9. 御曹子ベッカ・ナ・フリガン
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「お帰りなさいまし」
厚い生垣をさらに鉄柵で囲った高い構え、門のところでびしりと立っていたいかつい男ふたりが、ベッカに頭を下げた。
青草が美しく刈られたやしき前庭、平石だたみの小径をぬけて、ゆるやかな数段をふみ上がった先にある玄関。巨大な扉を押し開く。
「お帰りなさいまし、坊ちゃま」
しゃしゃしゃしゃしゃ、異様な速さで玄関先へとすり足で寄ってきた、がしがし老婆が声をかける。
「ただいまー、ミラベルや。今日は疲れちゃったよ」
「お湯が沸いたとこですよ! すぐにお風呂になさいますか」
「うん、そうしようかな」
ベッカとほとんど同じ背丈、がっしり
白い割烹着のふちについた、やたら大きいひだひだが、ふりるうと可憐にそよぐ。
「では皆さん! ベッカ坊ちゃまのお部屋に、お風呂のしたくをッ」
きれいな平赤石の敷き詰められた大きな玄関広間、そこに整列していた六人の中年男女が、下げていた頭をふわっと起こして、さささと厨房方面へ歩いて行った。
ばあやだけが一人残り、ベッカに向かって両手を差しのべる。
「いいんだよ、ミラベルや。これはちょっと重いから、自分で部屋に持っていくよ」
ベッカの革鞄を受け取るつもりだった、老婆のその大きな手の甲に、さらに大きな自分のふくよか手のひらでぽぽん、と触れてベッカは言った。
「……ベッカ坊ちゃまは御曹子でありながら、市民の皆さんのために身を粉にして働かれて……。ほんとにご立派な殿方になられました。ミラベルはうれしくって、仕方ありません」
「皆と同じことしてるだけじゃないの。……もう、たのむから毎日帰ってくるたんびに、泣かないでってば……。今日の夕ごはんは何?」
問われた瞬間、きりっと仕事人の顔つきに戻ったばあやは、厳かに言った。
「ひめ鯛の
「へえ~、おいしそうだね!」
「先週、坊ちゃまにひめ鯛の揚げものをほめられてから、料理番のガロアさんは毎朝魚市場で血まなこになって、いいのを探していたんですよ」
とんとん、ぷよよん。
ベッカは幅ひろーい階段を上がってゆく。踊り場のところでゆらり、とうごめく細い影があった。
「お帰りなさい、ベッカさん」
「ただいま帰りました、お母さん」
ふわふわふわ……うに
「お兄さんとお姉さんは、今夜もご商談相手と会食でおそくなるそうですよ。子どもたちが音楽のお稽古から帰りしだい、ごはんにいたしましょう」
「わかりました。お風呂をつかったら、すぐ参ります」
「黒すぐり果汁の、おいしいのがあります。母は食前に、いただいていますよ」
ほほほほ……。するする母は降りてゆく。
その後頭部、銀髪を丸くまとめたかんざしの大きな紫水晶が、あまたの
かたた……。反対側のもう一つの階段から、鉄鍋を吊り下げ持った使用人たちがのぼってくる。
「皆さん、どうもありがとうー」
「いえ、坊ちゃまはそんなにお湯をお使いにならないので、楽らくでございます」
階段下、すぎゆく大奥様におじぎをしながら、ミラベルばあやはベッカと他の使用人たちのやり取りをしっかり聞いている。
――ふっ。誰よりもぷよぷよ幅をとっている分、お風呂に張るお湯も、ごく少なくってすむのです……。ああ、うちの御曹子はほんとに、どれだけ使用人思いの良い坊ちゃまでいらっしゃるのやら……!
イリー世界屈指の貴石採掘で、巨財をなす都市国家ガーティンロー。
その中でも有数の水晶・玉髄脈を所有する、名門一族の“タバナー貴石”。
市庁舎総務課勤務の文官騎士、ベッカ・ナ・フリガンは、このうちの次男坊なのであった。
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※合法的な畜産ものである、安心してほしい。(注・ササタベーナ)
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