ファルマン2爆撃機とライオン作戦!

 8月……戦争開始から既に6ヶ月が経過しようとしていた。


 ウェルダン戦車戦の後、西部戦線は一旦の膠着状態となったが他の戦線では色々動いていた。


 まずオスマン帝国が同盟側(フランスの敵)として参戦し、それに伴いブルガリアもドイツ側の同盟側としてバルカン戦争の雪辱を果たす為に参戦し、バルカン半島の軍事バランスが同盟側に大きく偏った。


 7月には二重帝国によってセルビアが本土を失陥し、海上経由でセルビア政府は脱出し、パリに亡命政権が作られた。


 またロシア軍対ドイツ軍と二重帝国軍が激突し、ロシア軍が50万人近くの損害を被る大敗を喫し、ロシア領内に戦線を押し込まれてしまう。


 ただウェルダン攻勢に注力していたドイツ軍はロシアを深追いすること無く、戦線は停滞する結果となる。


 この戦局の停滞を打開するためにイギリスが、オスマン帝国のイスタンブールという都市に打撃を与え、早期降伏を狙うダーダネルス海峡突破を目的とした計画が立てられる。


 フランス軍はオスマン帝国の陸軍兵力であればエジプトから北上する作戦の方が効果が高いし、ダーダネルス海峡はオスマン帝国軍が海峡の両岸に対艦砲を多数設置しているため危険であると力説するが、イギリス海軍大臣のウィンストン·チャーチルにより作戦決行を押し切られ、フランス海軍も戦艦を派遣することになるが、ドイツ海軍の潜水艦攻撃により旧式艦とは言え撃沈されるという大事件が発生。


 イギリス海軍の戦艦も機雷と接触して2隻が撃沈され、作戦継続が困難と判断され、ダーダネルス海峡突破作戦は失敗し、イギリスは懲りずにダーダネルス海峡に陸軍を上陸させることで両岸を抑えた後海峡突破を試みる作戦を立案するが、フランス軍は再度イギリスに忠告するが、イギリス軍及び植民地軍を動員することで実行すると息巻き、イギリス軍はガリポリ地方にて上陸作戦を実行。


 しかし、この作戦もオスマン帝国軍による激しい抵抗を受けた事と、期待していた戦車が上陸する際の海水が流入したことで機械トラブルを頻発させたこと、ガリポリ沿岸部は断崖絶壁となっている浜辺が多く、内陸に行くのに遠回りを強要され、浜辺の砂がエンジンに入り込み、エンジンが故障する、重さで砂浜に埋まる等の事例が多発してしまい、戦車が機能すること無く、オスマン帝国軍の有利な戦局で推移してしまう。


 オスマン帝国軍は各地でイギリス軍を撃退し、ガリポリの戦いという一連の戦いでイギリス軍は撤退を強いられ、作戦は失敗。


 チャーチルはガリポリの肉屋という最悪のあだ名を国民から付けられる事となる。


 それによりチャーチルは失脚し、戦争期間中政界から遠ざかる事となり、イギリス政界も本作戦の失敗で戦時内閣にもダメージが入ることになる。


 更にイギリスは悪いことが重なり、砲弾スキャンダルという大砲の砲弾を特定のメーカーに任せていた為に生産量が需要に足りず、大陸派遣軍から痛烈に批判され、それが国民にもバラされるスキャンダルが発生。


 国民はこれを政府と企業の癒着と考え、戦時内閣で責任をとる形でチャーチルを生贄に捧げる事で内閣を守ったが、次作戦が失敗した場合内閣が瓦解する可能性が高まってしまった。


 またイギリス陸軍大臣で大陸派遣軍を支えていたキッチナー大臣が前線視察を行うため船で大陸に渡ろうとした時にドイツ潜水艦により乗っていた船が撃沈され戦死してしまう。


 戦時内閣で一番人気のあったキッチナー大臣の戦死で更に戦時内閣の支持率は低下してしまうのであった。








 イギリスは国内の政治的動きで動けず、フランスは機甲師団創設や戦力回復の為に動けず、ロシアも大敗から戦力を復活させるために動けず、ドイツや二重帝国、オスマン帝国も攻勢する余力は無く、戦線は数ヶ月間の停滞が始まった。


 日常的に戦闘は行われていたが、大規模な戦闘は連合軍、同盟国軍共に避けられ、連合軍はドイツ植民地への攻撃と海上封鎖に力を入れていく。


 対抗してドイツ海軍は無制限潜水艦作戦を実行するが、フランス海軍が開発していたソナーと対潜機雷を備えた駆逐艦を多数投入することで潜水艦狩りを実行し、大きな戦果を稼ぐことになる。


 またフランス海軍は航空機による機雷投下を可能にする航空機雷の開発や水上機と水上機を運用できる軍艦の改装を行い、ドイツ海軍が潜水艦の被害の多さに無制限潜水艦作戦を撤廃せざる得ない環境を作っていくこととなる。


 またフランス海軍所属の潜水艦がドイツ海軍の軍港に侵入し、停泊していたドイツ戦艦に魚雷攻撃を行い、戦艦を座礁させて軍港の機能を3ヶ月間停止させる戦果も挙げた。


 ダーダネルス海峡でドイツ海軍が潜水艦によってフランス戦艦を沈めた事件や逆にフランス海軍の潜水艦が大戦果を挙げた事で各国が潜水艦の有用性に気が付き、研究が進められるのであった。







 シェル3型エンジンを航空機用にチューニングし、馬力を300馬力に上げた航空機エンジンが開発成功し、フランス空軍は300馬力あれば全金属製航空機の開発ができるであろうと今までの技術の蓄積を利用して新型戦闘機と航空機の開発を開始。


 しかし300馬力でもまだ馬力が足りないと試算が出たため、既存のニューポールⅣのエンジンを換装したニューポールⅤが作られ、上がった馬力により機関銃を翼に取り付けて3丁とした。


 これによりドイツ航空機よりも火力の面で上回り、速度も一時的に優位になったことでドイツの新型戦闘機が出てくるまでの3ヶ月間はキルレートが5対1となり、ドイツ航空隊を苦しめた。


 また300馬力エンジンを串形にし、4発のエンジンを搭載した爆撃機で、史実のF.222.2を模したファルマン社製爆撃機からファルマン2戦略爆撃機と名付けられ、1枚の大型翼に機体の殆どがぶら下がった形の爆撃機であり、爆装量がこの時代では破格の2.7トンもの爆弾を搭載することができ、時速も4発エンジンにしたことで1000馬力を発揮し、全金属製の爆撃機にすることが可能となり、それでいて時速320キロとニューポールⅤが時速250キロのところをそれよりも70キロ速く飛行できる超高性能爆撃機が完成し、航続距離も1500キロの長距離を飛行できるため、ドイツの殆どを爆撃することができるようになっていた。


 フランス空軍はこのファルマン2戦略爆撃機を100機量産するようにファルマン社に依頼し、ファルマン社から9月より先行量産機が空軍に納入され、10機揃い、ある程度の訓練を終えたところでドイツ空軍は10月にライオン作戦(目標であるバイエルン州の州旗がライオンが描かれていた為)が発令。


 上空3500mまでフランス国内で上昇し、高速で飛んでいくファルマン2爆撃機をドイツ航空隊は迎撃することができず、バイエルンにある硝石工場への爆撃を許すことになる。


 10機のファルマン2爆撃機により27トン近くの爆弾が投下され、目標となった工場周辺に爆弾が弾着。


 その爆弾のうち数発が工場の火薬製造ラインに着火し、工場諸共周辺の町そのものを消し飛ばす大爆発が発生。


 ドイツ軍は万が一の為に硝石工場をもう一箇所別の場所に建てていた為、火薬不足にすぐなるということは無かったが、火薬の大部分を製造していたバイエルンにあるオッパウ化学肥料工場が消滅したことはドイツ軍だけでなくドイツの産業界に大きな衝撃を与え、迎撃できる戦闘機の開発が急がれた。


 しかしフランス空軍はファルマン2爆撃機を連日稼働させ、ドイツの鉄道拠点や軍需物資の集積地、さらには射程圏内の武器工場も爆撃。


 ドイツ産業界は工場の疎開を開始し、それにより生産効率が低下してしまい、ドイツ軍は年が明けるまで攻勢に出る余力がなくなってしまうのだった。

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