各国の戦車開発!

 フランスとドイツが戦車の開発競争を行っている中、他の国はというと、イギリスは戦車の有用性を疑問視していた。


 それでも陸上戦艦計画が立ち上がり、陸軍ではなく海軍が主導で戦車開発を行うこととなるが、フランスが旧式になったルノーB1をイギリスに輸出すると、B1の予想以上の高性能ぶりに驚愕し、独自の戦車開発として……英国面を発揮し、菱形戦車を1914年の3月に開発を完了した。


 俗に言うマークⅠであり、遅い、重い、機械的信頼性が無いという3重苦により、B1戦車より扱いが難しいと不評であり、回転式砲塔と頑強な足回り、重装甲の戦車を開発することとなる。


 言ってしまえば海軍が主体の為に陸上戦艦というコンセプトからなかなか抜け出せなかったのである。


 それでも陸上巡洋艦から派生して巡航戦車というカテゴライズが生まれ、快速戦車の開発も着手していくことになるのだったが、攻撃性能に難がある戦車ばかり開発していくことになり、フランスとドイツの戦車開発競争からは取り残される形となる。


 もう一つの同盟国のロシアはどうかと言うと、戦車を開発できるだけの技術力が乏しく、自動車産業も未発達。


 しかも指揮系統等の軍の体制にも問題があり、とても戦車開発をできるような状態では無かったが、輸出されたルノーB1を研究し、それの対抗手段として対戦車ライフルを開発。


 25mm程度ならば貫通するし、歩兵に装備させられるのもロシア的にはポイントが高かった。


 勿論ロシアで携帯対戦車火器が開発されているのにフランスが開発していないということは無く、1.59インチビッカースQ.F.ガンMk IIというイギリスの携帯歩兵砲……第一次世界大戦をモデルにしたゲームでは対戦車ロケット砲として登場し、それを再現した携帯対戦車砲がフランスで開発されていた。


 この時代にバズーカやロケット弾を量産するのは難しい為に、使われるのは焼夷弾、榴弾、徹甲弾の3種類の砲弾である。


 対戦車ライフルよりも高威力かつ、多目的であり、徹甲弾なら500m先なら25mm、100mならば50mmの貫通力があり、ドイツのⅢ号戦車擬きを十分に撃破できる性能を備えていた。


 閑話休題


 なのでロシアは戦車の基礎研究は進めていたが、まだ形にはなっていなかった。


 ドイツの同盟国の二重帝国ではドイツから型落ちという評価だったLKⅠ(軽戦闘車両1型)を輸入し、戦車の研究を開始。


 チェコ工業地帯等の戦車を開発できるだけの工業力は有していた(軍部が有効的に使えるとは言っていない)二重帝国は早速LKⅠのコピーを生産し始め、続いてそれをより簡略化、軽量化した豆戦車というジャンルを開発。


 対歩兵戦闘には十分な火力、大砲を牽引することができる馬力、多少の段差を乗り越えることができる踏破性能をこの時代にしては高水準に纏め、コンセプトがしっかりしているし、普通の戦車を作るよりも安価で手間もかからないので十分に傑作戦車の部類である。


 ただ防御力は無いに等しく、ライフルの弾丸は防げても、重機関銃による攻撃を側面から受けた場合穴だらけになる欠点を抱えていた。


 ただ重い重機関銃を移動しながら撃てるし、機動力も最高速度45キロと最初に作った戦車にしては高水準であった。


 同じくドイツの同盟国のイタリアにもドイツからLKⅠが輸出されたが、山が多いイタリアでは戦車の運用に向かないと判断し、基礎研究はするが対戦車火器の開発及び航空機の開発の方に注力することとなり、戦車開発という重いリソースをそこまで注がなかった事で航空機は発達する……航空機『は』だ。


 戦車開発の遅れは将来のイタリア陸軍に凄まじい重しとなってのしかかってくるのだった。


 最後に新大陸のアメリカはというと、モンロー主義と言う名の新大陸に引きこもっていたので戦車開発レースからは脱落していたが、自動車先進国かつ工業力も十分にあった為に、真剣に戦車開発を始めれば一気に水準を上げられるポテンシャルを秘めていた。


 ただ、論文や軍事パレードで戦車を見た軍人達の研究会が存在するくらいで、戦車を実際に作ったりするには至らなかった。


 しかもライト兄弟やアメリカで将来航空機を開発する技術者の青田買いをフランスが行った事で航空機産業が史実よりも停滞していた。


 まぁそれでも技術力オバケのアメリカの事なので盛り返してくるだろうけど……。


 日本? ハハ……。


 これが現状ヨーロッパやアメリカにおける戦車開発の感じであった。


 フランスとドイツが突き抜けていて、イギリスと二重帝国が居てロシアとイタリア、アメリカがその下に居る感じである。










 運命のサラエボ事件の日になったが、フランス諜報機関と事前にサラエボ事件から世界大戦が始まるシナリオを軍事評論家が世界で発表していたこともあり、二重帝国の皇太子が暗殺される事件は発生しなかった。


 結果ドミノ倒し的な第一次世界大戦は発生せずに平和な夏が訪れた。


 フランスの転生者達は歴史を変えられた安心感と歴史が分からなくなった不安で今後の戦略について活発に議論されることとなる。


 まず何も無かった場合フランスがドイツ帝国に技術的、工業力的に追いつくのには10年の年月が必要であり、それを短縮するために秘密兵器である真空管式コンピューターが既に開発されており、用途別に作る必要があるが、おかげでドイツに追いつける目処がたつことに成功する。


 調べれば調べるほど、国民が飢餓状態なのにパリ砲という砲弾が成層圏に到達する巨大な列車砲を作ったドイツ帝国の国力に圧倒されそうになるが、負けない為に転生者達は知恵を振り絞っていた。


 産業においても順調に企業が成長しており、鋼の生産量は毎年1.2倍の生産量増加を維持しており、鉄道の敷設距離や輸送艦の増加、自動車の増加等の話題に事欠かない。


 機械を作るマザーマシンの製造にも着手しており、マザーマシンとフォード生産方式による大量生産で物を作れば作るだけ世界に輸出できる様になっていた。


 特にアフリカ植民地を発展させるためにも国が補助金を出してでも重機による開発や採掘場の建築、独立してもたちいくインフラの整備などを行い、フランスは植民地市場と連結して経済を一気に回していた。


 人口も緩やかに回復傾向にあり、食糧の生産も窒素肥料工場と重機をリース契約で借りられたり、中古の重機を安く買えたり、品種改良の成果が出て食糧自給率は150%に到達。


 50%分を他国に輸出することで多くの利益を得ていた。


 ただフランス経済が活性化するとライバルのドイツ帝国が割を食う形になる。


 ドイツ車とフランス車で価格競争が発生しており、フランスが世界シェアを獲得すると同時にドイツのシェア率は低下してきていた。


 市場全体が拡大しているため問題にはなりにくかったが……。


 ドイツとの敵対関係はそれだけに留まらない。


 領土問題や政治的問題も抱えており、普仏戦争で取られたアルザス=ロレーヌ地方の奪還を叫ぶ右派や社会主義運動を展開する左派等、しかもフランスには第二インターナショナル(社会主義者達の国際運動)がパリで頻繁に開催されており、社会主義に対して議論が続けられていた。


 転生者達はソ連の崩壊という社会主義の限界を知っているために資本主義者が多いが、児童福祉や労働条件の改定、最低賃金、各種保障による貧富の格差の是正はするべきであるという考えが大半であった。


 フランス政府も左派に国会を乗っ取られるくらいなら上からの改革を実行するべきであると左派に歩み寄る姿勢を見せた事で史実よりも武力闘争とかゼネストの回数は減っていた。


 ただ国際社会主義者として人気のあった者が暗殺されたりと不安定な事も起こっていたが……。


 こうしたフランスの頑張りも虚しく、国際的に大きな事件が発生することとなる。

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