12. その令嬢白き割烹着をまといて文官の前に輝くべし

 

・ ・ ・ ・ ・



「えーと……今日はお嬢さんは、……ゾフィさんは。お休みなのかな、いらっしゃらないですねー……」



 さりげなくそっけなく、……を装ってじっとり素早くキノピーノ書店のなかを見渡し、ベッカは言った。



「はい、けさ入荷した希少写本の補修装丁をしていまして」



 新しい地図布をていねいに丸めながら、勘定台の向こうで手代が答えた。



「何かお調べものでしたら、僕が検索をいたしますが?」



 疲れた顔ではあるが、真摯な表情に親しみをのせて、若い男は言う。



「それとも、呼んでまいりましょうか」


「あっ、いえ、今日はその……。今まで調査を手伝っていただいた、お礼を言おうと思っただけで。お仕事の邪魔をするつもりは、ないんです、……」



 差し出された地図を受け取りつつ、しりすぼみに言って引き下がりかけたベッカの横へ、ブランがずーいとしゃしゃり出てきた。



「あのー、ちょっとだけ呼んでもらっていいですか。ブランが来たって、言って下さい」


「は?? ちょっ……ブラン君?」



 手代はくるっと後ろに下がった。


 工房や倉庫のあるらしい箇所から、……すぐにゾフィを伴って出てくる。



 ずぎゅううううううううん!!!


 二日ぶりに見る大店キノピーノの令嬢は、きらきらちらちら、乳白色のあたたかい光をまとっているように、ベッカの目にうつった。


 ふんわりした特別な割烹着みたいなものを、いつもの服の上に着ているらしい。くびれが見えない……。しかし目に見えないものを見透かして、いとおしいと思ってしまうのが恋だ!


 あまりに神々しい令嬢店員、ベッカは膝をついて両手を合わせたい衝撃にかられる。我らがイリー守護神、黒羽の女神さまも、きっとこんな感じに違いない!


 息を止めて金縛り状態に立ち尽くすベッカのうしろ。長い店内中央書架のはじっこに店の象徴として置かれた黒羽の女神像が、そんなことないわよ、とちょうどベッカの背中に羽びんたをつっこむ形で、その翼をのばしていた。



「あら、……ブラン!」



 気さくに言いながら、ゾフィはしゃかしゃか近寄ってくる。二人の前に来て、ようやくベッカに気付いたようだった。



「ベッカさん?? いらっしゃいませ」


「こんちは、ゾフィ姉ちゃん」



 自分の目は今、点になっているとベッカは確信した。ゾフィお嬢さんを知っているのだろうか、この子は?



「あのね、俺、こんど護衛の、実習することになったの。フリガン侯……、ベッカさんの」



 いかにも子ども子どもした、区切りだらけの言い方で少年は言った。



「ええっ? あなたが……ベッカさんの、護衛!?」



 目と口をまるく開けて、ゾフィはブランとベッカとを交互に見た、……移動する視線の高低差がはげしい。



「詳しいこと言えないけど、ちょっと遠くにも行くんだ。だからしばらく、俺の本は持ってこなくっていいよ。お母さんたちのだけ、お願い」


「まあ、そうなの……! がんばって、しっかりお護りするのよ。ベッカさん、この子のこと、どうぞよろしくお願いします」



 ぽぽん、とブランの腕をたたいたゾフィの手が、そのまますばやくベッカの右肘にさわっていった。


 いいとこの女性がする仕草、失礼にならない程度に親しみや応援の意を表現する、かるーいしぐさ。



「遠くお出かけになるんですね。どうぞご無事に行って、帰ってらして下さい」



 今までのどの瞬間よりも近いところにあるゾフィの顔、叡智の深いやさしい暗青色のひとみに見られ“視線でつつまれて”、ベッカは気を失いそうなのを必死にこらえていた。ゾフィさん、そういう目の色してたのですね!!


 この一瞬に永久にとどまって生きられたら、と思う。


 言葉なんて出せやしなかった。ゆっくり首を下げうなづいて、ベッカは肯定の意を表明するのが精いっぱいだった。



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