第16話

※斜め読みでも問題ないかもしれません


「おかけください」

先ほど対応してくれた中年の男性が、僕らをソファに座るよう促す。

案内された部屋は、窓が一つあるだけの小さい部屋だった。掃除はきちんとされているのだろう。空気は淀んでいないし、埃も見えるところにはない。

ちらりと見えた窓の外には、通りが見えた。てんでんばらばらに聳え立つ建造物がまだらの影を落としている。

二人掛けのソファは使い古されていたが、よく手入れがされていて、使い込まれた物だけが見せる時間の重みが、かえって座り心地の良さを保証しているようだ。

「仕事の件ですよね。どうして我々はこちらへ案内されたのでしょうか」

スタンが単刀直入に質問する。

「はい。実は、お二人に表には出ていない仕事をお願いしたく、こうしてお席を設けさせていただきました」

スタンはじっと男性を見ている。

「張り出されている仕事よりも、報酬は高額です。考えようによっては、楽な仕事と言えます」

「考えようによっては、ね」

スタンは警戒の色を強めたようだ。

僕は、とりあえず口を閉ざす。餅は餅屋。

「なんの実績もない我々に、こうして振るような仕事とはなんですか?申し訳ありませんが、我々も考え無しではありません。言いたいことを分かっていただけるでしょうか」

男性も予期していたのだろう。動じることなく頷いて、口を開いた。

「はい。警戒はごもっともです。順を追って一から説明させていただきます。この丘の上の町は、代々ハンチバック男爵が治めております。町の北側にはハンチバック男爵の邸宅があり、代々そこに居を構えておりました。男爵は、爵位は下位貴族ではありますが、それなりに裕福な家柄でもあります」

ちらりとスタンを窺う。元貴族のスタンならこの辺りの話は知っているかもしれない。

「十年前のことです。当主であらせられたエドガン男爵が身罷られました。突然のことでした。男爵の子は、当時まだ六歳。爵位を継ぐことが叶わず、男爵の弟であるギリアム様が相続されました」

目の前の男性が、一つ呼吸を挟む。

「ギリアム様がご当主になられ、七年の時が経ちました。色々ありましたが、領地はそれなりに運営されました。ですが、三年前です。ある時から、町の様子がおかしくなりました」

「おかしくなった、というのは具体的には?」

「はい。異変はハンチバック男爵邸から始まりました。最初の変化は、男爵邸と連絡がつかなくなったことです。通いの商人が、男爵邸に荷物を搬入しますが、誰も中からでてきません。仕方なく、所定の位置に荷物だけを置いて去りました。対価は、毎月決まった日に、取引のある銀行を介して支払われているからです。同じ日、通いの使用人たちが、男爵邸からとうとう帰ってこなかったのですが、突然のもてなしなどで通いの者たちが帰れないような日も年に何度かありましたので、彼らの家人はその晩は気にしなかったそうです。しかし翌日も、帰ってこなければ問題となります。果たして、誰一人帰ってこなかった。家人たちは、男爵邸に様子を窺いにやってきました。ですが、中に入れなかったそうです。何故か、中に入れないのです。わかりません。正面の通用門に普段はいるはずの門番がいませんでした。しかし、通用口は開いている。そこから入ることはできる。しかし、入れない。気づくと、男爵邸の外にいるのです。そこから、色々なことがおかしくなりました。変化は町へと波及しました」

その男の話は実に不可思議だった。スタンも、食い入るように話を聞いている。

「男爵邸の近くを通る人々が、道に迷うようになったのです。当初はあまり気にされませんでした。通いなれた道でも、考え事をしながら歩けば、曲がるはずの角を通り過ぎたり、見落としたりはあるものです。ですが、しばらくして、町の者たちが異常だと気づき始めました。その時には、変化は男爵邸とその周囲へと広がってしまいました。いくら道を辿っても、男爵邸にたどり着くことができない。男爵邸のすぐそばの住民も、家に帰れなくなりました。道を辿っても、気付いたら別の場所にでるのですから」

「問題はそれだけですか?」

「町の大人が幾人か、それとこどもが十人以上行方不明となっています」

「そんなに……」

「町の運営は、というか、この領地の運営は問題ないのですか?男爵一族はどうなっていますか?」

「そこは運が良かったのです。弟のギリアム様は行方不明となられましたが、前男爵、エドガン様のご嫡男エリック様とそのご母堂、前男爵夫人マリエル様が、当時この町とは別の場所でお過ごしになっておりましたので、領地の差配はエリック様の元、マリエル様と男爵傍系親族の方々でなんとか仕事をこなしているという状況です。男爵邸周辺は現在近づかぬよう触れが出ています。そして、今年十六歳になられたエリック様も、数年後には叙爵されることが一年前決まりました」

「それは良かったです」

「ええ、本当に。一時はどうなることかと思いました。ギリアム様とはもうずっと連絡が取れない状況です。そのため、生死は不明として、ギリアム様の貴族位は維持されておりますが、もう三年が経ちます。生存は絶望視されています。そのため、あと数年、生死が判明しない状況が続くのであれば、状況から鑑みて、死んだものとみなし、爵位をエリック様に譲ると国が決定いたしました。ですが、そこでまた問題が持ち上がるのです。この町です。この町の問題をなんとかしなくてはいけません。できることなら、エリック様がお父様の後を引き継ぐとき、何の憂いもない状態で引き継ぎたいとエリック様は思われ、またマリエル様も同様の思いを抱かれました。そして、冒険者協会に、町の調査と問題の解決を依頼したのです。一年前のことです」

長い話が一区切りしたのだろう。男が、深いため息をついた。

そのタイミングで、扉が叩かれ、女性がお茶を持って入室してきた。香しい茶の香りを後に、彼女はすぐに退室した。

「どうぞ、お召し上がりください」

僕らはお茶と、一緒にお茶請けのお菓子をいただく。美味しい。

「依頼が初めてだされたのが一年前なのですか?」

「そうです。そして、問題はいまだ解決されていません」

愕然とする。一年も?

「何故、問題が解決されていないのでしょうか」

スタンが当然の疑問を口にする。

「はい。問題が男爵邸から始まったことは明白です。また、問題が生じた以降も、他領から攻め込まれるといった動きもなく、無事に男爵領は維持され続けています。よって、外部からのなんらかの工作という線は薄いものと考えられています。もちろん、完全にその考えを捨てきるべきではないという認識はあります。男爵邸を調べようと何人もの冒険者を調査のために派遣しましたが、ほとんどの者が辿り着くことが叶いませんでした」

「では、調査など不可能なのでは?」

「はい。そう思われるのもごもっともです。ですが、幾人かが、迷路のような通りを抜け、男爵邸にたどり着いています。恐れ慄いて逃げ帰ってきたものが大半で、中に入ったものはさらに数が限られます」

「中に入れたのですか?」

「ええ」

そう言って、テーブルに先ほどから置かれている冊子を手に取って、中を開く。どうやら、この事件についての調査資料のようだ。あまり、厚い物ではない。ぺらぺらといっても過言ではないだろう。それほど、情報が手に入らないのだと窺える。

スタンが厳しい顔付きをする。

「外観を見届けられた者が十名。彼らのほとんどは視認した段階で恐怖のために逃げ帰っております。彼ら曰く、とくに外観に異常なところはないとのでした」

「異常がないというのは?」

「つまり、取り立てて破壊されたような痕跡もなければ、屋敷が荒れているといったような様子もないとのことでした。前男爵お気に入りの庭もそっくりそのままだったと、報告が上がっています」

「……奇妙ですね」

スタンが小さく言った。男性が片眉をあげてスタンを見つめたが、スタンは何も言わなかった。

「勇敢な到達者の内の幾人かが内部に侵入しています。記録では三人」

「三人だけ?」

僕はつい口を挟んでしまった。

「はい。三人です。使用人の通用口から入ったものが二人。正面の門の通用口から入ったものが一人。中に入れなかったものが三人」

「到達しても中に入れない場合があるのですね」

「条件は不明です」

「それで?中はどのようになっていたのですか?」

「はい。中に入ったもの曰く、屋敷の建物内部は、常軌を逸した世界が広がっていたそうです。全てがゆがみ、左右の区別なく、上下の区別なく、前後の区別なく。道は縦横無尽に入り組み、通ったと思った場所に戻ったり、予想した場所と全く違う場所に出たり。壁も廊下もじぐざぐにゆがみ、視界は狭かったそうです。混沌が屋敷を形作っているような、そういう印象だったと、その者は供述しております」

「そんなことが」

「はい。にわかには信じることは難しいです。我々にも全く理解ができません。もう一人も同様の報告を挙げております。その者は二人組で中へと入ることに成功。使用人の通用口から中へ入った者たちです。一人は、内部で行方不明となりました」

そんな……。

部屋に一種奇妙な沈黙が落ちた。

「この一年の成果がそれだけとは……」

「はい。あぁ、報告では、屋敷の内部で声が聞こえたと言っています。二人ともですね。かすかな声がしたと」

「それは、つまり……」

「はい。ギリアム様を始め、使用人の誰かの声かもしれません。ですが、三年です。生きているとは到底考えられません」

「確かに。そうですよね」

僕は生存の可能性を考えたが、すぐに否定された。内部の食糧の備蓄を使って生き延びたとしても、食料が数年も持つとは思われなかったから。

「なぜ我々にこの話を?」

スタンが睨むような目で問いかける。

「はい。実は、もうこの町であの屋敷に近づけるものがいなくなったからです。二度目の侵入で二人が、内部を報告してくれた二人が帰りませんでした。なので、外部から来たもの達ならばと考え、新しく登録される方々にお声がけしている次第です」

「そして、我々よりも前に来た冒険者には、断られたか辿り着けなかったと。或いは、戻らなかったか」

「はい。あの、褒賞は弾みます。内部に入らなくても良いのです。辿り着けた段階で、お金は払います」

ですので、と言い募ろうとする男をスタンが止める。

「お断りします」

にべも無かった。

男がさらに金を積むと言って、引き止めようとするのを無視して、スタンは僕を促すと部屋を後にした。

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