新型エンジンとキッチナー戦車!

 幻想会側の将校が何度も中止を求めたがフランス軍総司令官ジョフル大将はプラン17を発令し、アルザス=ロレーヌ地方奪還の為の軍事行動を開始したが、ドイツ軍は厳重な防衛線を構築しており、フランス第1軍、第2軍は甚大な被害が発生、更にアルデンヌの森からドイツ国内に浸透しようとした第3軍と第4軍もドイツ防御陣地に阻まれ攻勢に失敗。


 しかもドイツ軍は機甲師団という戦車の集中運用ではなく、支援部隊として活用していたために各軍に均等に配備されていた。


 だいたい1つの軍に対して200両の戦車を配備しており、その高い防御力と機動力、ドイツ軍の防衛ドクトリン、鉄道による迅速な部隊移動等の差でフランスの攻勢を防ぎきってしまう。


 第一機甲師団が北方ドイツ軍を抑え込む代償としてフランスはプラン17の失敗も併せて攻勢に出る余力を失う結果となる。


 しかし空軍は各戦線で優位に立ち回り、幻想会の将校は総司令官のジョフル大将から幻想会派閥の将軍に総司令官になってもらい、軍の主導権を握ろうと言う政治工作を開始する。


 第一機甲師団が大きな消耗をしたことで長期戦が確定したとも言え、幻想会では戦争計画を修正。


 1917年中にドイツ軍を叩き潰す計画に修正し、ルーク社にはルークマーク3を1万両生産するように命令が届く。


 ルーク社は1914年の史実の戦争開始前に大規模な工場を建築していたが、工員が足りないとして女性工員を雇う事を事業方針として組み込み、人員の確保を急いだ。


 ルーク社だけでなく、シュナイダー社のシュナイダーマーク1も1万両の生産要請が行われ、ルノー社も軍用車の生産依頼がひっきりなしに届くようになる。


 フランス政府は戦争期間につき軍事予算の無期限連結決済という事実上軍事予算の制限を外した。


 また配給制もスタートし、リソースを戦争に注力していくことになり、船舶も戦艦等の大型艦の建造は中止し、駆逐艦の建造が主になっていく。






 プラン17が失敗したが、ドイツもシェリーフェン·プランの崩壊が迫っていた。


 ベルギーを突破するまでに既に3個師団の兵力が消耗しており、北方軍が保有していた戦車や航空機も想定していた5倍の消耗速度で戦力が溶けていた。


 しかもロシアの動員速度が想定の3倍早く、6週間を予測していたところ、2週間で攻勢を開始してきたので、西部戦線から兵力を抽出せざる得なくなった。


 これによりドイツ軍はベルギーを突破したところで攻勢限界にぶつかってしまい、フランス軍が用意していた防衛陣地を突破する勢いを失っていた。


 ドイツ軍も国境付近で塹壕を掘り始め、塹壕戦に移行していった。


 イギリス軍もドイツ軍によって手痛い被害を被ったが、ベルギーから撤退して塹壕による防御陣地を建設する頃には体勢を立て直し、イギリス本国からの増援で被害を回復していった。


 しかし、イギリスが作った戦車がドイツ戦車にまったく通用せず、しかもドイツ戦車の攻撃より簡単に撃破されたことで菱形戦車ではドイツ戦車には勝てないと悟り、鹵獲されたドイツ軍の戦車をフランス軍と共同で徹底的に研究し、新型戦車計画が始まる。


 イギリスはフランスやドイツよりも先に行っていた部門がある。


 馬力の高いエンジンの開発に成功していたことである。


 菱形戦車にも搭載されていたが、200馬力のエンジンができており、信頼性は低かったものの、他国よりも重い装甲を搭載しても時速を出すことができた。


 イギリスは塹壕戦に移行し稼いだ時間で新型駆逐戦車の開発に成功する。


 それはフランスのルークマーク3のライセンスを獲得し、それに18ポンド砲を車体に設置し、車体が重くなった分エンジンを強化することでカバーした……ソ連のSU-85擬きが完成する。


 車両名は当時の陸軍大臣で人気のあったキッチナー大臣(イギリスの戦争ポスターで有名な人)からキッチナー駆逐戦車と命名される。


 設計40日、試作車両がでてくるまで90日、量産開始は120日という超突貫車両であるが、それだけイギリス軍の戦車が貧弱であったと言える。


 ただ足回り等は菱形戦車開発者達の抵抗でクリスティーナ式ではなくコイルスプリング式が採用されていた。


 コイルスプリング式は頑強で重量に耐えられる性質があったが、速度制限がかかる欠点があり、キッチナー駆逐戦車も最高時速20キロと制限がかかっていた。


 一方フランス側はイギリスの高馬力エンジンを技術交換で手に入れていたが、同じ頃にエンジン開発に定評のあったシェル研究会がシェル3型エンジンというシェルエンジンの馬力強化バージョンの開発に成功し、これが250馬力出るし、イギリスエンジンよりも低燃費であることが判明し、既存車両を含めてシェル3型エンジンへの換装を開始。


 シュナイダーマーク2とルークマーク4への換装で、それぞれ装甲厚が全周5mm増加しながらシュナイダーマーク2は時速70キロ、ルークマーク4は55キロ出すことができる様になり、既存生産ラインを少しいじるだけで良かった為に生産性も高かった。


 まぁそれらが出来るのはもう少し後の話しになる。









 一方ドイツはシェリーフェン·プランの破綻により上も下も大混乱であった。


 責任を取って参謀総長の小モルトケが辞任、後任にはファルケンハインが就任。


 その直後にロシアによる東プロイセンやドイツポーランド領土への軍事侵攻が始まったが、フランスと競争して開発が続けられていた戦車がポーランド平野において最大限に威力を発揮し、フランス軍が戦車を大量運用して防衛に成功したように、ドイツ軍もロシア軍に対して機動防御を展開した。


 キーマンになったのが東部戦線ドイツ第1軍団司令フランソワ将軍と第8軍団参謀ホフマンであり、ホフマンは戦争開始直後に東部戦線を預かる将軍が家のコネで成り上がり、能力が無く小心者という将軍としては最悪の性格をしていた為に実質的に指揮を執っていた。


 第1軍団は東部戦線最大の戦車部隊を保有しており、騎兵と組み合わせることで高い機動力を実現していた。


 その性質をよく理解していたフランソワ将軍は積極的防衛策という作戦を展開する。


 事実上機動防御であるが、敵を先制攻撃することで敵の進撃を食い止め、即時に移動して違う地点から攻撃を加えることで奇襲効果を生み出すという作戦であった。


 これがロシア軍にはよく効いた。


 歩兵とコサックという騎兵が中心で対戦車ライフルも傾斜装甲により強化されたドイツ軍戦車を撃ち抜くことができず、更に対戦車ライフルの2発目を撃つまでにドイツ戦車は機関銃を100発以上放つことができたので火力で押し負けてしまい、大損害を受けていた。


 ロシア兵も近づいて火炎瓶を投げつけたり、爆弾を投擲したり、大砲の水平射撃をしたりと工夫したが、移動し続けるドイツ戦車への損害は微々たるものであり、随伴する騎兵によってなかなか近づいて攻撃することも難しかった。


 ロシア第1軍はフランソワ将軍によって撤退を余儀なくされ、第1軍と挟み撃ちにてドイツ軍を殲滅しようと動いていたロシア第2軍が東プロイセン領内で孤立することとなり、ドイツの張り巡らされた鉄道網によりロシア第1軍を撃退した東部戦線ドイツ軍は迅速に移動し、戦車部隊率いるフランソワ将軍がマズール湖や周辺の湿地帯を回り込み、ロシア第2軍の背面に出ることに成功する。


 ロシア第2軍は正面と背面双方から攻撃に晒され、包囲されて殲滅される。


 この戦いでロシア第2軍18万人がドイツの捕虜になるか戦死してしまい、ロシアは大敗という結果となる。


 更にドイツ軍は東部戦線司令官を更迭し、新しくヒンデンブルクが司令官に参謀にルーデンドルフが送られ、新体制が構築されることとなる。

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