第5話 感染るもの

「じーさん、調子どうだ?

 メイドさん困ってたぞ。

 じーさんの仕事は長生きすること。それがみんな嬉しいんだからよ」



 綺人は絨毯に膝をついて三鷹の手をとり、両手でゆるく握った。

 慈しみに溢れた綺人の表情は、実の家族に向けるもののようだった。

 三鷹は目を細めて笑った。唇が動いたが声は出ていない。

 綺人は三鷹の唇を見て、言葉を理解しているようだ。



「巧貢。そんな端っこにいないで、来いよ。

 じーさんがお前とも喋りたいって」


「でも僕、三鷹さんが言いたいこと、わからないかも」



 一目見ただけで、綺人が三鷹を大切に思うのが伝わる。

 初対面の自分が唇を読むなんてできないし、そもそもこんな重病人にどう接していいかわからない。

 微妙な距離で躊躇う巧貢の頭の中に、誰かの声が響いた。



『案ずるな若造。会話の方法はいくらでもある』



 老獪で、そこそこ明るい声。三鷹の声だと一瞬で分かった。

 ベッドに横たわる三鷹の精神は、思いのほか元気そうだった。



「あんま念話すんなよ。力使うんだろ」



 綺人の困り顔に、三鷹は視線をそらして知らんぷりした。

 この二人には、きっと、巧貢には入り込めない絆があるのだろう。

 師匠と弟子というには近すぎて、家族というにはよそよそしい、そんな関係。

 



『若造、名はなんという?

 儂は三鷹周明(みたか しゅうめい)。このように、無様に生き残る化石よ』



「綿枝巧貢です。19歳、大学二年生です」



 不思議なことが立て続けにありすぎて、巧貢は、念話くらいでは驚かなくなっていた。

 超常現象に慣れたくなんてないし、ご遠慮したいと思う一般常識は残っているが、そんな悠長な考えではあっという間に死んでしまうから。

 どんなに理解しがたいことでも、まずは受け入れる。先入観を捨てて考える。

 巧貢なりの生存戦略だ。



『巧貢とやら。

 お前、もうすぐ死にそうじゃな。覚悟はできておるのか?』


「……!!」



 綺人といい、三鷹といい。どうして淡々と死亡宣告してくるのだろう!

 言われた側の身にもなってほしい。何度言われてもこれには慣れない。心臓がギクンとひっくり返る。

 文句を言っても仕方がないので、巧貢は深呼吸を数回繰り返し、三鷹に質問した。



「助かる方法はないんですか。

 このまま死ぬだけじゃなくて、何か僕にできることはありませんか」



 何もないと言われたらそれまでだ。ここに来たのは最終確認。

 綺人の師匠の三鷹にまで打つ手なしと言われたら、それを受け入れよう。最後の一秒まで、みっともなく足掻く覚悟はできている

 死ぬ死ぬと言われすぎて、いろいろ麻痺しているのかもしれない。



 不思議なほどに冷静で、それでも諦めていない巧貢の眼差しに、三鷹は上機嫌だった。



『はははは! 活きのいい若造じゃ。へたり込んで泣くかと思うたら』


「それ、もうやりました。やった上で意味ないと思いました」


『ふっははははは! こりゃ面白いわ、綺人がここまで連れてくるだけはある』



 念話で大笑いしたせいか、気管のチューブがひゅ、ひゅ、と音を立てている。

 こっちは笑い事ではないのだけれど。

 誰が見ても先が長くなさそうな三鷹なのに、この場の誰より楽しそうで、綺人は呆れて額を押さえている。

 三鷹は、昔からこういう性格だったようだ。



『生き延びる方法は残っておるぞ』


「ほんとですか!?

 何でもやります、教えてください!!」



 ふいに飛んできた希望の言葉に、巧貢は前のめりで食いついた。

 ベッドの脇まで近づき、祈るように三鷹のシーツを掴む。



『老いぼれからの忠告じゃ。

 何でもやる、と軽々しく言わんほうがいい。後悔するぞ。

 巧貢よ。お前は鬼に感染しておる。

 頭が獣で一本角、黒い体躯の地の鬼に』


「アレを知ってるんですか!?

 ……って、感染? 鬼?

 アレは鬼で、……鬼ってうつるものなんですか」



 頭の整理が追いつかない。

 何かにとり憑かれているとは思っていたけれど、病気みたいな言われ方をするとは。



『あれは、世間一般で語られる“鬼”とは別物よ』



 赤鬼、青鬼、童話に出てくるコミカルなものとは違う。

 山にあらわれ人を喰う、そんな伝説とも違う。

 


『意志を持つ伝染病と、その源のようなものじゃな。

 血肉や鬼気から感染し、感染した人間は内部からじわじわと食われる。

 自覚症状はなく、気がつけば人ではなくなる死の病。

 人から人へも感染する故に、場合によっては感染爆発を引き起こす。

 鬼パンデミックとでも呼ぶべきか?』



 未だかつて聞いたことのない物騒な言葉を、三鷹は軽いトーンで念話した。

 どうしてこの人たちは、こういう言葉を淡々と!

 ……と思ったら、違った。念話を一緒に聞いていた綺人も真顔で青ざめている。



「じーさん、冗談ですまねえぞソレ。

 放っておいたら、そこら中鬼だらけになんのかよ」


『ああ。そうじゃったよ。実際にそうなった』



 人知れず、繰り返しあらわれる化け物。

 三鷹は74年前に鬼と遭遇し、親友とともに立ち向かったのだという。

 親友は命を落としたが、三鷹はどうにか鬼を倒し、祠に封じ込めたそうだ。



 これは伝染病のようなもの……。

 巧貢は寒気を感じ、己の身体をさすった。

 感染している? 自分が?

 もしかして、誰かにうつしてしまうのだろうか?



『怯えることはない。お前の感染はまだ浅い。

 体液を大量になすりつけでもせんかぎり、お前が感染源にはならん。

 まあ、二週間もすれば立派な感染源だがな。

 そこは心配せんでいいぞ。

 地の鬼はマーキングした相手をご丁寧に狩って遊ぶ。

 そんなに長く生きられんわ』


「三鷹さん、思考と情緒がついていけません!

 上げて落として上げて落としてはやめてください!

 僕の心がもちませんっ」



 安心していいのか、絶望していいのか。

 とりあえず、他人にうつすことはないらしい。くしゃみはまずいかも。マスクがいるかな。

 そして、巧貢に憑いた……いや感染させた鬼は、『マーキングした相手を狩り遊ぶ』。

 夢でアレと遭遇した時、まさに巧貢は狩られる寸前だった。

 あの日、目覚めた自分の代わりに、自分以外の誰かが……



「僕は、あの祠から感染したんですか?」


『よく理解しておるな。あれに地の鬼を封じておったのだ。

 あの祠はとうとう朽ちたか。

 儂は封じに長けておらんからな。70年ちょいもったのは長いほうよ』


「朽ちたって……経年劣化が原因?」


『それは知らん。

 誰かが金属バットで殴れば砕けようて』


「そんなことしてません! 茂みにちょっと足が入って、つま先で蹴っただけだと思います。

 あんな石の塊が、縦に真っ二つになるほどの衝撃、与えてない」


『ならば、お前と、“先に逝った者”は、恐ろしく運が悪かったのじゃな。

 何かの原因で、ちょうど祠が割れた。その瞬間に傍におった。

 “先に逝った者”はまともに浴びた。巧貢と祠の間には、太い木があったな?

 少しは守られたが、それでも感染ったというわけじゃ』



 『運が悪かった』。巧貢と山本がこうなったのは、それだけの理由。

 目の前が暗くなるような現実なのに、気が付けば巧貢は、心から微笑んでいた。



「よかった……」



 山本のせいじゃなかった。巧貢のせいでもなかった。

 二人とも祠を壊していなかった。

 山本の死は、自業自得なんかじゃない。山本はただの被害者だった。それならば。



 綺人は高城の仇討ちのために動いている。

 自分も、山本の仇討ちに乗り出したっていいだろう。

 どうせ、放っておいたら死ぬ命なのだから。



「三鷹さんは、鬼を撃退したんですよね。

 その方法を教えてください。

 あと、できれば感染を治す方法も」

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