第6話 継承

 三鷹は小さく頷き、目を閉じた。

 今度は、念話ではなく……念影とでも言えばいいだろうか。

 三鷹が思い描く記憶の風景が、音はなく映像だけ流れてくる。



 田舎道を駆け抜ける、短髪で体格のいい男性。どこにも面影がないのに、彼が若き日の三鷹だと分かる。

 その少し後ろを追いかける、丸眼鏡に書生服の青年。

 走る二人の前を、腰が曲がった老婆が歩いている。

 書生服の青年が懐に手を突っ込んだ。取り出したのは、拳銃。

 眼鏡の青年は躊躇いなく老婆を撃った。

 老婆の肩に命中する。映像に音はないのに、銃声や悲鳴が聞こえそうだ。

 撃たれた老婆が、すさまじい形相でかっと口を開く。口の中は真っ赤だった。

 まるで、『さっきまで何かを食べていたかのように』。



 在りし日の三鷹が走る。その手には……何もない。無手だ。

 三鷹は老婆をぶん殴った。老婆は吹き飛んだが、空中で回転して着地した。

 さらに距離を詰め、三鷹が老婆に蹴りを入れる。すでに老婆は人間ではなく、肌は黒い岩のようになっていた。

 眼鏡の青年が再び撃つ。三鷹の動きを読むような連携。足に当たった弾は黒鬼の動きを鈍らせた。

 いつのまにやら、三鷹が巨大な岩を抱えて黒鬼に接近している。抱え上げて、そーれ、



 間違いなく、あそこでは『ぐしゃっ』て音がしたに違いなかった。



「じーさん……。噂通りのバーサーカー……。

 直に見れるとは、ありがたおそろしや」



 綺人が乾いた笑いを浮かべている。

 これは普通じゃなくて、綺人でも引くくらいのことなんだなと巧貢は理解した。

 なにがまともでなにがまともじゃないか、もう判断基準がわからない。



『まあ、このとおりじゃ。

 人間が鬼になっても、物理で倒せる。

 返り血を浴びれば感染するが、気にすることはない。

 感染源の鬼を倒せば病は消滅する。

 今見せたのは、地の鬼にすべてを食われた人間。

 放っておけば巧貢もああなる』


「すごく嫌です! あれは嫌です!」


『ならば、一刻も早くこやつを倒し、病を消し去ることじゃな』



 ふわ、とまた頭に映像が流れる。

 今度は、一瞬過ぎ去っただけ。

 見上げる巨体にサイの頭部、真っ黒な体……あいつだ!



『名を岩嶽(がんがく)。誰が付けたか知らんがな。

 四の鬼だけは、あやかし特化の武器が要る。

 儂の後ろで眼鏡が銃を撃っておったろ。あれが平安より続く田枕家の家宝、神器“みたま”。

 銘も名もなく概念で呼ばれし怪異の天敵』


「ちょい待て。待て。

 平安時代に拳銃あってたまるか。適当なこと言うなジジイ」


『師匠に敬意を示さんかクソ弟子が。

 田枕家の家宝は、別名を“たまつつ”。

 銃身こそ神器。込めた弾がそのへんの小石でも怪異特効になる、ありがたいブツじゃ。

 田枕家はもともと細工師でな。初期の神器は鉄パイプそっくりだったそうじゃ。

 吹き矢のように使っておった間抜けな神器を改良し続け、明治ごろにあの形におさまったらしい。

 吹き矢形状ではまともに扱えず、結局それで殴っておったそうな』


「ありがたみのねえ神器だな!

 改良されてよかったっつーか」


『ああ、よかったな綺人。

 己が受け継ぐ神器が鉄パイプの吹き矢でなくて』


「……ん?」



 綺人が、含みのある三鷹の念話に固まった。

 三鷹は、掛け布団から細い腕を出して見せた。

 手の甲全体に火傷の痕がある。中央から放射線状に広がったケロイドは、ただの火傷でできる形ではなかった。



『儂が、この姿になっても生き続けた理由よ。

 神器を誰にも渡さず死ぬのは、ちいともったいなくてなあ。

 持って行け。

 儂の親友が形見、神器“みたま”。そして』

 


 三鷹がもう片方の拳も出した。

 右手と左手、両方に火傷がある三鷹の手の甲。



『すべての澱みを断つ刃。神器“みつるぎ”。

 これを巧貢に授けよう。

 使い方は己で学べ。儂も知らん。

 鬼をぶっ倒して自力で生き延びろ』


「な」



 なんでもするなんて言わなければよかった、かも、知れない。

 


「おい、じーさん。

 俺は、高城のことを聞きに来たって電話で言ったろ。

 じーさんみたいな強さも才能もねえ俺に、化け物退治しろとか冗談じゃねえぞ。

 ましてや、こいつ! 巧貢はずぶの素人、一般人!!

 あやかし見たこともねえような奴に、何させようとしてんだよ!?」



 綺人は巧貢の頭を抱え、ぐりぐりしながら三鷹に文句を言った。

 まだ巧貢は何も言っていないのに。綺人は自分のことのように怒っている。

 この人、きっと優しいんだな。



『受け取るか否か。各自、己が頭で考えよ。

 綺人。仕事仲間の仇を討つと意気込んでいた気概はどうした。

 引くならかまわんそ。しっぽ巻いて逃げる臆病者にこれはやれん。

 その通り、巧貢は素人。両手に神器は宿せんわ。

 綺人が怖気づけば、ひとつは儂と一緒に無駄死にじゃな』


「煽ってくんなぁ死にかけジジイ!」


 綺人は、自分の拳を手のひらで受け止めた。ぱあん、といい音が部屋に響く。

 


「いいぜ。やってやるよちくしょう!

 怪異の感染爆発なんか起こったら、どうせ日和見してられねえ。

 だったら先に仕掛けてやらあ!

 炎上で仕事ポシャってんのもバンザイだぜこの野郎!!」



 破れかぶれで綺人が叫ぶ。

 威勢のいい決意表明と裏腹に、彼の肩は少しだけ震えていた。

 なんでも平気そうなこの人が、恐れを抱くほどなんだ。 



 ちらりと三鷹の目が巧貢に向いた。

 綺人は意志を示した。次は自分の番ということか。



 正直に言えば、巧貢は実感がなかった。

 情報量が多すぎてスケールまで大きくて。



 黒いサイ、巨大な化け物。あれと戦うのか。

 普通でしかない自分が。



「やります。

 選択肢なんてありません」



 倒さなければ死ぬ。

 勝てる気がしない相手でも、挑戦しなければ死ぬんだ。



「僕、足掻きたい。三鷹さん、足掻かせて下さい」



 巧貢は深く頭を下げた。

 もしかしたら後悔するかもしれない。今よりもっと怖い目に遭うかもしれない。

 それでも、戦うほうを選ぶと決めた。

 今までなにひとつ為してこなかった人生だ。意味がないまま消えるより、手を伸ばそう。



 三鷹が手招きする。

 綺人が三鷹の左手に。巧貢が三鷹の右手に触れる。

 三鷹の手は老いが刻まれていて、どこか力強く、あたたかかった。

 巧貢は三鷹の火傷に手を重ね、軽く握った。

 綺人は三鷹の火傷をいたわるように撫でてから、そっと手のひらを置いた。



 三鷹の喉から、肉声が発せられた。

 念話ではなかった。三鷹は声が出ないはず。

 どこから聞こえているのか、それでも声は確かに三鷹のもので。



 つねもかがふる おおかみ の ひろき あつき 

 みたまのふゆ を たうとみ かたじけなみまつりて



 神社の祝詞に似ている。でも違う。

 そんな生易しいものではない。熱くて、激しくて、強くて、……痛い!!



 掛け布団が微かに揺れる。部屋の影がカーテンとともに蠢く。

 窓の外は晴天。それがあまりにも似つかわしく、この部屋だけが現世から切り取られたようで。



 おろがみまつる こと の さまを みそなはして

 いまも ゆくさきも いやましに みたま さちはひ たまひて



 頭がぐらぐらする。高熱を出したときのようだ。

 手の甲が熱い。じんじんして、時折静電気みたいにバチッとして。

 うたわれることばが、徐々に深部へ入り込む。神経を引きちぎるような激痛とともに。



「いた、い」



 痛い、痛い、いたい……!



 ばちん!



 目の前で光がはじけた。

 巧貢は尻もちをついて床に倒れこみ、綺人は片膝をついて息を吐きだした。

 巧貢も綺人も、三鷹も汗だくだった。



 巧貢の右手の甲に。綺人の左手の甲に。

 三鷹にあったものそっくりの火傷が移っていた。

 三鷹の手の甲は黒ずみ、痕が塗りつぶされている。



『神器の継承、ここに成れり』




田枕 成充 ヴィジュアルイメージhttps://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093089568636670

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