第3話 足掻きたい

 再びトレッキング装備に身を包み、巧貢は請われるまま彼を現場に案内した。

 あの場所に行くのはすごく嫌だったけれど、現場を見ないと何ともいえないと言われたら、そうするしかない。


 

 ニット帽にサングラス姿、もっさり気味の服装の彼は、サングラス以外は一般人に溶け込んでいる。

 けっこうわからないものなんだな、と巧貢は思った。

 横顔はサングラスから漏れた顔が見えているし、驚くほど整った顔なのに。



 朝起きてすぐ、巧貢は『介音綺人(かいねあやと)』を時間いっぱい検索した。

 だから、……少し偏見の目で見てしまう。

 事実かどうか解らないけれど、彼は今現在がんがんに炎上中だった。

 助けの手を差し伸べてくれた人だ。デマだったらいいと思う。でも。



「ん? 今更俺の炎上のこと知った顔だな」



 そのまま顔に出ていたらしい。巧貢は恥じてうつむいた。



「獣道で視線落とすと怪我するぞ。

 で、どう思う?

 あの騒動、鵜呑みにするか?」



 低くてきれいな声が、茶化すように尋ねる。

 動画でトークや歌うのをたくさん見たのに、ここまできれいな声だと感じなかった。

 耳に心地よくて安心するような、声そのものが透き通るような。

 どうして動画では、この良さが鈍るのだろう。

 生の音声は違うのか。芸能人に知り合いがいないから比較できない。



「……デマだと思います。

 あれが本当だったら、あなたは自分でそんな風に言わないと思う」


「へえ、俺って初対面の割に信用されてる?

 嬉しいね」



 サングラスで隠された口元が笑った。

 含みのない笑み。クールな印象の動画にはなかった笑顔。



「その通り。完全なデマ。

 俺の女癖が悪いのは事実だぜ?

 といってもワンナイト主義で、特定の恋人は作らねえ。めんどいからな。

 高城はドラマで共演しただけで、戦友みたいなもんだ。

 俺と関係を疑われて炎上なんて、高城が草葉の陰で激怒してら」



 高城 世麗奈(たかしろ せれな)。

 介音綺人と熱愛の末、手酷く捨てられて自殺したとされる芸能人。

 少し前までは人気アイドルグループのセンターで、卒業後は女優に転身。

 介音綺人とは二時間スペシャルドラマの恋人役で共演。ドラマはまだ放映されておらず、この騒動で公開が無期限延期になるらしい。



「ほんとに自殺なんですか」


「事故死っぽい。俺とは無関係じゃねえかな。

 高城の遺族や関係者のことを考えると、今の俺は表で動く時じゃねえ。何しても火がでかくなるだけだ。

 人ひとり死んでんだ。活動自粛くらいどうってことねえよ。

 各所に事務所通して抗議入れてるし、弁護士も動いてる。

 高城の遺族には、俺が直接出向いて説明した。

 他にやるこたねーだろ」



 ネットでは、介音綺人は酷い叩かれようだった。

 見ているだけで恐ろしい文言がいっぱい。高城世麗奈ファンからの怨念じみた言葉は、心底怖かった。

 彼の態度は堂々としていて、亡くなった高城世麗奈への哀悼も感じた。

 デマなのにあんなに炎上して、殺人予告っぽいのや人権を貶める言葉や、引退を望む声だらけで。

 平気そうなのはすごいと思った。

 自分がこんな目に遭ったら、引きこもって数年は家を出られない。



「あの、……大丈夫なんですか」


「大丈夫じゃねえのはお前だろうが」


「確かにそうですけど。

 ええと、その、口調思ったよりフランクですね、えっと」


「想像より口悪ぃって? はっはは、こっちが地だ。イメージ崩すほど知らなかったんだからいーだろ」



 明るく笑う彼は、世界中が敵になったようなあの炎上をものともしていない。

 強いんだな、と思った巧貢の前で、介音綺人はサングラスを外した。

 山本と迷い込んだ道に近づいている。ここまでくれば誰かとすれ違うことはない。



「正直言えば、悔しいよ。

 俺はまあいい。もともと炎上の下地があった。

 高城みたいな真面目に役者の努力してたやつが、死んだ直後にネタにされんの、すげえ悔しいわ。

 あいつの事故死、ちょっとおかしくてな。

 仕事ポッカリ穴できたし、調べてたとこ。

 ……で、この辺? 祠」


「あっ、はいそうです!」



 人形みたいに整った顔が悔しげに歪められて、一瞬巧貢は見惚れてしまった。

 ことが無事に終わったら介音綺人のドラマ見よう、と呑気なことを思う。

 明日をも知れない命でも、人間はそういう思考ができるんだな。



 あの時とは違う、午前中の澄んだ陽光の下に、あの岩があった。

 山本とふたりで即席の修繕をしたままだ。アウトドアロープに巻かれた、祠のようにくりぬかれた岩。



「……うっ」



 急に気分が悪くなった。祠を見ていると眩暈がして、吐きそうになる。

 介音綺人は巧貢と祠の間に割り込んでしゃがみ、皮手袋越しに祠に触れた。



「空っぽだな。中身はねえ。

 出ちまったなあ、こりゃ」


「わかるんです、か、うう……っ!」


「吐くなら離れて茂みの奥で頼むぜー。

 俺はなんつーか、視えるんじゃなく感覚のほうでな。

 はっきりとわからねえけど、激ヤバの部類。

 一緒にいた友人、死んだんだよな?

 たぶんお前、もって数日」



 予想はしていたのに、ここまではっきり言われるとガンとくる。

 あと数日で、死ぬ。山本のように死ぬ。

 気が付いたら、巧貢は土の上にへたり込んでいた。



「お前、死にたくないんだったな?」



 介音綺人は立ち上がり、皮手袋を脱いでポリ袋に入れた。

 太陽に照らされた彼は、眩しいほどの存在感があった。

 人間として惹かれる存在。カリスマというのだろうか。



「はい」


「生き延びるチャンスはある。ちょびっとだけな?

 でも、そっちの道はまともじゃねえ。

 ここでぽっくり死んだほうがマシかも知れねえぜ。

 見たくねえ、知りたくねえ、やべえほうへ飛び込んででも生きたいか?」



 見下ろされながら、美しい声が確認する。

 厳しくも優しくもない。ただの確認。

 立ち入り禁止ロープを、自らの意思でくぐるのかと問われているだけ。



「生きたいです。

 死ぬのが怖いのもあるけれど、……

 僕は山本を殺したかもしれないから」


「ん? どゆこと?」


「道を間違えなかったら。

 雲行きが怪しくなった時、もっと早く戻ろうと言っていたら。

 山本より先に僕が歩いて、僕が先に触れていたら。

 山本は死なずに済んだかもしれないんです。

 今更、友達面するのおこがましいって思うけど!

 誰かを死なせて自分だけ生き延びて、のうのうとしてたら自分が許せません」



 声が震えていた。

 巧貢の人生で、ここまで感情が震えたことはなかった。

 湧き上がる思いが勝手に言葉になって、唇から漏れて出る。



「明日死んでも、今日死んでも仕方ない状態なら、生き延びるチャンスに賭けて足掻きたいです。

 ふたりいて、僕のほうが生きた。それを無駄にしたくない。

 流れるまま死にたくない、なんなのかわからないまま死にたくない!

 せめて理由くらい、原因の端っこくらい掴んでから死にたい!!」



 ぐしゃ、を髪を撫でられた。

 ぐしゃぐしゃぐしゃ。大人の大きな手が、巧貢の頭を撫でる。

 介音綺人の笑顔は苦笑気味だったけど、あたたかかった。



「俺のことは綺人って呼べ」


「え、そのまま呼んでいいんですか?」


「カイネって奴は少数だけど、アヤトって名前はそこらにあるだろ?

 わかったな、巧貢」



 たくみ。

 名前で呼ばれた。



『なあタクミ、遊びに行っていいか? いいだろ!』



 喪った彼と家族以外に、巧貢を名前で呼ぶ者はなかった。

 新しい出会いは、命懸けの恐ろしいものだったけれど。



「はい、綺人さん」



 この人についていっても大丈夫だと、巧貢の中で確信があった。




高城 世麗奈 ヴィジュアルイメージ 

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093089544556232

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