と綺人は部屋を放り出された。
綺人に至っては、ここに来た主目的、女優の死の真相を尋ねることもできなかった。
「ご馳走様。相変わらずここの飯は美味いな。
じーさんにいい知らせ持ってまた来るから。
それまで、じーさんのこと頼む。すぐ無茶する人でごめんな?」
食事を半分ほど残してしまった巧貢に引き換え、綺人は完食して明るく笑っている。
恩人の容体が悪くなって誰より心配だろうに、隠しているのか、切り替えているのか。
巧貢は、右手の甲に刻まれた火傷をじっと見つめた。
この中に、神器がある。
刀鍛冶の家系、蔓切家の家宝。名も銘もなき刀“みつるぎ”。
手の中に入ってくれるのはありがたかった。ぶら下げて歩いていたら、間違いなく職質されるだろう。
再び綺人の愛車に乗り込み、三鷹邸を出る。行きと違って帰りはすんなり出られて安心した。
「気分はどうだ」
「え?」
「だから、大丈夫かつってんの。
急に訳わかんねえもの押し付けられて、体おかしくなってねえか」
運転しながらぶっきらぼうに投げられる言葉は、やっぱり優しくて。
この人は不器用なのかなと思った。
最初のイメージは怖かったし、芸能人だから距離を置いてしまったし、彼しかいなかったからすがりついただけだ。
綺人には、いい意味でギャップが多かった。
綺麗すぎる顔と体躯、声。完璧に見せかけて人間臭くて、ひとまわり年下の巧貢を見下すことがない。
今のように心配してくれる様は、お兄ちゃんっぽい。巧貢にきょうだいはいないけれど。
「びっくりはしました。心臓、まだどきどきしています。
けど、気分は前より良くなったかも」
「あー、巧貢ん中の鬼気が抑え込まれたか。だったらよかった。
急に気分悪くなったら言えよ。
言われてもどうにもできねえけど」
「どうにもできないのに言うんですか」
お互い、軽く笑いあう。
出会って二日、時間にしてほとんど経っていないのに、奇妙な親近感があった。
同じ重さを三鷹から託された仲間。
鬼と戦うことから、逃げられなくなった者として。
「ところで、今度はどこに向かってるんですか」
行きとは違う景色に向かう軽。綺人はバックミラー越しに後部座席の巧貢に話しかけた。
「高城の現場。
じーさんから何も聞けなかったから、直接行く。
極力近づきたくなかったんだけどな」
捨てられて自殺した女優の事故現場に、捨てた俳優が顔を出す。
SNSのトレンドが埋め尽くされる様が容易に想像できる。
「大丈夫なんですか、それ」
「ぜんぜん」
「どっちですかそれは」
「なるようになれ?
行くしかねえから、しゃーねーわ。
巧貢が、祠が壊れた瞬間にぶち当たったのが三日前。
高城が死んだのが同時刻、三日前。
でも、高城はそれより何日も前に感染してた。
高城は、どこかで別のやべえもんに接触した。そして死んだ。
『岩嶽』に狩られたか。鬼に堕ちて絶命したか。別の要因か」
流れゆく車窓が人気ない郊外へ向かっている。
この先は、夜になると走り屋が爆走するような峠道だ。
高城 世麗奈は突然山側から走り出してきて、トラック運転手は避けきれず激突……と、ネットにあった。
高城は即死。運転手は、まるで自殺するように飛び込んできたと主張している。
「おかしいことだらけですね」
なぜ、女優が山林から飛び出してきたのか。
そこに行くまで車を使っておらず、タクシーを呼んでもいないようで、そんなところに彼女は何の用があったのか。
「謎すぎるから、失恋で自殺とかいう、一般人が納得しやすいデマになったんだろ」
人は信じたいものを信じる、とどこかで聞いた。
事実よりも、耳触りのいい、わかりやすい情報を選ぶ。
綺人も被害者だ。無関係なデマで社会的地位が危ぶまれ、現に仕事を奪われている。
綺人がゆるゆるとスピードを落とした。邪魔にならない程度の場所に停車し、ハンドブレーキをかけてからハンドルの上に頬杖をつく。
「あー、無理。これぜってー無理」
遠目からも見える人だかり。
バリケードやテープで区切られたエリア。ブルーシートがないのは、片付けが終わっている証だ。
ファンらしき人々が大量に集まって嘆き悲しみ、誰が置いたかわからない献花台には花や供え物が山になっている。
問題なのは、それが道路のど真ん中だということ。
事故から三日経っているにもかかわらず、警察車両が見える。ファンを制し交通整理に必死な姿は、二次被害といったところか。
報道関係者や記者の姿もあり、どこでカメラが回っているかわからない。
「あん中に俺が入ったら袋叩き確定だ」
綺人は心底悔しげだった。
恋人関係ではないと言っていたけど、それにしては思い入れが深いな、と巧貢はぼんやり思った。
……と邪推したのを見抜かれて、サングラス越しにジト目で睨まれた。
「仕事に恋してる女なんか落とせねえし、俺も興味ねえよ。
純粋に尊敬してた。アイドル上がりって蔑まれてもにこにこして、監督に無茶振りされても全部受けて立ってた。
伸びるって思ったよ。ノッてるやつと共演できてラッキーだったし気分良かった。
……もったいねえんだよ。高城、絶対上に行けたんだ」
俯いてしまうと、サングラスの陰で表情が完全に隠れる。
この人、情が深いんだった。
初対面に等しい自分を気遣うくらい、いろいろなことを放っておけない人。
「僕が探ってきましょうか?
ファンのふりして近づいて、遠くからスマホで撮影するくらいなら」
「ばーか。サツいるんだぞ。
注意くらうだけならともかく、公務執行妨害になったらどうする」
「でも、なにもせずに帰るの、綺人さん嫌なんでしょ」
巧貢に見抜かれ、綺人は肩を落としてふう、と息を吐く。
数秒思考を巡らせて、綺人は頷いた。
「だよなあ。やっぱ、ここまで来て手ぶらで帰れねえ。
巧貢、頼む。
遠くてもいいしブレててもいい。隙間でもいい。『現場』を少しでも撮ってきてくれ。
できたら、高城が飛び出してきたほうの山林も。
サツやファン、報道関係の連中は俺がなんとかする。
お前だけは平気にしておくな」
「?」
綺人はシートベルトを外し、強引に巧貢の手を引いて、額をくっつけた。
綺麗すぎる顔が至近距離で、同性でもどきっとする。
「……『巧貢は動じない』」
呟いた綺人の言葉は、何故か心に刺さるような強さと、守られる優しさがあった。
なんだろう、この感覚は。
「おし。行け!
俺の合図があったらがっつり撮って、素早く戻れ」
車のドアが開き、半ば放り出される。
巧貢は、悲しみに暮れるファンっぽく落ち込んで見えるように、背を丸めてとぼとぼ歩いた。
現場はすさまじかった。
泣き喚くファンの声があちこちから湧き上がって耳に苦しい。
山林側はテントを張る輩までいるようで、警察が注意している。
危険すぎて車は通行止めになっており、知らずにやってきた運転手たちが仕方なくUターンしている。
いつどこで、ファンが高城を真似て飛び出すかわからない。そういう雰囲気だった。
問題なく献花台近くまで来れた。ギリギリ、現場っぽいところをスマホ撮影できそうだ。
合図がくれば撮ろう。……合図ってなんなんだろう。
『 Amazing Grace how sweet the sound ……』
歌声がした。
集まる人、警察までもが息を呑む歌声だった。
澄み渡る美声。天使の声とはこのこと?
周囲の空気が変わってゆく。嘆きと怒りと憤り、絶望にまみれた渦が、ゆっくりと解きほぐされていく。
『 That saved a wretch like me ……』
有名な歌だった。誰でも一度は聞いたことがあるくらい。
巧貢の横にいた女性が、ぼろぼろと涙を流し始めた。
それくらい心に響いて、素晴らしくて、美しくて、どうしようもなく感動する歌声。
巧貢には分かった。
キーが高くても歌いきる技量。介音綺人は俳優であり歌手だ。
この声は、綺人だった。
『 I once was lost but now am found ……』
何故自分だけ動けるのかわからないが、巧貢は言われた通り、あちこちを素早く撮影した。
まるで集団催眠のように、人だかりが全員歌に聞き惚れる中、巧貢は人の間を抜けて脱出した。
『 Was blind but now I see ……』
愛車の後ろに隠れて、綺人が歌っていた。
空を見上げ、悲しげに細められた目に哀悼を宿して。
気のせいではない。歌声が周辺を浄化している。負の感情の吹き溜まりが消えたのは歌の力だ。
巧貢が戻ったのを確認すると、綺人は唐突に歌をやめ、運転席に乗り込もうとし、
よろめいて車体にぶつかり、激しく咳き込んだ。
「綺人さん!?」
駆け寄ると、血の匂いがした。
綺人は少量の吐血を道路に吐き捨て、ハンカチで荒く口元を拭って普段通りの顔をした。
「けほ、……、予定外、だけど、高城が聞いてりゃいいな」
ひどくかすれて聞き取りにくい綺人の声は、ちょっと嬉しそうだった。
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