開戦!第一世界大戦!

 切っ掛けはポーランド地域であった。


 旧ポーランド地域はドイツ帝国、二重帝国、ロシア帝国によって分割されており、独立運動で火種が燻っていた地域である。


 しかもドイツ帝国とロシア帝国の関係悪化により暗躍する秘密結社が多数あり、ドイツ帝国とロシア帝国を戦わせて漁夫の利を得る形での独立を狙っていた。


 そんな最中、二重帝国支配地域にてポーランド独立を訴えるデモ行進が行われており、いつものように警官が追い払おうとすると、どこからともなく銃声が聞こえ、警官はデモ隊がデモ隊は警官が発砲したものだと思い、瞬く間に暴徒とかしたデモ隊は警官隊と衝突、ガリツィアの惨劇という事件が発生。


 二重帝国は暴徒とかしたポーランド系住民に対して軍を動員し、武力鎮圧を行ったが、ポーランド系住民の他にスラブ系構成員が混じり、テロの原因がロシア帝国による二重帝国への工作であったと断定。


 二重帝国はロシア帝国に対して抗議を行ったが、まったく関与していなかったロシア帝国は寝耳に水として抗議に対して遺憾を表明。


 実際にはポーランド復興を目論む工作員による仲違い工作であったが、それが連鎖反応を起こしていく。


 まず二重帝国はこの件で戦争になったら不味いとドイツに何か起こった際には二重帝国を全面的に支援してもらうように要請。


 これをドイツ側は二重帝国がロシアに対しての外交的カードを求めていると勘違いし、ドイツは二重帝国に白紙の小切手と呼ばれる全面支援の約束をドイツ皇帝の直筆のサインを貰う。


 安心した二重帝国はロシアに対して謝罪と賠償を求め十箇条に及ぶ要求を突きつける。


 これに対してロシア帝国上層部は激怒し、戦争を辞さない構えに出る。


 しかしここでフランスが戦争は不味いと両国間の仲裁に参加。


 時間稼ぎを開始する。









 外交官からロシア上層部だけでなくロシア国民も二重帝国の行動に激怒していると情報が入り、外交官に徹底的な引き延ばし工作を行うように通達。


 幻想会の面々はドイツが全面支援を約束している以上二重帝国が折れる事は無いだろうし、ロシアとフランスの関係性からロシア有利の仲介をしなければロシアとの関係が悪化するという状態に戦争の回避は不可能であると判断し、各工場に戦時下の生産体制に移行するように通達が送られる。


 無制限量産命令であり、兵器や軍需物資は軍が無制限で買い上げるとした。


 フランスが戦時生産体制に入ったという情報はドイツを刺激し、フランスが交渉を時間稼ぎに使っていると判断したドイツも戦時生産体制に移行する。


 ロシアと二重帝国の交渉をわざと暗礁に乗り上げさせ、時間を稼いでいたが、3か月後の1915年の2月には交渉は決裂。


 二重帝国は総動員法を発令。


 ロシア帝国も総動員法を発令し、ドイツ帝国の宰相は


『これはロシアとフランスによる三国同盟への挑戦である』


 と発言し、総動員法を発令。


 2日遅れてフランスも総動員法を発令。


 イギリスはヨーロッパの平和会議という緊急の国際会議を開いたが、ドイツと二重帝国が参加を拒否して会議は流れた。


 1915年2月18日、二重帝国がロシア帝国へ宣戦を布告。


 ロシア帝国が二重帝国、ドイツ帝国と交戦状態に入ったと即座に世界各国に発信。


 フランスは三国協商の防衛協定に基づきドイツ帝国、二重帝国へ宣戦布告。


 バルカン半島の諸国もブルガリアを除きロシア側への参戦を発表。


 一気に世界大戦へと拡大していく。









 ドイツ帝国陸軍は即座にシェリーフェン·プランを発令、対してフランス軍最高司令官ジョゼフ・ジョフルはプラン17を発令。


 シェリーフェン·プランが中立国ベルギーを通り、フランス北部地域に浸透する作戦に対してプラン17はアルザス=ロレーヌ地域の奪還に動く作戦であり、奇しくも回転ドアの様に主力が避け合う作戦が発令された。


 中立国のベルギーはドイツからの軍の通行許可を求める外交圧力を断固として拒否し、ベルギーも動員を開始。


 幻想会の所属の軍人達はシェリーフェン·プランによりドイツ軍主力はベルギーから浸透してくると把握していた為にベルギー国境付近に第1軍と第2軍を展開し、防衛体制を整える。


 ベルギーは突破されると見ていた転生者達は既に塹壕を掘り出し、野戦陣地の建築に取り掛かる。


 事実ベルギーは西欧諸国で実質軍事力が最低の国であり、国内の社会主義者と長期の中立により国民が軍事に無関心になりつつあり、ベルギー軍もフランス被れと呼ばれる幻想会に属さない陸軍上層部により精神主義に染まりきっており、防衛計画ではなく攻撃計画ばかり練る有様であった。


 しかし、ベルギー国王アルベール1世の


「ベルギーは道ではない国だ」


 という演説によりドイツの要求をキッパリ断り、武装中立を維持すると発言した。


 ドイツはシェリーフェン·プランに基づきベルギーへの軍事行動を開始する。


 ことここに至り大戦の回避が不可能と判断したイギリスは参戦に関する国会での投票が行われ、イギリス外相グレイによるグラッドストン演説と呼ばれる過去のイギリスで大物政治家であり、参戦反対派がこのグラッドストンの弟子達であることを目を付け、グラッドストンの言葉を引用した演説により挙国一致で戦争に挑むべきという投票結果になり、イギリスの参戦も決定。


 イギリスは既存の陸軍から大陸派遣軍BEFが直ぐに集められ6個師団がまずフランス国内に送られた。


 第一世界大戦初期の役者は揃い、戦場と言うなの舞台を踊り始める。









 シェリーフェン·プランのより詳しい作戦内容を語らなければならない。


 まず作戦はパリを目指し、フランスを早期降伏に追い込み、ロシアにフランスに割いていた兵を転換させてロシア領内に侵攻するというのが本作戦内容であり、ドーバー海峡に沿う様にドイツから見て右回りで攻撃をする作戦であり、作戦の肝としてベルギーは碌な抵抗をしないこと、ロシアの総動員完了には6週間はかかるだろうという楽観的考えが入っていた。


 しかし、蓋を開けてみれば断固として抗戦を選んだベルギーは自国の橋や道を破壊して焦土作戦を選択。


 しかも要塞に立て籠もり、持久戦の構えを見せていた。


 ドイツ軍1つ目の誤算である。


 しかしベルギーの要塞が予算不足により完璧な状態でないと知るとドイツ軍は歩兵と砲兵による強行攻撃を開始。


 しかしベルギー兵は勇敢に戦い、要塞の防御に成功する。


 しかし、数日後にドイツ軍の対要塞砲である攻城用42センチ臼砲ビッグ・バーサが14門戦場に到着すると戦局は一変し、ベルギーの要塞群は次々に陥落していく事となる。


 ベルギーは単独でのドイツ軍への防衛は不可能と悟り、協商改め連合国側での参戦を明言。


 防御を固めていたフランス軍はベルギーからの救援要請を受けてベルギー国内に足の早く、機動防御ができる兵力……第一機甲師団の投入を決定。


 ドイツ北方軍(ベルギーを侵攻している複数の軍団の総称)へ打撃を与えるため、転生者達が手塩をかけて育った機甲師団がいよいよドイツ軍と激突する。

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