13. 花街プロカブロの赤い娼館

 

 ・ ・ ・ ・ ・



「……キノピーノ書店のゾフィお嬢さんと、知り合いだったのかい……。ブラン君」



 全身金縛りの彫像状態から、どうにか自分をぷよんと解凍させつつ、書店をあとにベッカは歩く。



「あ、はい。ゾフィ姉ちゃんはうちの大兄ちゃんと同い年で、お習字教室が一緒だったんです。ずーっと友達で、母親どうしが仲良くって。俺は小さい頃から、姉ちゃんが遊びに来た時、本をいっぱい読んでもらってたんです」



 今やベッカは全身を耳にして、ブランの話を聞いていた。



「だから大兄ちゃんが叙勲されたあたりで、ふたりを許嫁いいなずけにしようかって話になって」



 ベッカのふくよかな顔に、強烈なかけあみ描写の陰がはいった。ずぎゅん! ぷよん!



「でもその時、大兄ちゃんは既にユーリちゃんとできてたんです。あ、奥さんのことです」



 ブランは、低位置からのベッカの鋭い視線に全く気付かず、話し続ける。



「それにゾフィ姉ちゃんはその頃、ティルムンへ留学するかしないかで悩んでたから。大兄ちゃんに応援されて、それで思い切って行ったんです。……テルポシエ包囲が始まった後に帰って来たんだっけ、すごい大変だったって言ってたな」



 縁談が穏便に破れた後も、家族ぐるみのつき合いがあると言うことらしい。



「ふーん、そうだったの……! ティルムンへ行ってたんだ、ゾフィさんは……」


「向こうで本の装丁、勉強したって。他にも色んなこと話してくれて、めちゃ面白いひとです」



――そうだろう、そうだろう……! やはり僕の見込んだくびれのゾフィさんは素晴らしい女性だ、それを褒めたたえる君も、ついでにいい奴としておこう!



 ベッカはひそかに口角を上げた。



「ちなみに君の上のお兄さんって、いくつなの?」


「今年三十一です」



――ああー、やっぱりけっこう上だー! 僕なんて子ども扱いだろうかー!



「俺はそのへん、全然わかんないんですけど。キノピーノのおばさんは何か焦ってるらしくって、最近うちのお母さんも、ゾフィ姉ちゃん向けのお見合い話を、やっきになって探してるんです」



 ベッカは、未だ知らぬブランの母親を、呪殺したい衝動にかられた。



・・・



 ところで、自分達はいったいどこに向かって歩いているのか。


 ブランが聞こうとして口を開きかけたところで、左横前を歩くベッカは、ぷよよよ……と路地脇に寄っていった。



「おやー、いいね、きれいだね」



 花屋の軒先である。地べたに置かれた素焼の大がめにどっさりけられた花々が、にぎやかな色彩を放っていた。



「ちょっと待ってて、ブラン君。買っていくから」


「えっ?」



 あっけにとられたブランをそこに残し、ベッカはぷよぷよ・すいっ、と実に器用に花がめの間をすり抜けて、半開きの店の木戸をあけ呼びかけた。


 ベッカほどではないにせよ、まろやかふっくりしたおばさんが出てくる。



「まいどありがとう存じます!」


「また花束を作ってください。この、のぼり藤がいいな……。もも色中心に、淡いふじ色も少し入れて」


「白いのと、濃いのもちょっと入れると、映えますわよう」



 注文する方も頼まれる方も、どっちも慣れている様子だった。花なんて買ったことのないブランは、ぬぼーんと後方で立ち尽くすしかない。


 切先を麻布で巻かれ、紐てがら・・・でくくられた巨大な花束を片手に、ベッカは何食わぬ顔でブランに告げる。



「さ、行こうか」


「あの、……どこへ?」



 すたたた、軽い足どりでベッカはまっすぐ迷わない。



「この先のおたなにいる人にね、話を聞きに行くんだ」



 あれ、これも仕事……調査のうちなのか、とブランは首をかしげた。けれど。



「……でもここって、プロカブロ街です」



 禁断のその地名の部分を囁くようにして、ブランは低く言った。



「あぶない店が、かたまってるんでしょう?」



 大人になるまで絶対に近寄っちゃいけません、と家族に念押しされている地区である。


 やや幅の狭い小路に、ひしめき合うようにして商家がくっついている。他の区のように、小庭や玄関前庭のあるところは少なくて、道に続いた石段が入り口扉に直結している。


 石だたみ上にはごみくず一つ落ちていない。勤め人風の男たちが箱や包みを持ってぽつぽつ行き交ってはいるが、……妙な静けさが一帯を支配していた。



「今の時間帯なら、危なくないよ。でも、夕方あとに来るのはもうちょっと先にした方がいいかもね……。お母さんやお義姉さんたちには、来たことは言わないでおきなさい。卒倒しちゃうかもしれないから」



 ぷよ・かくん、大きな丸い肩が揺れて、ベッカは左に曲がった。



「ここだ……」



 がん・がががん! ベッカは扉の取手を持って打ちつける。やたら小気味よい音が響いた。



――ちょっと待ってよ……?



 ブランはうろたえ始めた。扉の横、壁にかかる金色の板に刻まれた、商家号が読めたのである。



――ここ、娼館だよッ!? 一体なに考えてんだよ、でぶっちょ文官!



 娼館! 赤いやかた! 大人たちができるだけ覆い隠そうとしている、よろしくない世界!


 義姉の大衆読み物や、修錬校での各種うわさ話から、その一端を聞き知ってはいたが、自分には全然関わりのない所としかブランは思っていなかった。


 だから正確には何がどうよろしくないのか、ブランにはさっぱりわからないのだ。聞いた話によると、あぶない一方でむちゃくちゃ気持ち良いらしい、……しかしとてつもなく、お高いという……!


 むしろ、この最後の要素によってふるえ上がった思春期少年をよそに、ベッカは花を持たない方の手で、かたっと扉を開けてしまった。



「こんにちは、ベッカでーす。お邪魔して、いいですかー?」



 はぁーい!


 ずうっと奥の方から、甲高い声が遠くあかるく答えた。



「さ、入って」



 ふり返ってそう言うと、ベッカはぷよんと入ってしまった! 娼館のなかへ!!


 一瞬おくれて、少年は自分がこのでぶっちょ文官を護衛・・しなくてはいけない、ということを思い出す。


 それで慌てて、危険きわまりないとされる“赤いやかた”の中へ、彼も入り込んでいった。



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