第12話

破壊された路地の奥に、二人の男たちがいる。

一人は眠っているようで、もう一人がその男に膝枕をしている。

建物や道路が無残にも破壊されたのに、この騒ぎに誰もやってこない。

ぽっかりと空いた空間に、二人の男がいる。

無言で、ただちらつく雪の中、静かに、静かに、その時を待つ。

しばらくして、眠っていた男が目を覚ます。

意識はいまだはっきりせず、朦朧とする頭を働かせるために小さく頭を振ろうとするのを、もう一人がとめる。

「頭を打っているかもしれないから、動かないほうが良い」

何かをこらえるような声だった。

「どこか痛いところは?もしかしたら、どこか骨折していたりするかもしれない。だから、まだ動かないほうがいい。大丈夫だとわかるまで」

長い手足を放り出して横たわる男が、その声音に不審なものを感じて、怪訝そうに相手を見上げる。

「何をそんなに心を痛めていらっしゃるのですか?」

「別に」

「そうですか?それで、どうなりましたか?」

「終わったよ。君のおかげだ。ありがとう」

ここで、華奢な男が小さく微笑んだ。

「私は何も」

「いや。君が来てくれなかったら僕は死んでいた。ありがとう」

そう言いながら茶髪の男が黒髪の男の額を優しくなでる。

それを見て撫でられる側がにやりと笑う気配。

「だから言ったでしょう?私は優良物件だと。主のピンチにためらうことなくはせ参じて、見事仕事をやりおおせる。どうです?私を買って損は無かったでしょう?」

「うん。そうだね」

その言葉に、背の高いほうが目を細めながら、嬉しそうに相好を崩した。

「やっと、やっと仕事を果たすことができました。まだまだ、あなたから受けた恩を返しきるには遠く及ばないけれど」

「十分すぎるくらいだよ」

「いえ、全然です。私のこの気持ちの一割もまだ返せていない」

「十分だよ。僕が君を巻き込んでしまったのだから、今回の働きで全てチャラだよ」

膝枕をしている男が懺悔するように言葉を紡ぐ。

「無関係の君が僕のせいで大変なことに巻き込まれることを僕は知っていて何もしなかったんだ。あまつさえ知らない君を利用しようとしたんだ。僕はずるい男だよ。君を勝手に巻き込んでおいて、僕は自分が助かるために君を利用しようとしたんだ」

「でも、なさらなかった」

「そうだね。でも、その心持ちは、許されることじゃない。だから、君はもう十分役目を果たしたんだ」

「いいえ、まだです。まだまだです」

「ごめんね」

膝枕をされている男が逡巡する風に視線を巡らせる。

「そういえば、あの老女はどうなりましたか?」

「愛する人の元へ旅立ったよ」

「あれは一体何だったのですか?魔法ではありませんでした。あんな魔法はみたことも聞いたこともありません」

「愛だよ」

怪訝そうな顔。

「彼女は願った。ずっと家族が幸せであるように。幸せな家族を守りたいと願った。そのためには、自分と家族の周囲に、強固な守りを固めればいいと考えた。それは静かに静かに、長い時をかけて行われた。彼女の強い気持ちが、街と人に絡みついていった」

「よくわかりません」

「彼女は能力の規模に対して心が弱すぎた。本来なら、身の回りのごく限られた範囲を守るだけで精一杯のはずなんだ。なのに、彼女の力は膨れ上がった。だから、小さなことがきっかけで力を制御しきれなくなって、逆に力に飲みこまれてしまった」

横たわる男はただじっと耳を澄ましている。

「彼女の猫が彼女の心をつなぎとめていた。人間の側へ。けれど、彼女の猫、エリーがいなくなってしまった。一月前。それによって、彼女の微妙に保たれていた均衡が崩れてしまった。人ならざる者へ変わってしまった」

「そのエリーという猫はどうなったのですか?たしか、家にいるとあなたはおっしゃっていた」

「そう見えたから。たぶん、エリーは死んでしまっている。彼女の憂慮した通り。でも、エリーは、それでも、主人を求めた。彼女を孤独にさせないために。おそらく、エリーの遺体は、彼女の家のどこかにある。ひっそりと。彼女が生まれたのと同じ場所。排水路の中。僕は言った。知っている場所を探せと。でも、彼女は探せなかったんだ。もう、以前の彼女と違ってしまっていたから。もし、彼女がエリーを見つけることができていたら、結果は違っていたかもしれない。今更考えても意味のないことだけれど、あまりにも残酷だ」

重いため息をこぼしたのはどちらか。

「彼女はあまりに巨大で、僕にはどうしようもないように見えた。だから、直近で一番僕に有利そうな今日を選んだんだ」

「よくわかりません。今日が何なのですか」

「雪だよ。今日も雪が降りそうだった。厚い雲が空に垂れこめて気温は低く。このあたりはあまり冬でも雪が降らないから、雪の降る可能性が最も高いだろう今日を外しては、今後僕に彼女を倒す機会は訪れないだろうと思ったんだ。ごめんね。だから急がなければならなかった。君の腕はまだ治らない。足も万全ではない。だから、君を置いていった」

優しく黒髪を梳く。

「君には家族がいて、巻き込むのは良くないと思ったのが理由としては大きいから、役に立つ立たないであまり自分を責めないでね」

無言。

「雪は死の符丁。死の暗示。だから、僕はその時を待った。一か八か」

「何故、逃げなかったのですか?」

「彼女とつながりができてしまったから、放置することはできなかった。占いなどすべきではないと分かっていたけれど、どうしようもなくて。お金さえあれば違った結果になったんだけど。彼女と繋がる前なら問題なかったんだ。でも、辞め時がなくて。まさか、この街にあれほどの力を持つ人がいるとは思わなかった」

「私のせいですね」

「いや。君は来てくれた」

言葉が途切れる。

「君は来てくれた。僕を抱えて走ってくれた。ありがとう」

「良いところを見せられましたか?」

「もちろん。格好良かったよ」

「火事場の馬鹿力と言うヤツですね」

「確かに。本当にあるんだ」

「もし次同じようなことがあったら、また見せてあげますよ」

「火事場の馬鹿力を?」

「俺の格好いいところです」

「そうかぁ、そっちかぁ」

くすくす笑う声を聞いて、やっと黒髪の男が安堵した様子を見せる。

「今回、私は相当頑張ったと思うんですよ」

「そうだね」

「当初の目論見通りの働きでしたでしょ」

「うん、まぁ、その言い方は事実なんだけど、うん。期待以上だよ」

「じゃあ、ご褒美が必要だと思いません?」

「まぁ、そうかも」

「ですよね」

「何が希望なの?今ちょっと持ち合わせが厳しくて」

「お金はいりません」

「ただより高い物は無いって、知ってる?」

「そんな警戒しなくてもいいでしょう」

「それで、希望はなに?」

「今、膝枕されてるじゃないですか」

「そうだね。打ちどころが悪い人を動かしてはだめだっていうから、様子見のためにしてるんだけど、嫌だったのならごめん」

「いえいえ。私、もてるじゃないですか」

「うん、まぁ、わかるよ」

「昔よく女の子にしてもらってたんです。膝枕。でも、この立場になって、こう、人にしてもらうの初めてなんですよ」

「そうだろうね」

「久しぶりにやってもらうと、すごい良いものですね」

「はは。なんだそれ」

「だから、もう少し、このままでお願いします」

「寒いでしょ」

「これくらい平気です」

「いやいや。風邪をひいたら大変だよ」

「大丈夫です。でも、もう少し太腿は肉がついているほうがいいですね」

「えぇ……」

「あなたは細いので、もう少し体重を増やしましょう。細すぎて寒そうだ」

「いや、実際寒いんだよね。あぁ、そうだ!」

「どうしました」

「スタン、もう少し頭をこっち側に」

「こうですか?」

「もうちょっと。上半身を持ち上げて」

「こうですか」

何を、と言いかけて、口を閉ざす。

両手で黒髪の男の頭を包み込むように抱きかかえる。

「これならちょっとは寒くないでしょ」

「はぁ、まぁ」

そのまましばらく。

「おっぱいはでっかいほうが好きなんですけど、これはこれで悪くないですね」

「何だそれ」

くすくすと、密やかな笑い声が路地にこだまする。誰も聞いていない声が、雪とともに空気に溶けて消えていく。

「うん、悪くない」

手足を投げ出して横たわる男がもう一度呟いた。

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