11. ぷよひょろ、相棒初日

 

・ ・ ・ ・ ・



 二日後。


 市庁舎・個人談話室の扉を、ベッカが後ろ手に閉めて退室した時、……踊り場の窓から差し込むまばゆい明るさにあてられて、ブランは少々ふらりとしたようだった。



「……大丈夫かい?」



 横から見上げて、ベッカはたずねた。



「すみません、久しぶりにたくさん字を追ったから……」



 ちょっときまり悪げに少年は、あさっての方向をむいて言い訳をする。



――そんなにたくさん、書面よませたわけじゃないぞ? ほんとに勉強してないんだね……。



 ファダン出発を明日に控え、ベッカはブランに基本的な旅の目的と調査内容とを伝えた。


 と言っても、精霊使いを探すために東部ブリージ系流入民の話をきく……という、表立った部分にとどめる。こんな子どもに、その上段階の目的である“赤い巨人”対策のことまで教えるつもりは、さらさらない。ただでさえ進路に迷っているブランなのだ、さらに未来に絶望されてしまっても困る。


 しかし、調査予定地の地図や人口統計の布面を広げたあたりから、少年は眉根を寄せて、にきびの浮く顔を曇らせ始めた。


 どんな段取りで・どんな人々に・どのように話を聞くのか……。一応、懸命に話を理解しようとはしている。けれど頭に入らないのが、まるわかりだった。地名、集落名、どれもするする耳と頭を通り抜けてしまって、……のこらない。


 ぐうーと音がして、……それがベッカの耳には少年のかかげた降参の合図、我慢の限界ときこえた。


 ずいぶん早いがひる休憩、持参弁当をその場で食し、ベッカは彼を伴って市庁舎を後にしたのである。


 ……にしても、驚愕の大きさの弁当包みであった。あの中に入っていたぱんの塊は、少年の内部におさまったはずなのに、ブランのお腹は相変わらずのひょろんひょろん。見かけ全く膨れていないのが摩訶不思議である。



「どこへ行くんですか?」



 だいぶほっとした調子で、ブランはたずねる。ちょうど昼休みの時間帯に入った界隈、市庁舎前の大路は多くの人びとが行き交う。



「西区のキノピーノ書店へ」


「……まだ何か、調べるんですか…」



 げっそり感が語尾ににじむ。感情が正直に出る顔に、ベッカはそろそろ慣れてきた。わかりやすいという面では、気楽な子かもしれない。笑って告げる。



「今日はもう、書面での色々はないよ。ただね、地図をもう一部買っておきたいんだ」



 口実である。ほんのちょっとだけでいい、ゾフィさんに会っておきたかった。ファダンでの調査はひと回り強を予定しているから、しばらくはあの至上の青きくびれともお別れである。



「フリガン侯は、キノピーノ書店にずいぶん通ってるんですね」



 ブランの高めの声が、ずびしっと胸のうちに刺さる。ベッカはどきりと、口元を引きつらせた。


 ゾフィさんに会いに、ずいぶん通ってるんですね? 言い当てられた気がして。



「そ、そうかなあ? そうだねー、何と言ってもあそこの蔵書資料は、この辺りで一番だからね!」



 ガーネラ侯から調査命令を受けた当初は、ここまでみっちり調べものに通うとは思っていなかった。


 しかし初日に蔵書検索をしてくれた女性店員が、……そのくびれが、あまりに鮮やかにベッカの目と胸と心とをぶち抜いた。


 その場で個人小切手を切って、年間使用登録(※)をしてもらい、以来二日とあけずに通っている。


 いつもきれいな青い上衣を着ているそのひとが、キノピーノ書店の令嬢だと知れた頃から、ベッカは晴れた日がよりいっそう好きになった。


 目を上げれば、そこにそのひとの色がある……。


 その青色にいろどられた、至高にして究極の、あの尊きくびれを宙になぞるのである……ふふふ……。



「こないだ、はじめおうちに行ったんです。おひる時だったから、フリガン侯もごはん食べに帰ってるんだと思って」



 少年の声に、ベッカはしかけたいつもの妄想を振り払った。ふぁっ、いかんいかん。


 並んで歩く大路の石だたみ、二人の視線はななめに食い違う。


 頭ひとつ分……いやそれ以上、かなり上にあるブランの顔には、しかし何の含みも勘ぐりもなかった。



「でも、お弁当もちで出勤してるんだって、使用人のおばあちゃんに言われて。それで市庁舎に来たら、今度は守衛の人にキノピーノ書店で調べものしてるって教えられたんで、帰るまで待ってたんです」



――ぬうっ、ミラベルばあやも守衛さんも、僕の個人的行動をそんなに気やすく、他人にばらしちゃだめじゃないか。もうッ。



「ゆっくりごはん食べる間も惜しんで、そんなに仕事しちゃうんですか?」



 ゆるく沸騰しかけた頭の周りを、ふぁっと冷ややかな風が吹き抜けた。



「フリガン侯はどうしてそんなに、市庁舎の仕事のために……他の人のために、一生懸命になれちゃうんですか?」



 見下ろしてくるブランの若い瞳が、まじめに問うている。



――……他の人のためではないッ。僕はひたすらあの美しき青きくびれが……じゃなかった、すばらしきゾフィさんがよくって、通ってるだけなのだッ。自分のために、一生懸命なのだ!!



 本音はもちろん言えず、ベッカは肩をすくめた。



「他の皆がしてることを、僕も僕なりにやってるだけなんだけどね。……それとフリガン侯って言うのは仰々しいから、個人名の方で呼んでおくれ」




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※閲覧席のあるような大型書店において、長時間の閲覧および店員による蔵書検索は、有料なのがイリー世界の常である。ちなみに注釈者は気合い全開、立ち読みで済ますことが多い。(注・ササタベーナ)


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